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感想 私たちの世代は  瀬尾まいこ コロナの時代に小学生だった二人の少女の物語と、二人の未来の物語。発想はいいが、社会問題をパッチワークみたいにつなぎ合わせただけで迫ってくるものがなかったように思う。

まるで血液型占いのように、世代によって、その性格を評されることがある。
昭和時代生まれは努力家で、欲望にも貪欲とか、平成生まれは、あきらめを悟っていて欲がないとか、Z世代は、コスパ重視で努力なんてするのはバカと考えているとか、そういう雛型を作って人を鋳型にはめ込もうとする傾向が僕は嫌いだ。
だが、今回のパンデミックは、もしかすると子供たちに深刻な傷を作ったのかもしれないと僕は感じています。

本書は、コロナの時代に小学生だった二人の少女の様子と、その子たちの未来について書いてあります。
パンデミック世代、それともマスク世代とでも言うべきでしょうか。確かに、大切な時期に学校が休みになり、ソーシャルディスタンスとか言われて、しゃべるな接触するな、オンライン授業とか何んだと思うのですが、それが発育や思考や性格に影響が出るのは必然でしょう。それを小説にしたいのはわかります。

本書の主人公は二人の少女です。同じ仕事の面接で知り合います。
子供時代にコロナ世界を生きてきました。
冴(さえ)と心晴(こはる)という二人の少女の話しです。
冴の家は母子家庭、母親は夜の仕事をしています。あの時代、夜の女の人は大変でした。仕事は少なくなるし、差別されるし。さらに、職業差別からのイジメ。
この母親がいい人で、マスクを作ってみんなに配ったり、給食を頼りにしていた貧困少年に食料をあげたりしていました。
心晴のほうは、ひきこもりになりました。パンデミックを言い訳にし、たぶん、不登校に対して寛容な態度を学校はとっていたと思えます。そのままズルズルと・・・。

ひきこもりに、夜の女への差別、貧困児童・・・
パンデミックの時に、よく話題になったワードが羅列しています。それらをパッチワークのようにつなげ合わせた本書には、瀬尾さん本来のpowerや魅力はなく、作品もどこかで読んだような既視感が漂っていて、正直に言うとがっかりです。

貧困少年のセリフが心に残った。


「明日が怖いものではなく楽しみになったのは、あの日からだよ」


給食がパンデミックでストップし、食べる物に困っていた少年に、冴の母はパンを毎日届けました。
このパンが、彼の生命綱だったということです。

人はちょっとしたことで前向きになれるということを示した出来事でした。
この場面、このセリフは大好きです。

人間は希望を感じた瞬間に前向きになれる。その考えに僕も同意します。
もう飢える心配をする必要がないという安心感は、彼の希望になったと思います。

この世代の子たちの本音の言葉も共感できます。


「思いっきり運動場を走ったり、友達の思いがけない発言に笑ったり、先生に怒られたり、友達と秘密の話をしたり。パソコンの中にはない、あのどきどきとわくわくがほしいのだ。」



あのパンデミックで何かが子供たちの中で変わりました。外で遊ぶ、他人とおしゃべりするというコミュニケーションが否定されました。
彼らはパソコンや携帯の中で誰かと繋ることにしたのですが、その体験は直接の接触とは異質な何かだと思うのです。

直接にコミュニケーションした経験の少ない子供は、どう人と関わっていいのかが学習できていないし、人に傷つけられたりの経験も少なく、だから、どんなことを言うと他者を傷つけるとかの想像もできないのではと心配します。

大人の世界でも後遺症は出ています。

不寛容さの拡大
パンデミック後の世界で出てきた後遺症だと思います。


人を褒めるのではなく、けなすことがニュートラルな状況になってしまったと感じます。


この世代の子供たちは、たぶん、何か目に見えない大切なものを失っている。
それもあの疫病の後遺症の一つなのだと思います。

そういう意味では、冴と心晴は健全です。瀬尾さんの描く他の物語と同じで主人公はあきれるほどに健全です。

この時代の社会問題をあれほど羅列したわりには、着地も穏やかだし、その影響も軽微です。
しかし、本当にそうなのでしょうか?。
この問いは、未来にならないと結果はでないと思います。
いや、もうすでに何かが変わりつつあるように思います。

綺麗ごとでまとめた本書は、僕には物足らないものでした。




2024 4 15
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