お昼寝♪ 耳鳴り♪ 金縛り♪

 ギキイィイイイイン。ギ、ギ、ギ、キイイイイイイン。
 通過列車の轟音よりもさらに不快で大きい音が頭の中に鳴り響く。
 私の精神は冷静だ。私は今、目をつぶっているが、布団の中だ。少し疲れたので休もうと思って横になっていたのだ。
 意識と無意識の中間。激しい幻聴はずっと続いている。黒板をひっかくような音。皿が何十枚も次々割れていく音。私の嫌いな、ステンレス製の食器がこすれる音。それが、激しく、さらに激しく、少し収まり、また激しく、を頭の中で繰り返している。頭のてっぺんから少し右あたりの内側に、どくんどくんと血流が流れている感じがする。もしここで「あなたの頭は十秒後に爆発します」と告げられても驚きはしない。異常事態、というのは分かっているが、実のところはこれは初めてのことではなく、どれくらいの頻度かは分からないが、何度も経験してきたことなので、焦ってはいなかった。
 いつもなら、その音を止めたり、少しでもその音量を下げようと色々別のことを考えてみたり、体を頑張って起こそうとしてみたりすると思う。
 しかし今日の私は、いつもと少し違っていた。というのも、昨日今日と、私の精神は非常に安定しており、ずっと上機嫌であったのだ。生活に満足していたのだ。同時に、私が私自身に対して緩い満足感しか感じていないということに、小さな不満も感じていた。
「こういう時に、もっと先に進もうとしないから、私は立ち止まって、退屈しているのではないか?」
 頭にそう疑問が湧いてきて、私はもっとこの音を大きくしてみよう、と思った。思うと、スピーカーの音量つまみを一気に最大にしたように、それまで以上の轟音が私の頭に鳴り響いた。ぎりぎり思考が動く程度。
 ギイイン。キンキン。ガチンガチン。グワングワン。色んな不快な音が混ざり合っている。混ざり合っているからこそ、私の心は冷静であり、混乱はせず、ただ不快感を噛みしめていた。不協和音とまた別の不協和音が、不規則に、ただただ頭の中でがんがんと……殴ったり、突き刺したり、苦しみや痛みにも、統一感がなく、雑然と……
 どれくらい時間が経ったかは分からない。五秒くらいだったかもしれないし、十分くらいだったかもしれない。夢と現実のはざまでは、時間の進み方がいつもとは全然違うから、それに耐えていた時間がどれくらいだったかは分からない。ともあれ私はふと「ここまでだな」と感じた。「これ以上は危険かもしれない。いやもちろん、危険を承知でやることも悪くないが、今日はここまでだ。ここまでこれることが分かったから、それで今日は十分だ」と思ったのだ。
 そして、音を止めようとする。が、止まらない。体、すなわち精神を完全に覚醒させなくてはいけない、と結論した。腕を上げようとする。当然動かない。だが、焦らない。金縛りには慣れているし、今回は特に、そうならない方が不自然だと思ったほどに、そうなることを予測していた。
 こういう時に焦ると、厄介な幻覚と幻聴がやってきて、それに恐怖し、その恐怖に反応してまた別の幻覚や幻聴が訪れる。だから、大事なのは落ち着いて対処すること。深呼吸をする。もう一度体を動かそうとしてみる。動かない。頭の中に「もしかしたらこのまま死ぬまで動けないのではないか」とか「もうすでに自分は生きていないのではないか」とか「取り返しのつかないことになってしまったのではないか」とか、そういう嫌な考えが浮かんでくる。それを消そうとすること自体も、危険だ。消そうとしても消えなかった場合、私の頭はその考えに対して無力であることを確信してしまうから、重要なのは自分がそう思ったことを受け入れたうえで「そうじゃないかもしれない」という楽観的な態度を崩さないことだ。
 意識的に「思わないこと」はできないが、意識的に「別のことを思うこと」はできるから、頭に浮かんだ言葉を、浮かばないようにするよりも、その浮かんだ言葉に対して「NO」を、しっかり思うことが重要なのだ。
 深呼吸をする。少しだけ体の感覚が感じられるようになってくる。腕の血のめぐりを感じる。ドクンドクン。頭は脈打っている。ギイイン。キイイン。音は少しマシになっている。腕はまだ動かない。だがそろそろ動きそうだと思ったので、強く、継続的に意識する。
 起きているときは、腕を上げようと思えばすぐに上がるが、こういうときはそういうわけではない。重たいものを持ちあげるように、持続的に念じなくてはならない。固くなったペットボトルのキャップを開けるように、グググ、と精神を集中させるのだ。
 動け。動け。動け。一気にがっとやるのは、つらい。何か体に悪い影響が及ぶこともある。だから、ぐーっと、伸びをするように、強く、ゆっくりと念じる。指の先を……動け、動け。

