さなぎになった私(動けないとき)
4月になって、下の孫の保育園に行きだし、お決まりの風邪で熱をだすという洗礼をうけ、私は仕事に向かう娘に代わり、孫の子守りをしていた。
もうそうなったら、私もうつるっていうのは覚悟の上、まだ1歳のしんどくてずっと泣いている孫をあやすのに必死になっていた。
そして4月末の週末、やはり私も風邪にかかった。
咳がひどく、家族にうつらないように自分の部屋にこもり、ベットに横たわっていた。
食事も作らず、洗濯も掃除もせず、ただ横になってテレフォン人生相談を耳で聞いて、薬の効力でうとうとしながらものど飴を口にしながら3日間過ごした。
下に降りれば、お惣菜の空の容器の山が4人掛けのダイニングテーブルの上に無造作に置かれている。
そして、空のベットボトル。
捨てるだけなら、夫もそれぐらいはやってくれるかもしれない。
けれど、分別回収だもの、、、洗わなければ処分できないものね!!
昨今のごみ屋敷化の原因の一つは、ごみ捨ての複雑さが大きな原因ではないのかな?と思うくらい、プラもペットも家の指定の捨て場所にすら捨てられてはいない我が家。
これは、わたしのしつけがなっていないからなのだろうか?
とにかくうちの家族には私を含め整えるという意識が足りていない。
シンクには、お茶碗などが洗い桶の中に沈んでる。その水は、濁っていて臭かった。
もともと自分に都合のいい合理主義だった私は、仕事もしていないのに食洗機がある。
水につけてくれさえいれば、食洗機に入る大きさのものならば、なんでもござれ!!洗い桶の臭い水をすて、新しいお湯をはる。そして食洗機に放り込み、洗剤を入れてオンするだけのこと。
これは、病気の主婦にとっても強い味方だ。
こんなありさまで3日間、何もせずにさなぎの様にベットに横たわっていた私は、ああ、なにもしなかったな!という結果が残った。
さなぎで過ごした3日間、身体はほとんど動いていないが、思いがけず心は動いたように感じた。
それは、言語化できない無意識のようなものが変わった。
余命わずかな施設にいる母のため、そして子育てと病気を抱え前向きに仕事に向き合おうとしている娘のためのサポート、そして家族のための時間。
そんな日常が、私の中の『いのち』を削っていった。それは、手に取るよう感じていた。
風邪をひき、さなぎになったことで、私は私のことだけに時間を使っていいことをやっと許され、激しく咳き込むという瀕死の中でも、生きるための核となるアイデンティティみたいなものをもう一度立て直したようなそんな感じがした。
エネルギーがいる。。。
サプリメントでは補えない、病気になってでも、自分のためだけの時間って必要だったんだと今思える。
矛盾しているようだが、そんななかでの当たり前の自分のための時間とは、家事の時間も含まれる。
むかし、、、若いころ家事のための時間は、自分の時間とは考えていなかったような気がする。
多分、いつの間にか毎日の習慣として私の中に取り込まれていったのだろう、、、今は、自分の家の家事をする時間が、自分の時間と考えることができる。
読んでくださって、ありがとうございます。尻尾を振って、喜びます!!語彙を深めるために、本の購入に充てさせていただきます。