話が通じないから

 「ずっと話していられる友達」がいる人は、幸せな人だと思う。ずっと一緒にいても、うんざりも退屈もしないでいられるっていうのは、相当幸運な出会いがないと難しいと思う。

 私のうんざりするまでの平均タイムは三十分くらい。話題が尽きて話すことがなくなるのではなくて、私自身が楽しくなくなる時間が、それくらいなのだ。疲れているというよりも、相手の人格に飽きてくる感じがする。

 もちろん人はひとつの人格で生きているわけじゃないから、うまく相手の別の人格を掘り起こせれば「追加の三十分」が確保される。
 でも結局相手メインで話を続けるのには、限界がある。そして私が話をし始めると、相手の方がうんざりしてくる。うんざりしない場合でも……それは大抵、上手に聞き流しているから、うんざりしないだけだ。

 私の話は難しい。
「頭の回転が速すぎてついていけない」
 何度言われただろうか。
「ひとつひとつの言葉は分かりやすいし、丁寧に説明してくれてるのは分かるんだけど、情報がぶわーって襲ってきて、こっちの整理が終わる前に次の話が始まるから、なんだか結局何も分からなくなっちゃう」
 比較的頭のいい友達が、そう教えてくれた。私はそれ以降、その子相手に話すときは、ものすごくゆっくり話すようにした。あえて、十秒くらいの間を置く時間を設けた。すると「話しやすくなった」と言ってくれた。その時は嬉しかったけれど、あとで、苦しくなった。
 だって、その子は「理解できるようになった」と言ったわけではなかった。実際、待っても、それで理解できるようになるわけじゃないことが分かった。その子もそれを認める必要がないのを知っていたから、ただ私の努力に配慮して「話しやすくなった」と言ってくれたのだ。
 私は、私が好きな話をしても、聞いてもらえないということを理解した。

 相手が理解していないということだけははっきりと分かってしまう。だから、独りよがりにもなりきれない。中途半端に人と心を通わせる技術を身に着けたばっかりに、私は余計身動きが取れなくなった。


 本音で語り合うということが、いつの間にかできなくなった。自分に本音があるのは知っている。でもその本音と同時に、いくつもの建前を用意してしまう自分がいる。常に、選択を迫られる。どれくらい本音を混ぜるか、選べと言われる。
 選ばなければ、自動的に一番ありふれた建て前が表出される。それは他者との間に壁を作る。人と仲良くなるためには、ほどよく本音をこぼさないといけないのに、私の本音は人に理解されない。

 天然キャラで通せるほどぼうっとしているわけじゃない。毒舌キャラで通せるほど、口も悪くない。八方美人キャラで通せるほど、優しい人のふりは得意じゃない。
 私の体に合うキャラクターが存在しないから、私は他者の前に立つと、鏡のようになる。相手が求めている自分と、相手自身の中間点を取ろうとする。でもそれも、満足にできない。
 結局、私は私であって、つい本音がこぼれてしまうこともある。そのたびに、今までのギャップで、相手が不信感を抱く。私を、恐ろしい人間だと判断することもある。
 そうだ。私は「何を考えているか分からない」としょっちゅう言われる。
 私だって、そんなこと分からない! 私だって……自分自身にいつも困惑しているのに。

 強いて言うならば、このnoteに書かれていることが、私が考えていることだ。
 私は、日常の中で考えたことのほんの一部を文章に残している。できるだけ、読みやすさを残したまま自分の思考回路を歪めない形で書いている。
 私の見ている世界の何割くらいが書かれているかは正確には把握できないけれど、半分以下ではあると思う。人に伝わりやすいものを選んで投稿してる。ごちゃごちゃしてたり複雑だったりする思考は、文章にすることが難しかったり、失敗したり、めんどくさかったりで、投稿を断念してばかり。

 ともあれ、自分の考えていることのほとんどが口で言っても誰にも伝わらないから、文章にするしかなかったのかもしれないな。でも文章にしたからといって伝わっているかと聞かれたら……

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