絶え間ないストレスと麻薬的な快楽 幸福は前提に過ぎない
最近思いついたことだが、肉体的な快楽というのはあくまで体に加えられた過度な負荷に対する反応なのかもしれない。
つまり性的な快楽はもちろんのこと、それ以外の気持ちよさ、入浴、睡眠、食事、あらゆる単純な快楽をより強く味わえるタイミングはいつかといえば「酷い目にあった後」なのだ。
それはまるで、人生の埋め合わせかのように、強くおぞましいほどの快楽が無条件的に与えられる。襲撃されるかのように、巨大な快楽が頭を支配するのだ。
恥じらいを捨てて正直に書くことにする。
私がも