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浅倉透の目に映る世界

言葉もなければ財布もないカリスマ。

ロックな精神性のようなものは感じる。
しかし何を考えているのかよく分からない。

透「そんなに通じてないって、思わなかったから」
(W.I.N.G.編 [ていうか、思い込んでた])

どうにかして透の感性に迫ることができないだろうか。
そこで本稿では、浅倉透の読解を試みる。


まえがき

この記事は、
「我儘なままへ向けて ソロ曲note連作」という企画の一環で執筆しました。
この企画の詳細については、以下の記事をご覧ください。

本企画における筆者の執筆担当アイドルと記事は以下の通りです。

園田智代子     公開済
桑山千雪      公開済
浅倉透       本稿

目的

緒言

企画の目的は、ソロライブに向けてアイドルの理解度を高めることだ。
シャニマスのライブを十分に楽しむためにはコミュの理解が欠かせなくなっている、という現状を鑑み、各アイドルの理解の一助となる記事が投稿されてきた。

しかしながら透のコミュは難解だ。
彼女は多くを語らず、コミュに登場するモチーフも捉えどころがない。

コミュのありのままを感じるだけでも素晴らしいが、
「考えるな、感じろ」
だけで済ませるのも勿体ない。
モチーフと心情は密接にリンクしている。
コミュにたびたび出てくるジャングルジムや海、星が意味するもの。
これを紐解くことで透の存在と価値観により近く迫れるだろう。

本題

以上のことから、本稿では浅倉透の「世界観」の理解を目的とする
「世界観」は以下の2つを意味する。
① 透をどのように描写しているか
② 透がどのように世界をみているか
これらを理解したうえで(第一章、第二章)、彼女のソロ曲「statice」を考察する(第三章)。

利用方法

本稿は参考書のように利用してもらいたい。
この記事1つに透の主要コミュの様々な考察情報を集約させ、いつでも参照できるものを作成した。

また、所々にオリジナルの解釈も盛り込んである。
参考書のコラムだと思って楽しんで読んでもらいたい。


構成

第一章:透をどのように描写しているかについて。
【目的】コミュのメタファーを読み解き、情報を整理する。

第二章:透がどのように世界をみているかについて。
【目的】彼女の感性を考察する。

第三章:透のソロ曲「statice」について。
【目的】一章と二章の考察をもとに、歌詞が持つメッセージを考察する。


第一章:メタファーで読み解く浅倉透

透のコミュはシャニマスの中でも特に難解な印象がある。
彼女のアウトプットの拙さゆえに、直接的に示される情報が限られているからだ。
その代わりに、間接的な情報の提示、つまりメタファーが数多く用いられている。
それらを整理することで、コミュにおける彼女の描かれ方を見出す。

なお、しばしば透ではなくノクチルとしてのメタファーを読み解くがご容赦願いたい。


1. 人工物

作為のメタファー。透は好ましく思っていない。

1-1. バス

時間通りに動くことから、社会規範の象徴と考えられる。

W.I.N.G.編において、透とシャニPの出会いはバス停の前。
このシーンは透の資質を冒頭で提示する上で理に適うものだった。

偶々Pが「時間通りに進む」バスに乗り遅れなければ出会うことのなかった、つまり「成長」「合理性」「社会のルール」のような概念に背くキャラクターとして象徴的に描かれた登場シーンだったといえる。

改めて浅倉透WINGには何が書いてあったのか 感想・読解・考察
(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2021/05/04/233330#fn-49d1e9c4)
ゆったりとした時間感覚のなかに、規律のアンチテーゼとして登場した
(W.I.N.G.編 [あって思った])

また、バスの定時性は「繰り返す日常」につながる。
それはきっと記憶にも止まらず、後ろへ流れ去ってゆくのだろう。

(pSSR【つづく、】浅倉透 [日誌出 ます])

このシーンの直後、バスとシャニPが運転する社用車が対比される。
一般人として乗るバスと異なり、社用車にはアイドルとして乗車する。
それは未来に向かって「飛ぶ」。

(pSSR【つづく、】浅倉透 [日誌出 ます])

1-2. “レンズ”

当初※は、本当の姿を歪めて映すものとして描かれていた。

(前略)透に対し、Pはペットボトルの水を渡す。透はペットボトルを見て、Pが「逆さに映ってる」と笑い、水を飲み干す。(ここで演出)空のペットボトル越しにPは透を見つめ、「真っ直ぐだぞ、透は」と呟く。

シャニマス考察 pSSR【途方もない午後】浅倉 透
(https://t1ghts.hatenablog.com/entry/2020/07/03/222413)
(pSSR【途方もない午後】浅倉透)

つまり、
①ペットボトルに水が入っていた=レンズの役割をもった場合
→ 実物と異なる像が見えた
②ペットボトルが空だった=レンズではない場合
→ 実物と同じ像が見えた
ということだ。

カメラレンズ越しにアイドルを世に知らしめる芸能界。
発信側のエゴによる編集・演出で実像は隠される。
自然体で生きる透に、その虚構はどう映るだろう。

生きてることは物語じゃない
(ストーリー・ストーリー エンディング  [家の物語の話])
虚構
(天塵 第3話 [アンプラグド])

透の生まれ持った圧倒的な魅力は、多くの人間の目を曇らせてきた。
彼女が幼馴染の輪から踏み出そうとしないのは、他人から理解されにくいことを(無意識に)自覚しているからなのではないだろうか。

透は、空の透明なペットボトルのように、何の偏見も挟まずありのままの自分を見てもらうことに喜びを見出している。
このことについては、第二章で述べる。

※なお【途方もない午後】は、イベントシナリオ「天塵」と同日(2020/06/30)に実装されたコミュであることを付記しておく。
したがって、レンズを作為のメタファーとして書いた。
しかし後々のLanding Point編や【殴打、その他の夢について】では、カメラに収められることで透が(良くも悪くも)生の実感を得ているシーンがみられる。
その説明は本稿では割愛し、以下のnote記事に譲る。

1-3. “檻”

様々な局面で不自由さを感じさせるもの。

1-3-1. ジャングルジム

不自由で退屈な人生を端的に表すシンボル。

内側から見ると、ジャングルジムは自分を取り巻くある種の檻のように見立てることができる。

改めて浅倉透WINGには何が書いてあったのか 感想・読解・考察
(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2021/05/04/233330#fn-49d1e9c4)
(W.I.N.G.編 [人生])

