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めいそう日記〜Day375:巨木は一人では立てない(前編)

1. 瞑想小咄〜巨木は一人では立てない(前編)

この度縁あって林業に携わっている方とお話をすることができた。実際にその方が手入れしている山に入らせていただき、林業の実態を肌で感じることができた。

林業というと農林水産業の内の一つ。しかし、農業と水産業に比べて、実態が一般の人には見えづらいという難点があり、就労人口が増えないことが課題の一つであるらしい。私も直接話を聞くまで林業の実態をよく知らなかった。お話を聞くと過去に比べて木材の需要が減ることにより、賃金的には決して余裕がある状況ではないらしい。国としては林業を補助すべく補助金を組合に投入しているらしいのだが、私企業にはそのお金が流れてこないことも要因だそうだ。

木は育つまでに時間がかかる。当代の人が植林をしたとしても、実際に木材として世に出すことができるようになるのはその人の孫の代。今の世の中、目先に対する投資で精一杯になっているのに、2代後のことを見据えて投資をすることに価値があると考えられる人がどれくらいいるのだろう。

木という存在は、私たちにとってものすごく身近なものであるにも関わらず、杉や檜の寿命は500年を超えるとも言われているそうで、私たちとは生きる時間のスピードが違うものだ。同じ足並みで生きることができない以上、自分のことだけを考えていては木とうまく付き合っていくことはできない。長い時間スパンで考えなければならない存在なのだということを学んだ。

さて、国内の林業は現在厳しい状況にあるけれども、私が出会ったその方はとても活き活きされていた。その方は林業に携わることに心から誇りを感じていたからだ。林業は単に木を商品として管理しているわけではない。明治期以降はエネルギー源としての活用が中心になり、商品としての見方に偏ってしまったけれども、その前までは山を管理して森を育てることが林業の役割だった。

かつては木を切り出したらその分植林をして、山から木が枯渇することのないようにしていた。しかし最近では木を切った後に植林をするお金がないため、切ったら切りっぱなしになってしまうことも少なくないという。木材価格が安くなり、山の価値が下がってしまうことによって、山を所有していても儲からなくなってしまった。そこに舞い込んだのがソーラーパネル設置という話。木を売るよりもソーラーパネルを設置した方が儲かるということに気づいた人たちが、木を切り、ソーラーパネルを設置しているというのが実情らしい。

話がそれたので一度戻そう。なぜ林業に携わることを誇りに思うのか聞いてみた。すると、山を守ることは国を守ることと同じだと感じていらっしゃるからだそうだ。山は水源でもあり、土砂の流出を防ぐ自然のダムの役割でもあり、豊かな山から流れ出した栄養が川の流れで海に注ぐことで豊かな海ができる。自然の大きな循環の中で、命の源の要だと言ってもいいだろう。そんな場所を守っている。そのことに誇りを持っているそうなのだ。もっともっと林業に光が当たってほしいと、その方の話を聞きながら思った。

大きな国という存在を保持するため、ひいてはその国に生きる人々、文化を保持するためには、山を守るという存在が欠かせないということなのだ。

後編へ続く。

2. 今日の瞑想〜2022.10.27 Thu 6:30〜(20min)

気持ちいい秋晴れの朝。今週も残すところ後2日。頑張ろう。まずは瞑想から。

今日の瞑想音楽はこれ。 

姿勢を整えて瞑想開始。今日ほどうにも姿勢の収まりが良くなくて、何度も姿勢を整えた。自分の内側に意識を向けようとすると、頭が下がってくる。いい姿勢じゃないからだろうか。

終盤になってようやくしっくりくる姿勢に到達。瞑想にも集中できて終了。


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