書評 言葉の守り人 ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ 神秘的な森を舞台にしたマヤ文明のファンタジー。世界観の不思議に注目したい。
まず、注目してもらいたいのは表紙だ。
これはシュールだ。とてもいい。
どんな物語なのだろうと思わず中身を想像してしまいます。
新しいマヤ文学というシリーズがあって、本書は2冊目の位置づけとなります。
ファンタジー小説でした。
児童書なのでとっつきやすいのですが、その全体像を把握するのはすごく難しい。
それは世界観が今までの既存のものとは違うからです。
どうしても、私たちは日本、アジア、西洋、イスラムなどのメジャーな価値観で構築された世界観に立脚したストーリーに慣れていて、このマヤ文明という稀有な世界にはなじみがない。だから、とまどいます。
夢を見ない少年が出てくる。
この場合の夢は、寝ている時の夢なのだが、おじいさんの語る夢は
ドリームの方の夢とも関係しているのかもと思ってしまいます。
生きていても夢を見ない人間は、どんなに長く生きたとしても、心はないのと同じで、死んだも同然だ。
生きろ。そして夢を叶えろ、光を求めよ。さすれば、お前の命は皆と同じように永遠のものとなろう。
新しい名前を求めるのですが・・・。
ここでもベースになる価値観が違います。
「ねぇ、おじいさん。花って何なの?」
・・・「花は植物の目じゃ。お前の目は顔という庭に咲いた花じゃな。・・・植物はその花で人間の心を見たり、ひきつけたり、時には喜ばしたり、病気を治したりするんじゃ」
新たな名前を与えられるのだが、名前というと現代人の場合
他者と自己を区別する記号。自己を他者に表現する符号のようなものなので
他者に開示するのが基本原則になるのですが・・・
忘れるなかれ、汝に与えられるる名は汝だけにしかわからぬよう汝の耳にだけに届く・・・記憶するのだ。文字にしてはならぬ。その名は汝の力だ。だが、その名を秘することによってのみ、大いなる力を保つことができる。・・・汝以外の誰にも知られてはならぬ。・・・
かなり呪術的な傾向がみてとれる。
名前に対する哲学も私たちとはずいぶんと違うのだ。
・・・名前は魂が住む場所・・・自分の名前に対する誇りを捨てれば、それはうるさい音を立てる殻でしかなくなる。・・・・
守り神のようなものがあるという、それは彼の場合は鳥だった。
それを神秘的な森に探しに行く。
私たちがいう鳥は籠や動物園にいるものである。
路上で見かけるのはカラスとか、寺にいる鳩くらいだ。
だが・・・。
鳥は誰にも縛られることなく、自由にさまよう彗星じゃ。木の枝に止まって、この世が生まれてから最初の声である歌や祈りをわしらに歌ってくれる
鳥は、ときには死や危険も知らせてくれるのである。
鳥の歌声を楽しみたけりゃ、鳥かごなんか持たんでもいい。木を植えればいいんじゃ。鳥の鳴き声はみんなのものじゃ。
・・・鳥かごに入った鳥の声を聞いて何になる?。囚われた身の鳥に生きる喜びが歌えると思うか?。・・・覚えておくがいい。自由に格子をはめる者は自分の心に鍵をかけ、自分の言葉を遮り、自分の尊厳を失うことになる。
ファンタジー小説というよりも、お爺さんが孫に教訓を伝える物語のようですが
蛇に羽根の生えた鳥とか、後半になると出てきます。
沈黙についての話しもおもしろい。
普通の人間は沈黙を恐れる。なぜなら、黙ってしまうと、自分と向き合うことになるからじゃ。自分の中の沈黙の言葉を聞きたがらぬ者は、いとも簡単に他人の餌食となり、奴隷にされてしまう
本書は、少年とお爺さんの話しです。
形式としては、少年の冒険にアドバイザー役として爺さんが同行し
教訓をのたまうという感じでした。
ベースがマヤの人たちの考えなので少し新鮮な気分になれます。
2020 7/13
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