「のぼってものぼってもてっぺんに着かない」のであれば、ジャングルジムの“檻”の部分に閉じ込められ続けているということだ。

檻のごときジャングルジムをのぼることは苦痛で退屈な終わりの見えない人生そのものである。しかし、のぼりきった先にこの檻から解放される瞬間があるのだとすれば、のぼってみたい。だが透にはのぼり方ものぼるべき方向も分からない。
(中略)
だからこそのぼるために導いてくれる「誰か」の存在を透は強く欲しているのである。

改めて浅倉透WINGには何が書いてあったのか 感想・読解・考察(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2021/05/04/233330#fn-49d1e9c4)

なお引用元において、「のぼる」は以下のように定義されているので参考にしてほしい。

常識に縛られず、「成長」して「何者か」になるというある種の観念にも馴染まず、何かその先のビジョンが見えているわけでもないが、ただ純粋なまま、既に手元にあるもの(例えば過去)を肯定するためにもがくこと。

改めて浅倉透WINGには何が書いてあったのか 感想・読解・考察(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2021/05/04/233330#fn-49d1e9c4)

1-3-2. フェンス

大人と比べて、学生は自由なようで不自由だ。
親の庇護や校則の制限の下で生きている。
「車で旅行をして海に行く」ことなど高校生には不可能だ。

これに関してはノクチル4人は同じ立場だ。
以下のnoteで、ノクチルのサポートカードイラストではしばしば幼馴染4人がフェンスの内側にいることが指摘されている。

(sSSR【pooool】浅倉透)
(sSSR【チョコレー党、起立!】浅倉透)
(sSSR【ハシルウマ】樋口円香)

直線的に理解するならば、フェンスは窮屈な世界の象徴だろう。
彼女たちの奔放さゆえに、高校生の狭い世界とその日常の退屈さが浮き彫りになる。

また、曲線的に読み解けば、フェンスは4人の閉鎖性を表しているのかもしれない。
誰も外から入れない聖域はいつしか、誰も外へ出ることのできない牢獄へ。

どちらにせよ、彼女たちの空間と完全に自由な領域をフェンスが隔てているのは間違いなさそうだ。

1-4. 塵

「天塵」とは何を指しているのか、案外言及がされてこなかった。
① 空に浮かぶ星と海の夜光虫のアナロジー
② 花火のこと
せいぜい上記の2つくらいだ。

しかし筆者としてはシンプルに捉えている。
辞書で「」を引くと、「俗事・俗世間」という意味が出てくる。(デジタル大辞泉より)
上記の辞書によれば、例えば「塵界」の意味は「汚れた俗世間」となる。

つまり、空(=シャニマスにおいて「アイドルが輝く場所」を含意)を意味する「天」と、俗世間を意味する「塵」の対比だ。
天と塵が対比関係にあるという主張の妥当性は、「天“檻”」の存在を鑑みれば明らかだ。

「天塵」の内容に即して考えてみよう。
俗世間の象徴(塵)は、番組スタッフの恣意的な演出。
一方ノクチルがアイドルとして最も輝いていた(天)のは、番組ではなく、花火大会の誰も見ていないステージだ。

(天塵 エンディング [ハング・ザ・ノクチル!])

したがってノクチルが最も輝くのは、指図どころか観客の視線も存在しない場所、ということになる。

つまりノクチルは、最初のシナリオイベントのタイトルで
「俗世間(塵)から距離を取って(対比)アイドル活動をする(天)」
ことを主張していたと解釈できる。


2. 地球

日常のメタファー。幼馴染との関係や、等身大の透について。
主なキーワードは、惰性、退屈、拘束。

2-1. “海”

“海”は幼馴染の世界を意味すると考えられる。
なお、この場合の“海”は「一定量の水が溜まっているところ」を意味する。
海や湖、プールも含む。

2-1-1. “海”との距離 ― イベントシナリオのスチルから読み解く

以下のnoteで指摘があったように、イベントシナリオのスチルを並べると分かりやすい。

天塵
海へ出るつもりじゃなかったし
さざなみはいつも凡庸な音がする

海の中⇒海の上⇒海を見下ろせる場所と変化している

ノクチルのモチーフには海は欠かせない、そんな彼女たちが徐々に海から遠ざかっている。そしてその向かう先にはきっと空がある。要するに垂直方向の変化なわけだ。シャニマスにおいて空とはアイドルが輝くステージであるからして、これはもうノクチルが着々とアイドルへのステップを登っていると言って過言ではないだろう。

『さざなみはいつも凡庸な音がする』論
(https://note.com/marunowi/n/ndaa31162e33c)

ちなみに「さざなみはいつも凡庸な音がする」では、4人が掃除をした。
お寺の境内を担当した透と雛菜に対し、小糸と円香が掃除をしたのは海岸。
つまり、幼馴染の世界の方だ。
端的にいえば、ノクチルにおいて幼馴染の関係性に拘泥しているのは小糸と円香だという示唆が読み取れる。

2-1-2. “海”の質 ― 塩分濃度から読み解く

ノクチルにおける“海”は、従来から「幼馴染の世界」として理解されてきた。
透にとっては、「ありのままの自分を理解してもらえる世界」として機能する。
(これら2つの世界を、ここでは「原点世界」と称することにする)

本稿ではさらに踏み込んで考察を行う。
ここで新しい仮説を導入する。
それは、
“海”の塩分濃度の高さが「原点世界」の純度の高さ
という仮説だ。

例を挙げれば、
「天塵」で海(塩水)に入ったシーンは幼馴染の世界が安定して存在していて、
「天檻」でプール(淡水)に潜ったシーンは外部の介入が加わって幼馴染の世界が脅かされていた
ということになる。

イメージしやすいように説明を加えると、
海水の塩分濃度に近いほど、原始の海の「自然さ」に近い
といえようか。

以下、いくつかの事例を挙げてこの仮説を検証する。
塩分濃度の高い順にみていこう。

2-1-2-1. 海(塩水)

天塵では、オープニングとエンディングで海にふれている。
そのどちらも、混じりけのない4人だけの世界だ。

オープニングでは、幼少期の4人が将来の話をする。
お金を貯めて車を買い、旅行に行くことを約束する。
肝心の行先を聞かれた透は答える。

4人以外存在しない究極の目的地
(天塵 オープニング [ハウ・スーン・イズ・ナ→ウ])

一方エンディングでは、アイドルになった4人が海辺の花火大会でパフォーマンスを披露する。
しかし観客は花火に夢中で、彼女たちのことは「誰も見てない」。

(天塵 エンディング [ハング・ザ・ノクチル!])

