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書評  信長の経済戦略 国盗りも天下統一もカネ次第  大村大次郎   信長の発想は、同時代の戦国大名と比べても別次元のものであった。経済で歴史を見るとおもしろい。

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歴史を経済の視線で見つめるのは面白い。
ただ、専門家がすでに提議している話しが前半あって少し残念な気もする。
目から鱗の仮説が最後に飛び出して、おおなるほど・・・、と納得してしまった。
信長の視線で歴史を見ると、どれだか彼が時代の先を行っていたのかが理解できる。
それを気づかせてくれる良書でした。

信長というと桶狭間であるが、何故、10倍の今川勢を倒せたのか?。
本書でも、それに触れている。目新しい話しではない。織田家は津島という良港をおさえていたので経済的に豊かで、他の大名と違い兵農分離が早くから進んでいて常備軍があったためである。
本書では、機動力を理由としている。
それは織田が経済的に豊かであったからできたことだった。

同じ理由で、足利義昭を京都に入城させた時に、褒美として副将軍だとか管領の地位を出そうと言ったのに、堺などの主要都市の統治の権利を取得したのも、そのためである。

信長が他の大名と違い。軍事力=金 という発想を持っていたのは、たくさんの人が主張しているので、本書の主張は正しいし、私も賛同する。
楽市楽座にしても、関所の撤廃、道路交通網の整備もすべて経済のためである。

信長と他の大名の違いを著者は、天下を取る意思が信長にはあったが、毛利や上杉や武田。今川にもなかったと主張しているが、さて、どうなのでしょう?。

本書を読んではじめて知った知識もいくつかあった。
武田や上杉、毛利などの主な大名はメインの城を固定しているが、信長は頻繁にお引越しをしている。
この理由として、兵農分離が確立されていないことを理由にあげていた。つまり、武田などでは、武将や兵を動員する時、各地から動員するので城を最前線に置く必要はないが、信長の兵は常備軍が核なので、容易に支配地を移動させられる。それ故に、前線基地は戦場の近くになる。

毛利や上杉の城は、辺鄙なところにあった。防御を重視していたので山の上とかだが、信長の城は交通の要所に置き、経済的にも軍事的にも拠点になる場所にしていた。つまり、経済を重視していた。

安土城があった近江は経済の中心地であった。その安土城を町人にも見学させていたというのにはびっくりした。民衆の支持を得ようとしていたのである。確かに、それは大切なことだ。

桶狭間の合戦の話しの中にもおもしろい情報があった。当時の知多半島は常滑焼が有名で日本でも有数の工業地帯であり、今川は天下統一のためではなく経済的な問題で織田に戦争をふっかけたという話しもおもしろかった。

信長の通貨政策も面白い。それまでは輸入銅貨が中心だったが、信長が銀貨、金貨という高額な貨幣を導入したことで国内貿易が盛んになったという話しや、明確に交換比率を示したことで貨幣改革が行われた。そういうことをせず、ただ、金貨を作った武田信玄の金貨は流通しなかったという話しはおもしろい。通貨は信用が第一である。信長の本気度が成功のカギだった。

桝の統一は豊臣秀吉の仕事と思っていたら信長の業績で、税を徴収する人間が2つの異なる桝を使い中抜きをしていたのを辞めさせるためという話しや、室町時代は荘園と守護の二重税だったのが1つに統一され、税率は3割と安かったとか・・・。それなら現在よりも安いのかもしれないですね。日本の高額納税者は5割以上を税として徴取されています。
戦国時代は農民は年貢を銭で払っていたが、それだと損になるから直接米で払う石高制にしたのも信長だそうです。
信長の政策は町人にも農民にも優しいものだったようです。

信長というと延暦寺の焼き討ちの残酷さが有名だが、当時の寺は膨大な荘園を有し武装し、金貸しをしていた。今でいう違法高利貸しで、利息は48%から70%というのもあったとか、だから貴族からも武士からも憎まれていた。


鎌倉時代の歌人藤原定家の歌がおもしろい。

妻子帯び、出挙して富裕なるもの、悪事を張行し山門(比叡山)に充満す

比叡山の僧は妻を持ち、子をつくり、高利貸で巨額の富を蓄えるなど悪事を働くモノが充満している・・・という意味です。
だから、信長は彼らを悪と見たのですね。

さて、信長は何故、明智光秀に殺されたのか?
この独自の仮説がおもしろい。
この部分だけでも読む価値ありです。

信長は幕府の官職には興味がなかったが、朝廷の官職には興味があったのだそうです。
最終的には、信長は太政大臣だったのだとか。
信長は、どうやら朝廷の権威を利用して昔のような王政復古の政治体制を狙っていたというのです。
国の土地や民は元々は国のものだったのですが(公地公民制)、私有地を認めたので荘園ができたりして
後には、大名たちの領地となり、民も土地も彼らの支配下になった。つまり、国の物から有力者の物に変わった。
それを朝廷が、また、掌握しようというのです。つまり、信長は時間の逆回転を考えていたという仮説です。

この時代、家来が手柄を立てると領地を与えた。
室町幕府は、恩賞の与え過ぎで自分の直轄地よりも配下の大名の方が支配地が多くなり力を失った。
つまり、この制度が続く限り、いつ部下は裏切り独立するのかわからない。武将たちは独立経営者だからです。
だから、信長は褒美として土地を与えるのではなくて、貸し与えるとした。
故に、平気で国替えもしたし無能な人間からは取り上げて放逐した。

つまり、信長の領土はすべて信長の土地なのである。
家臣に一時的に貸し与えているだけなのだ。土地も人も。
つまり、それは昔の日本の形。朝廷が土地も人民も直接に支配していた形なのだ。
公地公民制の公が、信長なのである。

故に、明智光秀は謀反を起こした。
このビジョンが理解できなかったからだ。信長だけがすべてを得て、俺たちは使い捨てのライターなのか。いらなくなったら捨てられるのかと思ったのだと思う。
この気持ち良くわかる。
この仮説が正しいなら、信長の考えは簡単には武将たちに受け入れられなかったと思う。
公地公民制なんて発想は、彼らには逆立ちしても思いつかなかった。
信長は中央集権体制を確立し強い日本を目指していたのだ。土地も人々も個人ではなく国家が所有する強固な日本という国を考えていた。

だから、明智は本能寺の変で信長を殺した。
しかし、十分に兵が集まらなかったのは、兵は元々、信長の物という発想が基本にあり、明智の兵はそんなに多くはなく、付き従っていた与力や兵は借り物だったから、いざという時、彼らは明智のためには働いてはくれなかったのだ。
つまり、その時点で信長の思想は家臣団の中に浸透していたということだ。
明智は地方司令官にすぎず、軍団は彼が信長に借りた兵だという認識があったため、明智を支持する兵はあまり集まらなかったのだ。

この信長の大いなる野望。
土地も人民もすべて公のモノとし、そんな朝廷(国)を傀儡とし陰で信長が操るという考え方。
たぶん、いざ、その時になったら信長は自分が天皇になろうとしていたのかもと思ってしまうのです。
この仮説はとてもおもしろい。
すごくおもしろい。

2020 5/4

信長の経済戦略 国盗りも天下統一もカネ次第 大村大次郎


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