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“人を惹きつける” 文章を「書く」ための極意とは?

こんにちは。

ムッチーのnoteを開いていただき、有難うございます!m(_ _)m

今回、こんな大それた記事タイトルをつけた以上、それこそ「“人を惹きつける” 記事を書かないと、シャレにならんなぁ」と、既に後悔してたりしますが(汗)、...

前回に続いて、ショーペンハウアー(以下敬称略)の教え(警句)から “学ばせて” もらいます。

教材は、『読書について』の第二篇「著述と文体について」です。

読書について_目次

この本の、第一篇「自分の頭で考える」と、第三篇「読書について」は、いわゆる “インプット篇”。
対して、第二篇は、インプットしたものを「どう “書く” べきか」を示した、“アウトプット篇” になると思います。


「書く」ための奥義

ただ、このアウトプット篇は「これであなたもすぐに文章の達人になれる!」的な、即席ラーメンのようにお手軽な文章術ではありません。

文章を書くにあたって、最も大切な “核心となる考え方” を説いた、哲学者ならではの「著述論」です。いわば、深~いスープのコクを堪能できる極上ラーメンづくりの奥義って感じでしょうか。

そんな究極のラーメン、じゃなくて(笑)、“文章を書く” ための奥義(極意)は、ずばり! 次のひとことに集約されていると思いました。

正しく書く秘策は 賢くあること(ホラティウス『詩について』三〇九)
-『読書について 第二篇「著述と文体について」』鈴木芳子訳-より

要は、書き手が表現したいことを “正しく”(そのまま正確に)書くためには、「賢く」ありなさい!、と言ってるんですね(?)。


「賢くあること」のホントウの意味とは?

その「賢い」って、どういう意味なの?

辞書で調べると、色々な意味を持つ言葉ですね。利口とか、抜け目がないとか、要領がいいとか...あまりいいイメージじゃない意味で使われることもあったりして。

ここでいう「賢い」の意味として、個人的には次の二つを採用したいと思います。

・賢明なこと・・・賢明とは、 物事の判断が適切であること。
・神や自然などの超越的なものに対して、畏怖の念を覚えるさま。
 -コトバンクより-

この意味から捉えると、「賢くあること」とは、

適切に物事を捉える判断力を養いつつ、自分が知らないことは知ったかぶりしないで、正直でありなさい

ということなのかな、と僕は解釈しました。

つまり、文章を書く際に何よりも大切なのは、気取らずカッコつけずに “ありのまま” であること、なのではないかと。

確かに実際、「人間的に “賢い” 人だなぁ」と感じさせてくれる人って、自慢したり偉ぶったりしませんものね。心地よい “そよ風” のように、自然ですよね。

そよ風_612×360


「読みに値する」文章を書くためには?

そうした、自然体のスタンス(姿勢)で「書く」ことに臨めば、自分なりに正しい “素朴な” 文章になるでしょう。

ただ、“読み手を惹きつける” 文章を書く、ということになると、さらに大前提として、“賢明” な賢さも求められてくると思います。

実直で素朴なだけでは、「あなたはホントに “いいひと” ね」で終わっちゃう。相手の “心をときめかせる” までには至らないんですね(涙)。


ショーペンハウアーは、“読むに値する書き手の条件” について、次のように述べています。

テーマそのものについて考えるきわめて少数の書き手は、テーマそのものに刺激されて考える。
だから思索がじかにテーマへ向かう。
こうした書き手の中にしか、普及の名声を博する者はいない。

(中略)
書くとき、素材をじかに自分の頭から取り出す人物だけが、読むに値する書き手だ。
-『読書について 第二篇「著述と文体について」』鈴木芳子訳-より

賢明(適切に物ごとの判断ができるよう)になるには、自分の頭で考えて身につけた、思想・教養という、いわば「知の資産」が必要です。

その、自分 “だけ” が持ち得た「知の資産」を直接引き出して、そのまんま気取らずカッコつけずに表現できる人が、読むに値する書き手である...

言い換えれば、他者の考えや情報をそのまま鵜呑みにし、いいとこだけ切り取って、体裁よくまとめたような文章では、まったく読むに値しない!と言っているんですね。(僕が今まで書いてたのは、大半がそういう文章でした 汗)


結局...

“人を惹きつける” 文章を「書く」ためには?

“人を惹きつける”人間になれ!

これが、僕なりに得た結論です。

そんなぁ...身もフタもない。ベタすぎる~!(汗)

でも “極意” って、そういうものですよね。肝心なことを突き詰めていくと、「な~んだ」と思う(ベタな)結論に行き着きます。

例えば、

・カッコいい人間になりたいなら ⇒ カッコつけようとせず、内面をひたすら “磨け”(=更新・改善せよ)!
・異性にモテたいなら ⇒ モテようとせず、内面を魅力的に磨け!
・キレイな私になりたいなら ⇒ 見た目ばかり繕おうとせず、内面をキレイに磨け!

みたいに。

結局は、磨かれた人格(人間性)が、その人の魅力になるんですね。


今回、得られた気づき

文章にも、書き手の人格が宿ると思います。いくら繕(つくろ)っても、読み手は筆者の本性を “感覚で見抜く” ことができてしまう。「この人なんだか、うさん臭いわ」とか。

そう考えると、こうやってnoteに文章を書いて公開する、というのは、公衆の面前で素っ裸になるよりも、ホントウの自分をさらけ出している行為なのかもしれません。

仮面を取る_612×380

ということで、今回のムッチーの “気づきフレーズ” は、

文章を公開することは、ストリーキングよりも恥ずかしい行為だと心得よ!」(by ムッチー)

いやいや、それも思わぬ気づきではありましたが(笑)、正式版はこうです。

文章表現(書くこと)の道は、一日にしてならずぢゃ!」(by ムッチー)


そのありがたい格言(笑)を、ひとまず肝に銘じておくことにして、

じゃあ文章を「どう書けば」いいの?

そうですよね。これで終わりだと、ご飯だけ出されておかずはお預け、みたいな状態で物足りないですね(僕自身がそうです 笑)。

今回の “基本篇” をふまえたうえで、次回は、文章を書くための “実用篇” を書こうと思います。


最後まで読んでいただき、有難うございました!m(_ _)m

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