 起きるときは一瞬だ。のっしり、とだが、それまでの時間間隔とのギャップで、とても素早く起きられたかのように錯覚する。頭はすぐにはっきりする。音もきれいさっぱり消えてなくなっている。少し頭が痛く、体も重いが、心臓はゆっくり脈打っているし、心も落ち着いている。いつも通りだ。
 もしあの時あの不快な音をさらに拡大させようとしていたらどうなっていただろう、とそれが少し気になる。
 それとは別に、言語化しにくいこの経験を、同じように感じている人がどれくらいいるのか確かめてみたい、と思った。ネットで「夢 耳鳴り」「激しい耳鳴り」「幻聴 耳鳴り」「耳鳴り 金縛り」などと検索してみようと思ったが、その前に文章にして記録しようと思った。
 そもそもこういう個人的な感覚というか、本当にただ感覚でしかない経験は、正確に、他者と共有できるように伝えるのはとても難しい。少なくとも私くらい文章を率直に書ける人間でないと表現しきれないし、そんな人間がこの世にごろごろいるとも思えない。というか、いたら困る。これは私が苦労して磨いてきた技能なのだから、稀有なものでないと、私自身が困る。

 などと思いながら、先ほどあったことをできるだけ忠実に文章化してみたわけだ。

 私は現実において、失神しかけるほどの痛みを一度経験しているが、夢と現実のはざまにあるあの意識状態のときに感じるあらゆる苦痛は、現実におけるそれと大きな差はないと感じている。息ができなくなって窒息するのも、腕を切り落とされたあと、その断面を金属の棒のようなものでかき回されるのも……多分、リアルな感覚だと思う。自分の意思とは関係なく叫び声が上がるが、その声は自分の耳に届かない。自分でもよく分からないが……ともあれそれは全部肉体的な痛みである以上、私の精神はそれをひとつの現象として眺めていて……「さて、ではこれからどうしよう」などと考えている。いつも。

 しょせん生理的な現象、と言えども、やはりそのリアルな感覚は、何か私の心と体に大きな影響を及ぼしているのではないか、と疑っている。少なくとも私は、そこで見た景色や感じたことを、こうやって文章に書き起こして記録することができているから、そういう意味では、全く現実に作用しない現象ではない、と思う。
 それに多分、現実においてそれと似たようなひどい目に私自身が遭うことになっても、夢の中で経験している以上、素早く覚悟できるし、その中で精神を最低限保つことができると思う。おそらくは、そういう働きなのではないかと思う。練習。訓練。

 想定しうるどんな地獄の中でも冷静に認識し、判断できるように。私は自分のことを強い人間だとは思ったことがないが……冷静に、もし自分がそういう夢を見たこともなく、生と死についてもそれほど考えずに生きてきたものとして、別の目で自分自身を眺めてみると、私は……人間離れしたような精神を持った人間であるかのように見える。

 それとは別に、このような文章を書けるということも、何か特殊なものを持った人間だと思わせるひとつの事実であるように見える。

 私は私がいったい何なのか分からないけれど、でもそんなのはどうでもいいことだ。
 私は生きて、今ここに存在している。それだけで十分だ。

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