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書評 ヘディングはおもに頭で  西崎 憲  すごくイライラさせられる。まるで迷宮に閉じ込められたみたいな気分になる。

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最初に言っておきます。
青春物語というカテゴリーに分類される本ですが、読後感はそんなに良くない。
苛々のし通しだった。

原因は自分のことを主人公が「おん」と言うことだった。
この人は「おん」という名の浪人生だ。
受験に数回失敗している。何の才能もなく、頭が良いわけでもなく、貧乏で弁当屋でバイトしながら勉強している。

とにかくイライラするのは、この人の人間に対する見方なのだ。
ネガティブすぎる。すべてが自分に悪意を向けているかのようなのだ。
そして、出てくる人たちも総じて粘着質で歪んでいる人が多い。
でも、それは主人公が歪んでいるから、そんな風に見えるのかもしれない。

受験生なら勉強だけしていたらいいのに
フットサルに参加している。
自分探しをしているのだ。何に対しても自信がなく確たる信念も何もない
実は、他者に絶望しているのではなくて、本当は一番自分自身に絶望している。
悪いのは他人と逃げているだけなのだ。
だから、何かになりたいと自分探しをする。
それがフットサルであり、それはいいんだ。とても楽しいから。
さらに、それだけでは満足せずに、次に、読書会に参加してエロい姉さんと知り合い
変な期待をする。青春だし、いいよねとは思うが受験生なんだよ。勉強しろとも思う。

案の定、というか当然なんだが、成績もよくない。
母親が病気かもということで、受験を諦める。ようするに逃げたいだけなのだ。
自分を探している物語なのに、自分の運命から逃げようとしている。
広川という好きな女の子に対してもそうだ。留学するとわかり会いに行く、いい雰囲気になる。
なのに好きとは言えない。
本田さんという10歳年上の読書サークルの痴女だって、相手が積極的に誘っているのに、今いち、前に進めない。
それはフットサルのプレースタイルにも出ていた。ボールを浮かせて攻撃する。それサッカーの戦法だと僕は思う。だから、フットサルの仲間から嫌われる。理不尽な無視をされていると「おん」は思っているが、そうでないと「自分」でも多少の自覚はあると思う。でも、自分が客観視できないから相手が悪いと感じるのだ。

彼の生き方は、他人から見ると冒頭のシーンと重なる。

壁がガラスになっているビルがあると、そこが空ではないことに気がつかないで、全速力で突っ込んで、そのせいで死んでしまう。ばかだ。トリのくせに犬死だ。

この言葉、ブーメランになって彼に返っていると思う。

おんは猫や竹内商店の看板を思い出し、流れていくもの止めることはできないかと考えた。


彼は高校時代写真部だった。
寂れ衰退していく自分の街に対する感想だが、実は、彼自身が今の浪人生という時間に滞留したいと思っているのだ。モラトリアムである。よく高校卒業の時になると、やたらと淋しくなったりする青春小説があるが、あれと同じなんだ。もっと、この時間にいたい。卒業したら人生が終わるみたいな感覚。まさにあれだ。

彼の性格を表現している部分もピックアップしてみる。

なにか誘われたとき、おんはまず反射的に断ることを考える。昔からそうだった。いいことがなさそうだとか失敗しそうだと考えるのではない。とにかくまず心がそういうふうに反応するのだ。

彼は同じところ、居心地の良いところにずっといたい。変化したくないのである。なのに現状には不満なのだ。それは出口のない不安。迷路の中にいるからだ。それは浪人という立場がそうしていた。その場所から逃げたいのに違う場所に行くのが怖い。


大好きな広川さんがイギリスに留学する前、おんに、こんなことを言うシーンがある。

がおん先輩は人のことを気にしすぎます。自分が自分のことをわかってあげないとだめですよ。だれも先輩のためには生きてくれません。

そんな おんは自分のことを分析する。

自分ができないのはやろうとしないからだ。だからいつまで経っても体の一部にならないのだ。やろうとしない理由ははっきりとしていた。失敗するのが怖いのだ。

受験を辞めるのも、親が病気だからと言い訳していた。
彼は「決断」したくない。今のままでいたいのだった。

そんなぐだぐだで最低な彼なのだが・・・
ラストのフットボールの試合でフェイントについて仲間との会話が僕は好きだ。
それはとてもポジティブなのですよ。
最後に、その言葉を紹介したいと思います。

「できるかな」
「千回やればできます」
「千回か、それでもできる気がしないな」
「じゃ、もう千回やればいいんですよ」


2020 11/23


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