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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』読書記録#9

今回はこちらの本を読みました。

表紙が印象的で、思わず手に取りました。

誰もが会社員として働いていると、思うのではないでしょうか?

自分がやりたいことをするための時間が足りない…

たとえ時間があっても、いつの間にかYouTubeやSNSに時間を取られてしまう…

本書では、本が読めない社会はおかしくないか?という問題提起からはじまります。

ここでいう本を読むとは、各個人が仕事以外の時間でやりたいこと=文化のことです。

本を読むことが難しい今の日本社会について、明治~戦前~戦後の労働史と読書史を振り返りながら、問題点を指摘しています。

様々な文献をもとに話が展開され、内容に引き込まれ1週間で読破しました。

個人的に印象的だったことをまとめました。

自己啓発書の役割

振り返ると私自身20代の頃は、自己啓発書をとにかく読み漁っていました。

本書のような自己啓発書に対するとらえ方が新鮮で、どこか納得感もありました。

本書によると、自己啓発書というジャンルは明治時代に誕生したようです。

「自己啓発書の流行」というと現代においてはじまったもののように感じられる。しかしその源流は明治時代にすでに輸入され、「成功」「修養」といった概念とともに日本の働く青年たちに広まっていたのである。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.49

明治時代は西洋に追い付け、追い越せの時代。

出世を目指すために、「心構え」「姿勢」「知識」を学べる自己啓発書が普及していったようです。


一方、今なお自己啓発書は人気のジャンルの一つです。

1990年代以降の自己啓発書は、行動を重視し、ノイズを除去することを重視しているといいます。

しかし90年代の自己啓発書は、読んだ後、読者が何をすべきなのか、取るべき<行動>を明示する。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.170

前述したように<行動>を促すことが自己啓発書の特徴だとしたら、自己啓発書が売れる社会とはつまり、ノイズを除去する行動を促す社会なのである。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.181

今思うと当時はとにかく早くこの会社で活躍したい!という思いがありました。

だからこそノイズが少ない、とにかくすぐ使えるノウハウを知りたく、自己啓発書をよく読んでいたのだと思いました。

現代の働き方

現代の労働観に対する考察も印象的です。

労働での自己実現

「仕事でやりがいを持つこと」
「仕事を通じて目標を達成していくこと」

自分にとって当たり前というか、大事にしていた価値観です。

本書によると、2000年代以降、日本社会は「仕事で自己実現すること」を称賛してきたのでは、と指摘しています。

新自由主義改革のもとではじまった教育で、私たちは共用ではなく「労働」によって、その自己実現を図るべきだという思想を与えたれるようになってしまった。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.191

新自由主義主義

新自由主義改革とは、政府の介入を少なくして、経済活動を自由にしていこうという考えです。

日本では1990年代、2000年代に見られるようです。

本書では、新自由主義により競争にさらされ、自己責任と考える人が増えていったと指摘しています。

日本でも1990年代から2000年代にかけて、民営化が進み、金融自由化が進んだ。それはまさに「新自由主義」思想が広まる一端を担った。結果として、自己決定・自己責任の論理を内面化する人々が増えた。というか、個人のビジネスマンとして市場に適合しようとすれば、新自由主義的な発想にならざるをえない。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.213

そんな競争環境では、個人の行動ばかりに注目し、そもそもの仕組みを考えることを忘れていないかとも指摘しています。

仕事や社会のルールを疑っていてはーたとえば「こんなに飲み会をやっていたら、誰かいつか体を壊すのでは?」とか「そもそも日本のアイドルの労働量は過多であり、配信まで増やしたら彼女たちの時間の搾取は進むばかりでは?」とかービジネスの結果を出す「行動」に集中できないからだ。
市場という波にうまく乗ることだけを考え、市場という波のルールを正そうという発想はない人々。それが新自由主義的社会が生み出した赤ん坊だったと言えるのかもしれない。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.214, 215

前述した個人の行動に焦点をおいた自己啓発書のヒットも、ここにあるのかもしれません。

自分で自分を搾取してしまう疲労社会

そのような現代では、外部(会社、上司)から強制される場面は少なくなってきています。(まだ日本の企業では長時間労働がある場合もありますが。)

その一方、本書では個人が自発的に「頑張りすぎてしまう」ことを指摘しています。

新自由主義社会では会社に強制されなくとも、個人が長時間労働を望んでしまうような社会構造が生まれている。そもそも新自由主義社会は人々が「頑張りすぎてしまう」構造を生みやすく、それは会社が強制するかどうかの問題ではない。
個人が「頑張りすぎたくなってしまう」ことが、今の社会の問題点なのである。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.246

それらの原因としては、SNSでの他者の活躍や仕事で認められたいなどのケースが述べられていました。

わたし自身、1社目では個人でがんばりすぎて疲れてしまう状態を経験しました。

・目標数値を達成できない自分が足りないのでは?
・周りの同僚や同期はがんばっている、耐えている
・意味ある事ができていない、他社で通用しなくなるのでは?

上記のような思いは、会社から言われたわけではないですが、いつの間にか自分の中で持つようになってました。

自分自身、いつの間にか競争に参加し、そこで疲れ切っていたのかもしれないと思いました。

決して、自分以外の外部に強制されているわけではない。
自らで自らを競争に参加させ、そして自分で自分を搾取してしまうのだ。
本当は、疲労しているのに。
疲労に気づかないふりをしてしまう。
それが現代の病だとハンは説いている。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.247


半身で働く

そういった現代の労働環境に対する対処として、本書では「半身で働く」という考えが提案しています。

長くなってしまったので、別の記事で考えてみたいと思います。

今回もご覧頂きありがとうございます。



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