結局のところ「天塵」は一貫して幼馴染の世界を保っていた。
アイドルとしての役割を放棄してまで。
生放送でアイドルの責務よりも幼馴染の絆を優先した上に、ラストのパフォーマンスに観客は存在しない。

冒頭で海を目指しラストで海に入った彼女たちは、透き通る清水のような純粋さを保った。

2-1-2-2. 湿地(汽水)

G.R.A.D.編では、透の「原点世界」が脅かされる。

クラスの委員長に文化祭のナレーションを頼まれた透。
委員長からの連絡にすぐ返信することを約束する。

自分にはできない努力をしている委員長から頼られたことは、本当に嬉しかったのだろう。

浅倉透GRADには何が書いてあったのか 読解・感想・考察
(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2022/05/04/232620)
「息してるだけ」からの脱皮
(G.R.A.D.編 [どうしたいのかとか、聞かれても])

連絡にすぐ返信すること、それが浅倉なりの「ちゃんとやる」の形だったわけです。

それは刑期にも似た人生の終わり【浅倉透 GRAD編】
(https://note.com/ame_78/n/n635e0a5a4ab7)

ダンスレッスン中、透は委員長からの着信を確認する。
この件に加えて、やる気が感じられない普段の態度をふまえ、レッスンは中止。

(G.R.A.D.編 [どうしたいのかとか、聞かれても])

「100周したら わかりますか」
透は河原を走ることにした。
それは彼女にとって希望だった。
打ち込めるもののない、虚ろで退屈な人生からの脱却。
努力すれば分かるかもしれない。
他の人が努力をする理由も、自分の未来も。

しかし、目的意識のない半ば自暴自棄な「暴走」は、行き先を失った。

(G.R.A.D.編 [どうしたいのかとか、聞かれても])

Pの言うとおりにアイドルをやることがWING以来の透にとっての「のぼる」ことだった。しかしアイドルを続ける中でいつからか自分の主体性の在りかに疑問を抱いてしまった。恐らくそれがGRADでの透の葛藤の原点だ。
そして他人はもっと内発的な動機で、しかもずっと痛みを背負いながら努力しているのだと気づき、委員長から認めてもらえたことをきっかけに自分の人生に目的意識が欠けていたと自覚する。
自分でも諦めかけていた努力をやってみることで、ずっと以前から抱いていた周囲に対するコンプレックスと疎外感を解消できると考えた。しかし委員長の葛藤を感じ取り、実際には努力そのものが正しいわけではないのかもしれないと気づく。そうして思い悩むうちに何も考えていなかった頃の自然体の自分を見失った。

浅倉透GRADには何が書いてあったのか 読解・感想・考察
(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2022/05/04/232620)

G.R.A.D.編の終盤、シャニPは透を湿地に連れて行った。
『川の水と海の水が混じりあう河口付近』で、透は呟くように話し始める。

海水と淡水が混ざりあって汽水になるように、葛藤したアイデンティティが溶け合って姿を失っていった。

ありのままの自分(海水)
(G.R.A.D.編 [息したいだけ])
のぼってる自分(淡水)と、自己の喪失(汽水)
(G.R.A.D.編 [息したいだけ])

2-1-2-3. 湖(淡水)

「海へ出るつもりじゃなかったし」のあらすじはこうだ。

年末年始を家族で過ごすノクチルの4人。
各々の自由な日常のなかで顔を見せる「アイドル」。
テレビ、雑誌、SNS、そしてシャニPからの仕事の連絡。
(第4話 [汽水域にて])
テレビ番組に出演することになったノクチル。
内容はアイドル同士の騎馬戦だ。
出演にあたり、シャニPにひとつの条件を提示される。
「今回、優勝してきてほしい」
(第5話 [ココア・説教・ミジンコ])

そしてシナリオを通じてたびたび差し込まれる、“海”を渡る帆船の情景。

ここでひとつ注意。
このシナリオは一見、海に漕ぎ出してゆくストーリーにみえるがそうではない。
実際は湖を海だとみなして出航している

(海へ出るつもりじゃなかったし 第6話 [あけの星に口づけ])

湖は、どこからか、もしくは最初からか、海ということにされていた。これは子どもたちが海だと誤解したのではなく、意図して海であるということにしたのだ。(太字筆者)

シャニPのための『海へ出るつもりじゃなかったし』の元ネタ『ツバメ号とアマゾン号』内容要約
(https://note.com/maxell011/n/n2684c04f55ce)

番組出演にむけて騎馬戦の練習を積んだ4人。
本番前に雛菜は爪を切った。
そして迎えた本番では、カメラに長く映るよう立ち回る。
(エンディング [うみを盗んだやつら])

前回の「天塵」まで、4人はアイドルとして活躍することを全く意識していなかった。
しかし本シナリオでは、シャニPから突きつけられた条件(=優勝)によって、否が応でも「アイドル」と向き合うことになった。

優勝は、「アイドル」を主体的に感じてもらうため
(海へ出るつもりじゃなかったし エンディング [うみを盗んだやつら])

ある種の努力の強制と泥臭い工夫。
いつもの懈怠の雰囲気はどこにもない。

以上のことから推察するに、本シナリオは
「ノクチルにとって初めて、4人の世界を崩してアイドル活動をする」
という内容だった。
この一連の経験が「湖上を進む船」の心象映像で表されている。

(海へ出るつもりじゃなかったし)

つまり、外部からの介入で幼馴染の世界の純度が下がった経験が、「淡水」を用いて示されている

このように解釈すると、エンディングのタイトル [うみを盗んだやつら]の意味を2通りに読み解ける。

① うみ(=湖、他者介入のあるアイドル世界)を盗んだ(=支配した)やつら(=ノクチル)
② うみ(=海、純粋な幼馴染の世界)を盗んだ(=介入し純度を下げた)やつら(=ノクチル以外の人々)

