自分論をつくりたい ~4日目~

私が今まで言われた中で一番うれしかった言葉は、「直向き(ひたむき)だね」という言葉だ。

「直向き」という言葉を選んだ彼女に感謝している。それまで直向きなんて言葉を使ったこともなかったし、私の中でとても文学的というか丁寧に言葉選びをされた感じがして、とても心地よいものだった。そんな直向きだが、私をまっすぐ見つめてくれた人がどのような人に映って見えるのかを聞く行為は、前回否定した「自己の客観視」に当たってしまうのではないかとふと思ったが、それと同時に、自分の「意図しない印象」は、本当の私の一部としてカウントしても良いのではないだろうか。

いやいや、決して言われてうれしかったから自分の長所として採用!とかそういう意味ではなく、まったく意図しない方向から頭をスコーンと殴られた感覚に近くて、、、

例えば、自分が少しでも周りからカッコいいと言われたい為に努力をしたとして、第三者から「ムトウ君はカッコいい」と言われたとする(例え話までナルシストにする必要はない)これは、「意図したカッコいい」を相手に見せつけ、言われるようにしている状態だ。これは作り出された自分であり、論述するには如何せん不純なものになりやすい。しかし、意識していない守備範囲外からのパンチは隠れていた自分を見つけてくれた様でハッとするものだ。

上記のパンチで良くある例が、いつも姿勢が良いとか、実は文字が読みやすいとか、挨拶を必ず先にするとか、プリントを後ろに回すとき腕だけではなく必ず体ごと振りむいて渡すとか、こういう意識を超えた「反射」に近い感覚でやっていることを指す。

つまり今回は、自分の意識外からの「いいね」は素直に受け取っておき、隠れた自己として受け入れてしまおうということに落ち着いた。日本では謙遜の文化があるが、素直に受け取るのも一種の礼儀だし、謙遜しすぎる事はほとんど嘘になってしまうので注意が必要だと思う。さらに言えば、この「反射の自己」は今までの教育・自分の考え方などが大きく左右しているので、この反射の自己をパンチされて認識したのであれば、そのきっかけとなった人・事・ものを結び受けておくとさらに深い『作法』として自分の武器になるのではないだろうか。

皆さんには、友人・知人の意識外の「いいね」をパンチしてあげることで、SNSにはない本当の「いいね」の快感を広げていってほしいと思うわけだ。

#日記 #コラム #哲学 #思考 #ブログ #パンチ #いいね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?