ほんとうのゆたかさとはなにかを徒然に真剣に考えてみた
「ゆたか」をひらがなで思う
ゆたかさとは。豊か、を調べるのに私は漢字ではなく、「ゆたか」というひらがなの意味を知りたいと思いました。
ゆたかは「ゆたう」から。ゆたうとは=たるむ。ゆるくなる。
ピンとはりつめた糸ではなく、まさに『ゆ』というひらがなのようにたるんでいる糸。
『ゆ』から連想されるのは弛(ゆる)む、許す、揺れる、結う、愉、遊、優、湯、融。楽しく遊んで、優しく融ける。
ゆとり、余裕とも言い換えられるかもしれません。「遊」まさに「あそび」があるかどうか。遊びをせんとや生まれけむ(梁塵秘抄)ですね。
相対的ではない「ゆたかさ」を求めて
経済的にゆとりがあり健康で、何の不安も不満もない状態は誰もが豊かだと思うでしょう。
自由で自己実現ができうる環境は豊か。誰かに比べて余裕がある「ゆたか」はわかりやすい。でも全てを持っていても「ゆたか」とは言えないということも誰もが感じている。
人生には貧乏も災害も感染症も老いも死も暴力も降りかかる場合がある。
旧約聖書「ヨブ記」のヨブのように。神様は良い人間であるヨブを助けない。神様はそういうものではないからだという。とことん苛烈な運命に嘆き悲しんでいる時、ゆとりなんかあるのか。暗闇に光は差すのか。
苛酷な運命に打ちのめされないでいられるのは、それでも生きる希望を持ち続ける原動力となるものは。
フランクルの「夜と霧」
フランクルの「夜と霧」にその答えのひとつがあるように思います。
フランクルは強制収容所から奇跡的に生還し、人が何に絶望し何に希望を見いだしたのかを書きました。極限状態にあって、すぐに自暴自棄になる人もいれば、演奏会を企画し音楽を楽しむ、夕焼けの美しさを語るといった囚人たちもいた。そういったゆたかさ、人間性を失わないとはどういうことか。
どんな状況でも、今を大事にして自分の本分を尽くし、人の役にたつこと。そこに生きがいを見いだすことが大事なのではないかとフランクルは考えた。(100分で名書「夜と霧」より)
生きがい、は「生きる意味」ですし、生きる意味は「どんな状況でも真善美を体験すること」だとすると、大きな物語でなくて良いのだと納得します。
芸術、趣味、ちょっとした親切、仲直り、心が通じたと思える会話、そういう心のあそび、ゆとりは全て「人生の意味」であり人生の豊かさなのだと思います。
真善美ですら相対的というなら、嘘悪醜にまみれて幸せを感じたとしても、「その人は幸せかもしれないがゆたかではない」と言えます。
要介護の状態でも経済的困窮があっても
私の仕事の訪問介護で考えてみました。
もちろん、いろいろな矛盾に日々考えたり悩んだりしています。その中で、利用者さん本人との交流自体は楽しいです。
掃除、買い物代行、オムツ交換、デイサービスへの送り出し、お迎え、夕食作り、エトセトラ。
それらをしながら利用者さんと雑談するのですが、皆さん年の功で多岐に渡るお話が聞けるのです。
育児、夫婦のありかた、料理、短歌、外国の話、野菜の栽培、陶芸、福祉、戦時中の話、ペット、世界情勢。この前なんて、吉本隆明(吉本ばなな氏の父君)や小林秀雄の話もしました。出版界の草創期のお話や小説家の話も。
学校の先生だった方には俳句の作り方や季語について、百人一首や歴史について教えて頂きました。
認知症であっても、昔のことは覚えている場合が多いです。何回同じこと言われても何度でも一回目のように聞けばいいんだし。たまに詩的な面白いことも仰る。
そのような交流で、ひとつでも多くのつっかえ棒…自分を支えるもの、家族、友人、趣味などを持つことは、老いや病気、思うように体が動かず心も低空飛行になった時に大事だなと思いました。
寝たきりで体がだるい、肩が痛いと言っていた利用者さんに季語について教えを請うと、だるさを忘れ嬉々として教えてくれる。
寝たきりでありながら私の役に立ちたいと思ってくださってるし、好きな俳句について話すのが嬉しいのです。それは本当にゆたかなことではないでしょうか。
心と身体を包む魂、スピリットを信じる
コーマ(昏睡)状態にある人ですら、何かを伝えようとするしこちらも何かを学べる、といいます。コーマワークとは、アメリカのユング派心理学者でプロセス指向心理学を創設したアーノルド・ミンデルが提唱したワーク。
昏睡状態でもノンバーバルコミュニケーション(言語外のコミュニケーション)、ちょっとした動きに繊細になる交流方法で、その方の選択を助けることができるとしたのです。
私は本来、それは自分自身でできることが最強と思います。
セルフヒーリング、マインドフルネス、色々な言葉がありますが外部の神への信仰ではなく自らのスピリットへの信頼。その信頼は真善美によって強くなる。
そして結局は全体の真善美とスピリットへの信頼に繋がる。生きがい、人生の意味はその信頼によって輝きを増す。
苦難で小さく縮こまっている時の自分へエール
苦難は因果応報でもマイナスの引き寄せでもなく、真のゆたかさに気づく学びだと思うなら、インチキ霊能者から高い壺を買うこともない。前世からの業なんかじゃない。先祖の悪行のせいでもない。
お前のオールを任せるな(宙船:中島みゆきより)
渦中にいる時はそんな余裕ないと思うなら、平和な時に「過去の苦しい自分」「未来の苦難に喘ぐ自分」にエールを送っておく。
あなたは頑張っている、夜は明けるよと。そしてほんとうのゆたかさを蓄積してその時に備える。肯定感が低くても自分を嫌いでもいい、自分を応援することだけは忘れない。
過去と未来のエールが、縮こまった自分をほどいてゆく。そして誰かをもほどいてゆく。
ゆたかさとはなにか、を考えつつここまで書いてきました。心が動いて何かを書きたくなる。描きたくなる。歌いたくなる。踊りたくなる。誰かに伝えたくなる。そしてnoteをひらく。
あれ、ここが「ゆたかさ」のどまんなかだった。
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