本シナリオの「うみ」は、「天塵」の純粋な幼馴染の世界を表す海とは趣旨の異なる“海”だ。
段々と内輪の外枠が崩れてゆく。

2-1-2-4. プール

最後に、プールを考えてみよう。
消毒剤として塩素が含まれていることからも分かる通り、もはや自然に存在しない人工の水だ。
外部の干渉が相当なものになっていると予想できる。

「天檻」を取り上げる。

このシナリオは強烈な幕開けだ。
ノクチルはあるパーティーに招かれる。

樋口の繊細さが危険を察知する
(天檻 オープニング [やつらのゲーム])

利益と名誉への欲望が渦巻き、カネとコネの臭いが鼻を衝くかのような業界人のトーク。
様々な俗人がノクチルに近寄ってくる。

合理も非合理も、ノクチルを規定するものはない
(天檻 オープニング [やつらのゲーム])

あらゆる存在は、言葉にした途端にイメージが固定される。
ノクチルを無鉄砲と言い表せばノクチルは無鉄砲だ。
しかしエモいと言えばエモくなる。
放たれた言葉が対象の見方を一意に固定し、理解の揺らぎを拒む。

何かを語るだけで対象のイメージは固定され、自由は阻害される。
キャラから逸脱した振る舞いは許されなくなる。

「天檻」では、他者がノクチルを一方的に語ることの暴力性が手短に、されど克明に描かれている。
このような「語りの暴力性」については下記のnoteを参照してほしい。

パーティー会場で俗物の言葉がなだれ込み、透は唐突にプールへ飛び込む。
語る言葉を持たない彼女なりの、拒絶の表明。

さよなら、透明だった僕たち
(天檻 オープニング [やつらのゲーム])

透がプールに飛び込んだ理由をもう少し掘り下げてみよう。

ところで、このコミュ[やつらのゲーム]は恐ろしいタイトルだ。
結論から言うと、このコミュにおけるゲーム (game) は少なくとも3つの意味を持つと考えられる。

1つ目はそのままの意味で、「試合」の意。
「パーティーの主宰」の「―すっかり、あの子たちのゲームじゃない」はこの意味だ。

2つ目は「戯れ」の意。
パーティー中に唐突にプールへ飛び込むことを指している。

3つ目は「獲物」の意。
コミュタイトルの[やつらのゲーム] の「ゲーム」は、主にこの意味だろう。

つまり、透は周りの業界人(=やつら)に「獲物」として利用される予感がしたのだ。
「やつら」はキャラやイメージを勝手に押しつけてくる。
「語りの暴力性」を敏感に察知したゆえに、 “海”=「幼馴染の世界」へと飛び込んだ。

しかしその“海”は淡水どころか人工の水であるプール。
幼馴染の世界はめちゃくちゃにかき回され、純度は急激に低下している。
冷静に考えれば、潜ったところで何の解決にもならないだろう。

それでも原点の純度を守るため、透の必死の抵抗は必然だった。
とても大きい、大切な海だから。

(天檻 エンディング [それでもいましか見えないよ])

2-1-3. “海”の総括

「さざなみはいつも凡庸な音がする」では、“海”は幼馴染の世界のメタファーとして理解されていた。

一方、「海へ出るつもりじゃなかったし」の考察には、“海”をアイドルの世界のメタファーとして捉えているものもあった。
確かに、海へと漕ぎ出すイメージが押し出されている本シナリオ単体では、そのような解釈で読むこともできる。

筆者の意見としては、どちらも正しいと思っている。
“海”はアイドルの世界であり、幼馴染の世界でもあるのだ。
一見矛盾している2つの意見が出るのは、
ノクチルが幼馴染の世界をアイドル活動にそのまま持ち込んでいる
という特殊性ゆえだ。

彼女たちにとって、幼馴染と所属アイドルユニットは同一だ。
そこに区分は存在しない。
あるのは身内か他者かの区別のみ。
そしてそのグラデーションが塩分濃度で表されるという可能性を本項で示した。

2-2. 捕食者と被捕食者

「食うか食われるか」は弱肉強食のアイドル世界における勝者と敗者を喩えている、というわけではなさそうだ。
むしろ、他者への影響力の区分に近い。

G.R.A.D.編で透は「のぼる」ことに疑問を抱き、自然体の自己を肯定できなくなった。

(G.R.A.D.編 [息したいだけ])

今までは生きているだけでは人間社会に受け入れてもらえないため、努力などによって認めてもらう必要があると考えていて、それができない透は孤独を深めていった。しかし干潟に行ってから透の価値観は全く変わった。人間社会も結局は干潟のような生命の織り成す連環の中にあると捉えれば、自己変革を行うまでもなく当然どこかに自分の居場所はある。そう信じられるようになったことが窺える。

浅倉透GRADには何が書いてあったのか 読解・感想・考察(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2022/05/04/232620)
芸能界に大きな影響力を持つ業界人に「獲物」にされた意識が残る
(天檻 第6話 [くじらを捕まえろ])

自らをミジンコになぞらえ、クジラに食われた感覚を持つ透。
そんな彼女はその後、アイドルとして頭角を現す。
もはや彼女のカリスマ性は隠し立てできるものではなくなった。
周りから見れば、彼女こそがクジラなのだ。
(この構造は本稿3-2-2.で再度登場する。)

ミジンコからクジラへ。

いつの間にか「のぼって」いたのだ。
芸能界という名の生態ピラミッドを。

(Landing Point編 [火])
(天檻 エンディング [それでもいましか見えないよ])


2-3. 風

【途方もない午後】で、透は木陰で寝そべっていた。
快い風が吹くからだった。

平日の午後に木陰で昼寝をする女
(pSSR【途方もない午後】浅倉透 [午後1])

しかし、シャニPと共に木陰に入った途端に風が止んでしまう。

風を、人間関係の暗喩とみる。

つまり、透はじっと木陰で隠れていても誰かに見つかり、勝手に人を引き寄せ、仕事が舞い込んでくる。そのことを【風が吹く】と喩えている。

とすれば、対照的にプロデューサーは、自ら動いて仕事をとってこなければならない側の人間である。風よ、来い。などと楽をしようとしても無駄だ。足を動かし、工夫をしなければ持つ者に追いつけない。

【シャニマス】途方もない午後の暗喩を解きまくって浅倉透の魅力をアレコレ掘る
(https://note.com/okusunnokadan/n/n5fafb116be55#UHKkn)

