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感想 黄色い家 川上未映子 すべてを誰かのせいにして投げ出す生き方は、本当に生きていると言えるのか。


この物語は貧困と密接に結びついている。
主人公は金に執着している。それは子供の時から貧乏だったからだ。

それは孤独や不安という病を併発する。
彼女は、黄美子という母の友人の中に言葉にできないような親密感を幼少期に感じていた。
それは彼女の不安や孤独を解消するものだった。

だから、彼女の店で働くようになり、蘭や桃子という仲間も引き込んだ。
女四人で家を借りて暮らすようになった。金運が上がるようにと黄色いものを集めるようになった。

火事で店がなくなり、今の生活が保てないとなると
彼女は犯罪に手を染めるようになり、仲間も巻き込む

それは孤独を恐れてのことだと思う。
孤独と不安は、彼女が貧困だった時代のトラウマだ。

そして、最終的な破綻。
仲間割れし、無関係な黄美子にすべての責任を押し付け彼女たちは逃げる。

すべての物事を他人のせいにする生き方をしている人がたまにいる。


俺が不幸なのは国のせいとか
親のせいとか

すべてを誰かのせいにして投げ出す生き方は、本当に生きていると言えるのか。

僕は、そう思った。

主人公の花の友達蘭と桃子は、すべてを花に頼りきりだった。
仕事の手配も何もかもだ。

悪い仕事の元締めのセリフが強い。

「世の中は、できるやつが全部やることになってんだから、考えたって仕方ないよ。無駄無駄。頭を使えるやつが苦労することになってるんだよ。でも、それでいいじゃんか

頭使って考えてる花だけがしんどい。
仕事に対する罪悪感も、不安もすべて一人で引き受けている。
仲間二人は気楽だ。そして、金だけは平等に分け前が欲しいと要求するのだ。

最終的に仲間割れした時、桃子が、あんたのせい・・・と花に責任を押し付けた。

これは自分たちが犯罪をやっているという意識が希薄していることを意味している。
花に命令されてやっている。
そう思うことで罪悪感を消そうとしている。
つまり、自分と向き合うことを拒絶している。

そして、家を出る時もそうだ。金を四等分した彼女たちは花に言う。
すべて悪いのは黄美子さんだ。私たちは黄美子さんに命令されたんだと。

二十年後、蘭と再会した時も同じことを言っていた。
私たちは黄美子さんに操られていた。

何でも他人のせいにしている人たちの人生は希薄だ。
責任をおってないから軽いのだ。
だから、いつも頭の中は空っぽだ。

銀行口座から五十万円なくなっていても気づきもしない人間がいる。



自分の頭と身体を使って稼いだ奴らは、ちゃんと金に執着があるからね。貧乏人と同じようにちゃんと金について考えたことがある人間だよ。でも、家の金、親の金・・・でかい金に守られているような奴、そいつらには金を持っていることに何の理由もない。そいつらに努力なんかないのさ。ある種の金持ちがそうなのは最初からそうなんだよ。


金についての花の考え方が面白い


金は色んな猶予をくれる。考えるための猶予、眠るための猶予、病気になる猶予、何かを待つための猶予


いつも追い詰められている花らしい考え方だ。


死にたいのは、いつも貧乏人、金を持つと生命が惜しくなるなるんだよ。でも、金はどんな人間よりも長生きだ。

花が発狂して、黄色のペンキ買ってきて家に深夜に塗りたくるシーンがある
黄色は金運を呼び込む
だから、金への執着の物語と本書を読めないこともないのだが・・・


この物語に出てくる登場人物の名前に共通点があることに気づいた。

花 蘭 桃子

花の名前だ

黄美子さんの中には黄色がある。

花の母の名は愛だ。

これってもしかすると、金の話しではなくて
愛を求めている孤独な人たちの話しなのかもと思うのでした。



2023 12 6



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