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「本当」の “ホントウ” の意味とは?

こんにちは。

本当のことを何も知らない、無知の「ムッチー」です(笑)。

前回、「考える」とは何か?について考えてたら、

考えるとは、「問いを深める」ことであり、問いを深めるとは、「ホントウのことを知ろうとする、人間の根源的な欲求」である。

という “本当っぽい” 結論に導かれました。

で、今回の問い(テーマ)は、その、普段、何気に使っている「本当」って言葉の、“ホントウ” の意味とは何なのか?です。

「ん~、ホントウのこと、本当っぽい、ホントウの意味...立て続けに言葉を並べられると、“本当” にわけがわからなくなるじゃないかぁ!」

ホントにそうですね(笑)。

それでは、そのわけがわからん “モヤモヤ状態” から、少しでも “晴れ間” が見えるよう、一緒に考えてまいりましょう!

本当とホントウの違い

今回も前回に引き続いて、若松英輔さんの『考える教室』という本から、「問い」をいただきました。

そのなかで作者は、「本当」には、「表面上の本当」と「真実の本当」がある、といいます。

「本当」と「ほんとう」を書き分けてみました。
ここでは、前者を世の中で「本当」だとされていることを意味することにします。後者は「本当」のことの奥に潜む真実です。

(中略)
世の中で言われている「本当のこと」と、「ほんとうのこと」には、どのような違いがあるのかを考えてみなくてはならないのではないでしょうか。
-若松英輔 『考える教室 第1章』より-

※作者は「真実の本当」のほうを「ほんとう」と言い表していますが、この記事では「ホントウ」と、カタカナ表記にさせていただきます(特段、意味はありません。カタカナのほうが僕的にはシックリくるので)。

確かに、世間一般で使われる「本当」は、“表面的な事実” であることが多い。

TVやネットで報道されるニュースは、ほぼ「表面上の本当」ですね。

ニュースに潜む「ホントウ」

例えば、最近のニュースでこんな記事を目にしました。

結婚や異性と交際していない人増加 女性は20年で1.5倍に
日本人の若い男女のうち、結婚や異性との交際をしていない人の割合が、この20年余りの間に増え続けていて、特に女性では、およそ1.5倍に増えているという分析結果を東京大学のグループが発表しました。
(中略)
18歳から39歳までの男女のうち、「異性との交際を望んでいない」という人の割合は2015年の時点で、男性が25.1%、女性が21.4%となり、収入が低い人や正規雇用ではない人などの間で、交際を望まない傾向が強かったということです。
⇒ 記事の全文はこちら
-2020年11月14日 NHKニュースより-

はたして、この記事は “ホントウ” のことを伝えているでしょうか?

日本人の18歳から39歳までの男女で、結婚せず異性と交際しない人も増えている、というのは “本当”(事実)なのでしょう。その理由の大きな要因が、経済的な問題であろう、ということも。

しかし、その奥(裏)に潜む “ホントウ” は、別のところにあるのかもしれません。

例えば、現代社会の強大な情報エネルギーに、人間の性欲が奪われているから、とか。(あ、それ、なかなか本質をついているかも 笑)

もっと大きな視点でみると、どんどん悪化する地球環境下で、生き残れる人だけ残そうとする “自然淘汰” のはたらきなのかもしれません。

注!)単に思いつきで言っている仮説なので、鵜呑みにしないように(笑)。


物ごとの奥(や裏)に潜む「真実」を明らかにしようとするなら、記者や刑事がやるように、それこそ “裏を取る”(真偽を確認する)必要があるでしょう。

情報を分析し、靴を履きつぶしながら、頭(思考)と足(行動)で、ひとつずつ仮説を証明していく地道な検証作業。

そうやって入念に裏を取っても、その裏付けした事実にまた裏があり、その裏を取ってもまたまた裏があったりして...(永久ループ)

「ホントウ」のこと(奥底にある真実)は、容易に姿を現さないんですね。

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「ホントウ」を知るには?