つまり風は「他人から注目を集める才能」のことだ。

透はあらゆる人を惹きつける。
アイドルにおいて最高の資質だと思うかもしれない。


しかしプロデュースをする立場からするとそうではないのだろう。
本人が望まない仕事で不幸になってしまうかもしれないし、紋切り型のキャラ付けでただ消費されて終わるかもしれない。
このシーンが語るのはそういうことではないだろうか。

2-4. 重力

日常のメタファーだと考えられる。

【ハウ・アー・UFO】を取り上げる。
概要としては、透がUFOを探そうとする、それだけだ。
空にカメラを向けたり、宇宙人との交信を試みたりする。
そして3つ目のコミュ [うわの宙] で、UFOだと思われていた正体不明の光は人工衛星である可能性が示される。

透は、心なしか悲しげな声色で「そっか」と呟く。

その後、宿題に手を付けた透は人工衛星の解説文を読む。

(sSSR【ハウ・アー・UFO】浅倉透 [うわの宙])
(sSSR【ハウ・アー・UFO】浅倉透 [うわの宙])

人工衛星は、「どっかに行きたい力と行けない力で ぐるぐる周る星」と説明されていますが、これは分かりやすく日常(地球)と非日常(宇宙)の間で漂っているノクチルであり透自身のメタファーになっています。

シャニマス考察 sSSR【ハウ・アー・UFO】浅倉 透
(https://t1ghts.hatenablog.com/entry/2020/09/13/204932)

「宇宙」の意味合いについては、次の項で説明する。


3. 宇宙

非日常のメタファー。アイドルの世界について。
主なキーワードは、自由、胸の高鳴り、自他の認識の乖離。

3-1. UFO

「2-4. 重力」で取り上げたように、非日常のメタファー。
もう少し掘り下げると、UFOは
① 正体不明
② 重力を振り切って自由自在に移動可能
という特徴を持つ。

【ハウ・アー・UFO】で透だけがUFOに強い興味を示した理由を考えてみる。

「① 正体不明」については、透の未知への関心の強さが理由だろう。
ノクチルで最初にアイドルになったのもそうだが、彼女たちの行動の起点はいつも透だ。
これまで行ったことのない世界へ、誰よりも先に走り出してゆく。

(天塵 第1話 [屋上])

「② 重力を振り切って自由自在に移動可能」について、透の自由への希求は激しい。

Landing Point編では、透は大手デベロッパーの広告に抜擢される。
しかしその代償として自由が奪われることになった。
シャニPから一般人との写真撮影を注意され、スタッフからは違約金の噂話。

億単位の影響力を自覚した透がシャニPに「……億、ある?」と言ったのは、まさに不安の吐露だった。

(Landing Point編 [火])

なお、この台詞は【国道沿いに、憶光年】と合わせて考察したnote記事があるので参考にしてほしい。

本来の「胸いっぱいに考えられるだけ考える」という意味は、「億」の「亻」を「忄 (りっしんべん)」に置き換えた「憶」に充てられることとなった。(Wikipedeia「億」より引用)
(中略)
まとめると「億、ある?」は「アイドルではない透を思う気持ち がどれくらい沢山ある?」と読み直せます。

シャニマス感想 【国道沿いに、憶光年】の3つの疑問点
(https://note.com/kaibunshowing/n/ncd351ea3f704)

雁字搦めに縛られた透は映画館に逃避する。
しかし追い打ちをかけるように、映画館が閉館される。
しかもそれは、自らが広告塔を務めるデベロッパーの開発事業によるものだった。

透が広告塔を務める会社が、透の「オアシス」を奪う
(Landing Point編 [オエイシス、イエー])
大切なものを焼き尽くす自分の「火」
(Landing Point編 [オエイシス、イエー])

透は感情を「爆発」させる。

(Landing Point編 [キッチンできみは火薬をまぜる])
(Landing Point編 [キッチンできみは火薬をまぜる])
映画館で声を張り上げる透
(Landing Point編 [火])

以上、①で未知への関心を、②で自由への希求を考察した。

重力という縛りを振り切る未知のUFO。
透が憧れるのは当然の帰結といえる。

3-2. 星

星は、空(=アイドルが輝く場所)にあることから、アイドルとしての透にフォーカスしている。
そしてその光の強さがアイドルとしての影響力と解釈できる。

3-2-1. 昼の星と夜の星

【10個、光】では、星が見えるかどうかがクローズアップされる。
ある夕方、透はシャニPとバスに乗り、車窓から見える家々の窓の光と降車ボタンの光に目を向けた。

「夜なら見えるのに」と続く
(pSSR【10個、光】浅倉透 [2こめ])

シャニPは「……昼光ってるもの―?」「あぁ……―」と呟き、透と会った日のことを想起する。

「ちゃんと、伝えられるかな」
「もう光ってるもののこと― 昼の間も、ちゃんと光ってもののことを」
というモノローグをはさみ、バスを降りる2人。

(pSSR【10個、光】浅倉透 [2こめ])

言うまでもなく、光や輝いているものはアイドルのメタファーであり、Pが語る「昼の間も光っているもの」は透のこと。
透は「昼間光っているものに、夜にならないと気づかない」が、Pはその輝きを見出してスカウトして、アイドルという舞台に引っ張り上げた。この日常⇔非日常という展開に、昼(光っているものが埋もれている時間)⇔夜(光っているものが輝きだす時間)が対応していると考えると、その狭間である夕方は等身大の透とアイドルとしての透が重なり合った舞台になっている。

シャニマスコミュ考察 【10個、光】 浅倉 透
(https://t1ghts.hatenablog.com/entry/2020/05/24/151156)

3-2-2. 火星と太陽

【国道沿いに、憶光年】に登場するモチーフ。
透はかつて、火星を太陽の別名だと思っていた。

「2-2. 捕食者と被捕食者」におけるミジンコとクジラの関係と構造は同じ。透本人はクジラの自覚が無いが、周囲の人達は透をクジラとみなしていた。

つまり結論としては、透は自覚のないまま太陽のような存在になっていた。

ミジンコとクジラの関係とパラレルになっている
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [火の星])

星→火星→太陽の変遷は、透の成長を表す。

火星のメタファーによって、前項の【10個、光】で取り上げた星々を凌ぐ大きさになったことが示されている。
なお、【国道沿いに、憶光年】の最終コミュのタイトルは [1個、光] だ。※

