書評 グラスホッパー 伊坂 幸太郎 気がつくと一気読み。これは面白い。最後に伏線回収しハッピーエンド?。
伊坂さんの作品を読むと、いつも驚かされる。
それはたぶん、枠にわざとはまらないようにしているからかもしれない。
とにかく、先が読めない。まるで条件反射で動いているかのように物語は進行していくのだ。
それはバッタの軌道のように不安定だ。
本書は、妻を殺された元教師の復讐の物語のはずだった・・・。
だが、その相手は冒頭で殺されてしまう。
その犯人の男は「押し屋」
交差点とか、満員の駅で「押す」のが仕事。
任務は暗殺だ。
この主人公の鈴木という男が、押し屋を探す・・・
という話しとは別に、
自殺させる暗殺者の鯨
こいつは、殺した人間たちが幽霊となって現れてくるという
精神に問題を抱えているマッチョ
もう一人、蝉という暗殺者は
女子供を殺すの大好きというクレージーな男
この3つの男たちの話しが、押し屋の話しが進行していくにつれて
1つに重なっていき、最後にすべての伏線を回収するという
伊坂さんらしい、エンタメ小説だった。
とにかく、おもしろい。もう、それしか言えない。
これ以上、具体的に話すと もろバレになってしまうのでやめときます。
本書は、セリフがかっこいい。
何か哲学めいたものを感じる。
「これだけ個体と個体が接近して、生活する動物は珍しいね。人間というのは哺乳類じゃなくって、むしろ虫に近いな・・・蟻とかバッタ・・・」
これは生物学という観点から見ても、人間の不思議なところだ。
あの満員電車は異常である。
「生贄を差し出されると、理屈に合わなくても、それ以上責めるのが面倒臭くなる」
秘書がやりました。あの議員の答弁を信じる人はいないが、どうしてか、それで終わってしまう。
「すみませんでした」と頭を下げられると、それ以上は責められないとか・・・。
これも人の不思議さだ。本当はちっとも許してないのに、許さないといけない目に見えない何かがあるんだ。
「たぶん、私たちってさ、自分の目の前に敵の兵隊が立ちはだかっても、戦争の実感は湧かないかもね」
「今まで世界中で起きた戦争の大半は、みんなが高をくくっている間に起きたんだと思うよ」
「世の中の不幸の大半は、誰かが高をくくっていたことが原因なんだってば」
このセリフは重くて強い。主人公の鈴木もまた、それと同じことをしようとしていた。
復讐のため、悪事に身を染めていたのだ。
これって、色んなことでも言えると思う。
自殺についても考察している。
「自殺する奴ってのが大嫌いなんだ。人間だけだぜ、逃げるように死ぬのは、偉そうじゃねぇか。どんなに不幸な豚だって、自分で死のうとはしねぇて。傲慢だよ。だからよ。俺は飛ぶんだよ。死ぬのは、そのついでだ」
自殺を鯨に強要された村西の台詞。
芸能界で自殺者が多発している今、心に沁みてくる。
自殺は傲慢なんだ。私もそう思う。
ドストエフスキーの「罪と罰」からの引用も面白い。
「その頁、読んでみろ。こう書いてある。『そして、誰よりも自分をうまく騙せる者が、誰よりも楽しく暮らせるってわけですよ』どうだ。あんたは自分を上手く騙せているのか!」
本質をついているだけに怖い。
どれだけ、私たちは見て見ぬふり
知らぬふりをして、自分だけの幸せを確保してきたか・・・
押し屋の家に行き家族全員を殺しに行こうという台詞のやり取り
「押し屋の家にか」
・・・
「酷いな」
「世の中に酷くないことってないでしょ?。生まれた時から、死ぬのが決まっているというのがすでに酷いんだから」
タイトルの「グラスホッパー」
意味はバッタ。
これが冒頭の議論と関係してくる。
「人の数は増えすぎて、だからみんな、凶暴で土色の飛びバッタになっている・・・」
「今、この国では1年間に何千人もの人間が、交通事故で死んでいる」
・・・
「テロリストだって、そんなに人は殺せない。無作為に1万人近くも殺すテロリストなんていないだろ?。負傷者も含めたら、もっとひどい数字となる・・・」
・・・
「それなのに、車に乗るのはやめよう、とは誰も言い出さない。・・・結局、人の生命なんて二の次なんだ。大事なのは利便性だ。命より利便性だ」
これが本書の一番の主張なのかな。
人の生命を軽視する世界に未来はない。
そういうことだと思います。
2020 7/26
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