「ほんとうの」という表現は、(宮沢)賢治の作品でしばしば出てきます。それは、誰かがよい、と言ったものでも、世間でそう言われているものでもなく、純粋な心で見たときに映じてくるものにほかなりません。
-若松英輔 『考える教室 第4章』より-

「ホントウ」のことを知ろうとするなら、裏を取る(事実関係を確認する)ことはもちろん重要だけど、その前提として重要なのは、「純粋な心」で見ることである。

つまり、偏見や先入観などの色メガネを外して、幼子(おさなご)のように、物ごとをありのままに捉える、ということでしょうか。

現に、幼子は、物ごとの道理などわかっちゃいないだろうけど、ホントウのことはわかってたりします。

ちなみに、僕には幼子の孫がいて、表向きは優しいおじいちゃんを演じていますが、ホントウは子どもが苦手です(というか生き物がみな苦手 汗)。なので実際、孫からあまり懐(なつ)かれません。

「このじじぃ、ホントは子ども好きじゃないな」と、直感でわかるんですね。

そう「直感」です。

ドラマで、叩き上げのベテラン刑事がよくいう「刑事の “勘” ってやつだよ」的な、思考に頼らない “感覚” です。
その勘ってやつが、事件の真犯人を見つけ出す、大きな手がかりになったりするんですね。

それと同じで、最終的に「ホントウ(真実、真理)」を引き出すのは、直感的な感覚だと思うのです。

「ホントウ」とは、言葉を超えたもの

「言葉」は、常に「ほんとう」のことが記され、語られているのではない
(中略)
『ソクラテスの弁明』は、言葉は真実を伝えるものだと信じ込んではならない、という警鐘から始まります。

「ほんとう」のことを言うとき、人は言葉につまったり、そもそも言葉にならなかったりする。

-若松英輔 『考える教室 第1章』より-

どうやら、「本当」を突き詰めた「ホントウ」とは、言葉で説明できる領域を超えたもの、のようです。


だけど、言葉で表せないその「ホントウ」をなんとか表現したい!

そうした人間の飽くなき「根源的な欲求」が、音楽や美術や文学などの「芸術」を生み出したのではないかと思うのです。
頭ではなく、カラダでビビッ!と感じ取り合える、いわば “超能力的な表現手段” として。


と、ここまで書いてて、

♪ラーラーラ、ララーラ、こと~ばにできな~い
-オフコース『言葉にできない』より-

この歌が出てきたので口ずさんでいると、お、ちょっとビビッ!ときたぞ!

その感覚を忘れないうちに、無理やり言語化しておこうと思います。

「ホントウ」とは、芸術を表現するためのテーマである。(by ムッチー)

少しは “晴れ間” が見えたでしょうか?(笑)

つづく...

世界を変えたいなら(あとがき)

今回のムッチーフレーズって、なんか “文学” を気取ってない?

そうかもしれませんね(汗)。でも、僕にとってはホントウに、シックリくる言葉だったんです。


ところで、文学って芸術なの?

僕の解釈では、文学は言葉を使った芸術です。
芸術とは、言葉では表せない「ホントウ(真実、真理)」の表現。


でも文学は、言葉で表現してるじゃない?

確かに。小説などの文学は、作家が、文章(言葉)で表現した作品ですね。

だけど、作家が「ホントウ」に伝えたいこと(思想や主張)は、文章の奥に潜ませているのです。

と、ある著名な作家の方が申しておりました(受け売りで~す 汗)。

いわゆる「行間」ってやつですね。


この「行間が読める」、つまり目に見えるものの奥に潜む「ホントウ」のことを感じ取れるようになれば、確実に、見える世界が “面白い景色” に変わっていくことでしょう。


人のお役に立つことで世界を変えよう、とするのは「本当」に素晴らしいことだと思います。

一方で、自分が見える世界が変われば世界は変わる、ということも「ホントウ」のような気がします。この世界は、自分の “心” が生み出しているものだと、“感覚的” に思うから。

そうした意味で世界を変えるために、...本を読んでいるとき、Netflixのドラマを観てるとき(←ハマってます)、人と会話をしているとき、沈思黙考しているとき、文章を書いているとき...生活のあらゆる局面において「“ホントウ” のことは何か」を、問い続けていこうと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!m(_ _)m

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