ひいては周りを焼き尽くす太陽に。
Landing Point編で用いられた「火」や「爆発」が示すのは、「日常の破壊」だった。
彼女にとっての日常が“海”であることから、水と火という真逆のモチーフが日常の安定と破壊を司る

また、極寒の火星と灼熱の太陽という対比が面白い。
おそらく、退屈な人生観を持っていたかつての透と、色々な壁にぶつかりながら「のぼって」ゆくアイドルとしての透の違いを鮮やかに表しているのだろう。

なお、4thライブの過去の自分への手紙に、火星への言及がある。
自分が太陽になっても、火星だったの頃の平穏を思い出そうとしていることが読み取れる。
透コミュ特有の甘やかなノスタルジーを感じる。

“日”曜に意図を感じざるを得ない
(https://twitter.com/tezwitter/status/1518997710652592128)

何より、太陽は「のぼる」ものだ。
そして沈む。
太陽は、透の、そしてノクチルの刹那性が凝縮されたモチーフだといえる。

(天檻 エンディング [それでもいましか見えないよ])

※余談だが、【10個、光】の [1こめ] で、透が『一生のうちにやりたい10のこと』というアンケートに答えるシーンがある。
つまり「光」が「叶えたい夢」を示唆している。
一方【国道沿いに、憶光年】の [1個、光] は透がシャニPと一緒にジャングルジムにのぼるコミュだ。
したがって透は「シャニPと一緒にジャングルジムにのぼる」というかねてからの夢を叶えた、という考察がある。


第二章:浅倉透の感性

本章では、浅倉透の価値観や行動原理について考察する。

1. 自然体

透は自然体を尊ぶ。

自然体とは、在り方も目的も指図されることのない聖域。
ありのままの海を肯定し、空へとのぼってゆくのだ。

第一章で確認した例を挙げると、「天檻」においてパーティー客が口々にノクチルを語るシーン。
透が唐突にプール(⊂ “海”)に飛び込んだのは、「語りの暴力性」によって現実(=自然体)が歪められるからだった。

また、透が自然体を重視していることを最も端的に描いているコミュが【国道沿いに、憶光年】だ。

シャニPはアイドルを守るために諸々のことを心配する。
しかしそんな彼の姿勢を透は負担に感じ始める。

(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [見上げてたこと])
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [見上げてたこと])
自然体の自由さを想起させてくれる幼少期の記憶
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [見上げてたこと])

そしてすべてをぶつける。
傘や靴といった身を守るものをすべて取っ払い、ありのままの姿で向き合う。
これが浅倉透のアイドルの流儀なのだ。

(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [裸足でこい])
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [裸足でこい])

透はこれまでずっと悩んできた。
彼女の自然体を乱す要因に。
W.I.N.G.編ではシャニPとのディスコミュニケーションに、
G.R.A.D.編では「のぼる」ことの意義に、
Landing Point編では社会のしがらみと自らの業に。

透はもう迷わずのぼることにした。
あらゆる干渉を振り切り、不可侵の自然体を手に入れる—

(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [裸足でこい])
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [裸足でこい])

話が少々横道に逸れるが、なかなか言語化しづらいノクチルの「エモさ」は、ある種の「社会性の欠落」に起因していると考えられる。

社会の一員である人々は、多かれ少なかれ影響を及ぼしあい、「間違い」を修正し、元の姿を変えてゆく。

一方ノクチルは、大衆から距離を取った純粋な感覚、剥き出しの自然体が信条だ。
それは自然体が保てない社会で動かずに立ち続ける気高さ。
あるいは多くの人にとって見果てぬ夢に終わった青春の甘美な懐古。
ノクチルのこういったところにファンは魅せられるのだろう。


2. 公平性

透は公平性に重きを置く。
それは人間と他の生物であっても関係なく、個別の命を平等に重んじる。

透はそんなミジンコに「どきどき、してるか」と共感し語りかけてみせるのである。いつもの浮世離れした宇宙人的発言と突き放すことはできるが、ここには一貫した透独自の姿勢が表れている。すなわち「個」への分け隔てない視線だ。WINGシナリオでは社会通念とは距離を置く透の生き様が描かれたが、彼女の興味の対象もまた人間社会の常識に縛られることはなく、ただそこにある生命をフラットに見つめているといえよう。なお同様のテーマは比較的初期のコミュだと「天塵」で缶のコーンスープを飲んだ際に底に残った粒を気にするシーンや、「10個、光」でバスから見た個々の家の明かりに感動するシーンなどで繰り返し描写されている。

浅倉透GRADには何が書いてあったのか 読解・感想・考察(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2022/05/04/232620)

2-1. 偏見のなさ ― 透の受け答えの考察

透はぼんやりしている。
話しかけられれば「え?」、話し始めるときは「あー…」が頻発する。

しかしなぜ透がいつもぼんやりしているのか、考えたことがあるだろうか。
これまでの「公平性」に関する議論から応用して、その理由は
透に一切の偏見がない
ということだと筆者は考えている。

普通の人間は多かれ少なかれ偏見を持っている。
特定の事物に対し、客観的な検証を経ず即座に決めつけをする。
しかし偏見は、パターン化による意思決定のショートカットだ。
偏見のおかげで脳に割くリソースを節約し、素早い判断と応答が可能になる。

逆に、一切の偏見を持たないとどうなるのか。
視覚や聴覚から脳に入る情報量は膨大だ。
そのすべてを逐一検証していては即断などできない。
パターン化、つまり仮初の優劣判定や優先順位付けが一切無い場合、人は全く動けなくなるだろう。

迷いがなければ、選択もない。選択がなければ、すべてはそう在るだけだ。

『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA) p.348, 伊藤計劃, 早川書房 (2010)

つまり透は、
世界をありのままに見るという行為に脳のリソースを割いているゆえに、アウトプットの処理が追いついていない
と考えることもできるのではないか。


3. やさしさ

公平性に立脚しているように感じる。
非利害関係者への親切が目立つ。

3-1. 委員長(G.R.A.D.編)

透にとっては何でもないような生き様・接し方に救われるケース。

G.R.A.D.編での委員長とのやりとりはこれに該当する。

学校の発表のナレーションを引き受けた透。
しかしこれはオーディションイベント「G.R.A.D.」の準備期間の出来事だ。
学校もアイドル活動も、まったく平等に扱う透の価値観が前提にある。

