『自分論』をつくりたい ~2日目~

論と言えば2つ思いつくと思う。「理論」と「論理」だ。

私が目指すのは『自分論』。これはどちらに当てはまるのだろうか。   イチローの野球理論と言えば、イチローが考える野球についての考え、論理と言えば、論理的思考や論理を組み立てるなど、理論を組み立てる方法をいうと思う。ということは、私が導き出したい自分論は、私が考える私について論じることを指す。

ハッキリ言って、私は私自身をどれだけ好きなんだと思われるかもしれないが、私の喉に詰まっている何かを理解する為に私自信と向き合うことは絶対に必要な行動だと認識している。

そもそも私は、Twitterで自分の思うことをつぶやき続けてきた。     しかし、タイムラインに流れてくるのはまるで昼間のワイドショーのような内容ばかり。今度は自称意識が高い人々ところに身を置くと、立派な文字列のみが流れてきた。そこには温度はなく、ただの文字列だった。     言葉の重みについて語るつもりはないが、良いことを言っていたとしても、あなたが言う必要がないと言わざるを得ない言葉だらけだった。     そんな全国民総発信社会の中で、私が発するべきものは何だろう。自分を自分論として語れた先に何があるのだろう。たまに立ち止まってしまったこともあるが、昨今の誰かに影響を与えて変えてやるという傲慢なことをするより、まず自分という人間を一から見つめ直す方がよっぽど自分に合ってると思ったわけだ。インターネットや科学技術にまみれて自己を見失う前に、私自身を文字という媒体を通じて表現することで形にしたいと思っている。 自称バックパッカーのような抽象的ではなく、具体的姿を文字化したい。(自称ってところが肝)

2日目で答えなどでない。なぜなら自分について真剣に考えたことなんてないからだ。誰かの事を考えることはカッコいいことだと思っていたが、私には合わない。自分自身すら見えていないのだから。

このブログの中だけは、自己中心的且つ、自己愛に満ちた空間にしようと思う。

#コラム #日記 #哲学 #Twitter #自分 #思考

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