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めいそう日記〜Day291:自然観と日本思想・承

1. 瞑想小咄〜自然観と日本思想・承

前編のDay288に続いて、『水と森とお米の国』(高井和大著、日本政策研究センター)を読み進めていく。ここからは具体的な日本思想と自然観についての著者の考えを見ていこう。

この本のタイトルにもなっている「水」と「森」と「米」。そしてそれらと深く関わりのある日本思想。これらの関係について、著者はある章の冒頭に次のように述べている。

日本人の清らかな精神が生まれてきたのは、日本は水が清らかで豊かだからだと申しました。また、日本人のいのちの糧になっている農業・稲作も、清らかで豊かな水があるからこそ可能になっていると申しました。そこで忘れてはならないのは、日本が清らかで豊かな水に恵まれているのは、いったいどうしてなのか、ということです。

ひとことで言えば、それはわれわれの先人が、木というものを非常に大事にしてきたからです。

いのちの糧となっている稲。稲の語源は「いのちの根」から来ているとも言われている。この大切な稲を育てるのに必要なものが清らかな水。清らかな水は私たちの命にとっても必要不可欠なもの。これらは日々生きていく中でどちらも目に見えるものであって、自然と大切にしなければならないという気持ちが湧いてくる。

しかし、水はどうやって育まれているのか。それに思いを馳せることができる人は、特に現代の私たちにおいてはとても少なくなってしまっているのではないだろうか。

水は雨として空からもたらされるもの。しかしただ降る雨だけでは水を安定的に供給することはできない。山に雨が降り、大地に蓄えて少しずつ湧きださせることによって川ができ、安定的に人里に水が供給されるシステムが自然には備わっている。このシステムの鍵を担っているのが山の木々。

山々に生い茂った樹木が大地にしっかりと根をはり、降った雨をしっかりと押さえ込む。毎年大量に落ちる木の葉は、ふかふかのスポンジのような土壌を作り、この土壌が降った雨を少しずつ谷川にそそぎ、また地中深くに押し込める。それが地下水となって何年も、何十年も、時には何百年もかけて徐々に流れ出し、田畑を潤し、人々のいのちを潤しているのです。

きっと、私たちのご先祖は木と水の関係性に気がついていたのだろう。そのことを考えさせる例の一つが、貴船神社の名前そのものにある。

貴船神社の「きふね」という言葉は、「貴船」として統一される前はさまざまな漢字で表されていた。そのうちの一つが「樹生嶺」。これを解釈して著者は次のように述べている。「水の供給を司る神、水源の神様は樹の生い茂る山の嶺にお鎮まりになる」。

科学的に循環のシステムについて理解できていなかったとしても、私たちの祖先は大きな自然の循環のシステムと、自然物の相互作用についてよくよく感じ、理解していたということが読み解ける。

木を大切にしていた日本人。具体例については次の記事で紹介したい。

2. 今日の瞑想〜2022.8.4 Thu 6:30〜(20min)

本日も良い天気。。今週も残すところあと2日。瞑想でエネルギーを充填して臨もう。

今日の瞑想音楽はこれ。

呼吸を落ち着けて、身体全体を観察してみる。昨日は胃もたれしていたが、今日はまずまずの体調といったところ。

思考が湧いてくるのを流して、今日は自分の内側に深く入ってみることに。そうすると、思考が少しずつ落ち着いていくのがわかる。

いつもよりもしっかり瞑想に集中できている感覚。アラームが鳴るまでその状態をキープして終了。

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