(G.R.A.D.編 [どうしたいのかとか、聞かれても])

透は委員長へのリスペクトを隠すこともない。
委員長は良い成績のために「めっちゃしんどい」努力をしている。
「息してるだけ」の透にとって、委員長は「偉い人」なのだ。

(G.R.A.D.編 [携帯が鳴ってる])

換言すれば努力や必死さが自分には足りず、それを持っている委員長の方が高く評価されるべきだと考えていることが明確になる。その方が公平だと考えているのかもしれない。

浅倉透GRADには何が書いてあったのか 読解・感想・考察(https://touseiryu.hatenablog.com/entry/2022/05/04/232620)

3-2. 新人アシスタント(【国道沿いに、憶光年】)

無言で行動に移し、いつのまにかユーモラスな場を作り上げるケース。

【国道沿いに、憶光年】では、控室にお寿司を運ぶ新人アシスタントが出てくる。
しかし彼女はお寿司を全て倒してしまうミスをする。

それを目撃した透は「大丈夫ですか……」と声をかける。
平謝りするアシスタント。
すると控室の外にいる撮影スタッフから声がかかり、この惨状が見られてしまいそうになる。
透はアシスタントに何げなく伝えた。
「行こ」
その表情は微笑んでいた。

見つからないうちに寿司を食べきってしまう手段を選んだのだ。

(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [火の星])
マイペースで無意識な救い
(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [火の星])

直接相手を気遣う言葉をかけるような細やかさではなく、
何も言わずただ最善の行動をとる。
透のユーモラスでおおらかな世界観に巻き込んでゆく、非常に高度な対処法といえる。

ちなみに、「天塵」の生放送で突然童謡を歌い始めたのもこの類型に当てはまる。

3-2. おばば(線たちの12月)

圧倒的な直感力を発揮するケース。

イベントシナリオ「線たちの12月」では、283プロのアイドルで火の用心の夜回りをすることになった。
巡回中、透は、認知症と思しき老婆に孫と認識される。
老婆「—おかえり」「よく……帰ってきたねぇ」

「—ただいま」
(線たちの12月 第6話 [キャロル])

このように対応した理由を咲耶から聞かれた透は、こう答える。

(線たちの12月 エンディング [ぼくたちはごみのように美しく])

透は、相手の求めることを咄嗟に直感し行動に移すことができる。
これこそが、従来曖昧に認識していた「カリスマ」の詳細なのではないだろうか。
先天的なアイドル適性。
彼女が「息してるだけ」で大成する理由が垣間見える。


第三章:「statice」で描かれるもの

1. 時系列の確認

浅倉透のソロ曲「statice」(以下、「本曲」)が収録されている「COLORFUL FE@THERS -Sol-」の発売日は2021年3月10日
この時点で導入されているコミュを以下にまとめる。

・プロデュースシナリオ:
W.I.N.G編まで(G.R.A.D編の追加が2021年4月20日
・イベントシナリオ:
「海へ出るつもりじゃなかったし」まで(「さざなみはいつも凡庸な音がする」の追加が2021年8月31日)
・pSSR:
【途方もない午後】まで(【つづく、】の追加が2021年4月21日
・sSSR:
【がんばれ! ノロマ号】まで(【チョコレー党、起立!】の追加が2022年1月31日)

推測になるが、本曲の作成時点で内容が視野に入っていたコミュは、ソロ曲発売直後の
・イベントシナリオ「さざなみはいつも凡庸な音がする」
・pSSR【つづく、】浅倉透
までだろう。
より厳密な考証を目指す諸氏には参考にしていただきたい。

しかし本稿では、本曲発表後のコミュの知識を総動員させて歌詞を考察していく。

2. 歌詞

第一章、第二章の議論をふまえ「statice」の歌詞を考察する。

その前に、タイトルの花、スターチスの花言葉を確認しておく。

スターチス全般の花言葉は「変わらぬ心」「途絶えぬ記憶」

花言葉-由来 スターチスの花言葉
(https://hananokotoba.com/statice/)

あらかじめ言っておくと本曲は、
透がシャニPと共にアイドルとして「のぼる」歌になっている。
したがって、スターチスの花言葉の「途絶えぬ記憶」はジャングルジムの夢のことを指すと思われる。

以下、本曲の歌詞を紐解いていこう。

2-1. 

に吹かれて漂うように
行き先なんてわからないまま
夢を見ていた 名前のない物語

「statice」

2-1-1. 風

風については第一章 2-3.で取り上げた。
透にとって風とは、「他人から注目を集める才能」のことだ。

「風」の後は「漂うように 行先なんてわからないまま」と続く。
圧倒的なカリスマ性を持て余し、何かに真摯に取り組むことのなかった透の虚無感、加えて彼女のゆったりとした雰囲気を巧みに表している。

2-1-2. 名前の無い物語

シャニPと一緒にジャングルジムをのぼった幼少期の透。
しかしふたりとも互いの名前を知らない。
これこそが「名前の無い物語」なのだろう。

「天檻」の解釈を持ち出せば、「名前の無い物語」は
「語りの暴力性」が存在しない、真に自由な状態
といえる。

2-2. 

移りゆくその季節の中で
どこかで聞いた懐かしい音
こんな気持ちを 人はなんて呼ぶのかな

「statice」

2-2-1. どこ

以下のnoteにこのような考察がある。

「どこ」が「どこ」なところで、サビの“何処までも 遠くまで”の「どこ」は「何処」なところから考えてもこの部分はまだ幼い時の浅倉の気持ちを歌っていると考えるのが一番自然。

ここらの時間が結構飛んでる辺りに浅倉の抱え続けた想いの年月が偲ばれる。

浅倉透 statice についての考察っぽい何か
(https://note.com/souka_knight/n/n1e138778d696)

2-2-2. 懐かしい音

「音」は何を示しているのか。
そしてなぜ過去を思い出す手がかりが視覚情報ではなく音声なのか。
考えてみよう。

シャニPとの思い出を胸に抱える透。
彼女がそれを想起したきっかけは、スカウト中のシャニPの一言だった。

「俺が、行くからさ!」で、セピア色のジャングルジムのカットが挿入される
(W.I.N.G.編 [あって思った])

また、実のところ透は、音声的に記憶していることが示唆されている。
【つづく、】では、彼女はテープレコーダーに声を吹き込み、未来へメッセージを残す。
つまりこのコミュの主旨は「音を通じた時間の超越」だ。

未来から過去を想起する方法として「声」を選んだ
(pSSR【つづく、】浅倉透 [ わる時間])

以上、透が音声を重視していること、「懐かしい音」がシャニPの一言である可能性を示した。

2-3.

