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はじめまして

日記さえも3日どころか2日連続で書いたことのない私が、
無謀にもnoteを始めようとしている。
何から書き始めればいいのかわからないので、自己紹介。
都内に暮らす兼業主婦、45歳。
子どもはいない。
ほしかったけど、授からなかった。

子どもができないのにどちらかだけの問題ということはないというが、
うちの場合、ほぼ100%私の問題だった。
4年間の不妊治療中、私なりにつらかったり悩んだりはしたけれど、
周りの不妊に悩む友達や、治療を綴るブロガーさんを見ていると、
その深刻さが私とはケタ違いで、
自分は真剣さや切実さに欠けるのだろうかと思ったりしていた。

治療をやめて3年半、子どもを持てなかったことは
今でも心に刺さったトゲではあるものの、
夫と2人、のほほんと生きている。

突然話は変わるが、私は心疾患を持つお子さんがいる方のツイッターをフォローしている。ユーモアあふれる素晴らしい文才で、大変な状況を乗り越えていく彼女のことはご存じの方も多いだろう。
彼女の「いいね」で私はそのブログに出会った。
産めない側の風景」と題されたその記事は、大変バズったので、
これまたご存じの方は多いかもしれない。

著者のぱきらさんと私の状況は全然違うけれど、
そこに書かれた感情があまりに自分と重なりすぎて、
久しぶりに“子どもを持てなかった自分”と向き合うことになった。

私は多発性の子宮筋腫を持っている。
3度の手術をして、何十個もの筋腫をとって、
さらに術後の癒着でもう1回手術。
ついでにアトピーと偏頭痛と貧血と、完治したものの喘息も抱えていた。
そんな状況の上に結婚も37歳と遅かったので、
夫にも「子どもは難しいかも」と伝えていたし、自分でも覚悟をしていた。

ぱきらさんは記事の中で
「産めないかもしれない可能性」を理解しておくことも大事ではないかと。
当たり前のように子を授かり、育てることができると信じている状態で、産めないと知ることはとても辛い。
だから「もしかしたら産めないかもしれない」と頭の片隅にあることもまた、生きて行く上では大切なのではないかと思っています。

と書いている。
“子どもを持てなかった自分”をそれなりに受け止められたのは、
「産めないかもしれない可能性」を理解していたからなんだ、と
何年振りかに自分の感情が腑に落ちた。

ずっとモヤモヤしていたことが晴れた気がして、
ひとつの例として自分の経験を語ることが、
誰かのモヤモヤを晴らせることができるのかもと思い、
noteを始めることにしました。

どうぞよろしくお願いいたします。

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