のように深く どこまでも澄んでいる その音が
名前をくれた 気づけば裸足のまま 駆け出してた

「statice」

2-3-1. 海

第一章 2-1. の通り、海は「原点世界」を表す。

そして
「どこまでも澄んでいる その音が」
と続く。

2-3-2. 名前

前項で触れた「どこまでも澄んでいる その音」は、透のまさに原体験。
それが「名前をくれた」。

本項では「名前」の正体を提示する。

名前については【途方もない午後】で言及がある。

「全部、一緒」「私のこと 指してる音」
(pSSR【途方もない午後】浅倉透 [所感:])
「みたいなこと、ないじゃん」
(pSSR【途方もない午後】浅倉透 [所感:])

元々「透」は、ありのままの自分を指す音にすぎなかった。
しかし今の「透」は、音だけではないアイドルとしての意味を纏っている。

しかしアイドルになったことで、客観的な自分が目に見える形で生まれた。それはイメージだ。透の主観の世界にいない外側の人々の。
(中略)
そこでは透を指しているはずの音が、透を指していない

【シャニマス】途方もない午後の暗喩を解きまくって浅倉透の魅力をアレコレ掘る
(https://note.com/okusunnokadan/n/n5fafb116be55#UHKkn)

透はアイドルの自分をどう受け止めているのだろうか。

そこでPは、「なんて呼んだらいいかな?」「俺も、できるだけいい音で呼びたいなって 透のこと」と聞きます。(中略)
アイドルという世界に引きずり込んでしまった者として、透に寄り添おうとするPの思いの表れです。(中略)
そして、Pが内心で「透」と思った通り、「透で」という返事があり、「いい音だよね、なんか」というセリフを経て、コミュは幕を閉じます。

シャニマス考察 pSSR【途方もない午後】浅倉 透
(https://t1ghts.hatenablog.com/entry/2020/07/03/222413)

そして「いい音だよね」。この解釈を最後にして締めくくろう。

この言葉に、透のすべてがある。
ありのままの透の心を表しているように思える。
主観的な今までの自分もいる。客観的な自分もいる。それでもそれらはすべていい音だ、と言っているのだ。

【シャニマス】途方もない午後の暗喩を解きまくって浅倉透の魅力をアレコレ掘る(https://note.com/okusunnokadan/n/n5fafb116be55#UHKkn)

以上【途方もない午後】でみた通り、透はアイドルとしての「名前」を好意的に捉えている。

2-3-3. 裸足

第二章 1. 自然体を参照。

(pSSR【国道沿いに、憶光年】浅倉透 [裸足でこい])

2-4.

さよなら「風」もう行くよ 飛べるかわからないけど
行きたい場所を その理由(わけ)を 心が見つけたから
足跡さえないへ それがどんな未来でも
きみが隣にいる それだけで 何処までも 遠くまで

「statice」

2-4-1. さよなら「風」もう行くよ

ここに透の成長が凝縮されている。

2-1-1. で述べたように、「風」は透の特別な才能の象徴だ。
そして「風に吹かれて漂うように 行き先なんてわからないまま」だった。主体性も目的意識もない生き方だったことは否めない。

しかし、「風」と決別し「行く」ことにした。
透は決意をもって未来へ踏み出した。
「行きたい場所をその理由を心が見つけたから」。

成長した透は「どこ」かの懐かしい音を胸に秘め、「何処」までも遠くまで走り出す。

(天塵 第1話 [屋上])

2-4-2. 空

何度か触れた通りシャニマスにおいて「アイドルが輝く場所」を意味する。

2-4-3. きみ

この歌がシャニPとの思い出を歌っていると判断できる最大の根拠。
隣にいる人が単数なため幼馴染はありえず、シャニP以外は考えられない。

2-5.

旅に出たんだ 波に揺られて
いつも何かを探してたんだ
きっと大事なものは 目には見えないから

「statice」

2-5-1. 大事なものは 目には見えない

ノクチルのコンセプトは「さよなら、透明だった僕たち」。

つまりアイドルではなかった頃の4人は透明だった。
純粋な4人だけの世界を大切に保っていた。

衣装が色づいてゆく
(https://twitter.com/Lambda39/status/1568481398364979201)

「大事なものは 目には見えない」は、透のノスタルジーへの憧憬が如実に反映された歌詞だといえるだろう。

2-6.

さよなら「今」もう行くよ 後ろは振り返らない
誰のものでもない明日を この目に焼き付けたい
いつの日にか思い出す そんな瞬間を 軌跡を
隣にいるきみと 振り返る その日まで 遠くまで

「statice」

2-6-1. さよなら「今」もう行くよ 後ろは振り返らない

刹那性。
これを端的に表したのが【つづく、】の以下のシーン。

直後、透は「……おー」と感心する
(pSSR【つづく、】浅倉透 [おぼえて よ])

2-6-2. 誰のものでもない

透は、「誰のものでもない時間」に愛着を感じているようだ。

透は身の回りに何かそういう「誰も知らないけど、自分(たち)だけの特別」みたいなものがきっとそこにあるだろうと考えて、それを求めているように感じられます。

4/20実装【つづく、】浅倉透を読む
(https://note.com/11jackking/n/n6bc768624556)

上記のnoteでは「誰のものでもない時間」の具体例が挙げられていた。【pooool】にて、幼馴染4人で夜の学校のプールに侵入した体験が好例だ。

閉じたコミュニティの仲間以外誰ひとり、その時間を語る人はいない。
「語りの暴力性」を排除した、究極の純粋への回帰がここにある。

【つづく、】は比較的難解なコミュだと思われるが、以上の議論をふまえて読むと途端に理解しやすくなる。

(pSSR【つづく、】浅倉透 [リバ ス])

透は大切な記憶を胸に空へ羽ばたく。
その記憶は限りなく透明で、「誰のものでもない」必要があった。



あとがき

以上、浅倉透を外部と内部から読み解き、ソロ曲の歌詞の考察を記した。
透コミュの読解の一助になれば幸いである。

最後に、この長い文章を読んでくださった読者諸賢に感謝の意を表す。