ムスティ

夫とふたり暮らしの40代。

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マガジン

  • アトピーと喘息 共存までの道

    アトピーと喘息の、幼少期からの治療の歴史を振り返ります。アトピーは共存中。喘息は完治。

  • 片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合

    長年の偏頭痛・緊張型頭痛との付き合いの中で、私の試した対処法をまとめました。

  • 多発性子宮筋腫と不妊治療

    多発性子宮筋腫を持つ私の、不妊治療の体験談をまとめました。

最近の記事

喘息とアトピー⑩終 保湿と美容

顔も体も湿疹だらけだったころ、何を塗ってもしみることや、元来のズボラも加わって、保湿がおろそかになり、さらにカサカサになり悪化するというダメなアトピー患者の見本のようなことになっていた。 それが落ち着いて、それなりの肌を取り戻すと、新たな悩みも出てきた。 例えばムダ毛の処理。 脇や腕など気になるが、抜いても剃っても肌が荒れる。 そこで、皮膚科医の友達に相談したところ、きちんと病院で脱毛した方が肌にもやさしいし、今後が楽、しかも色素沈着も薄くなるよとのことで、レーザー脱毛した

    • 喘息とアトピー⑨ 現状と使っている薬

      前回から一気に20年以上飛んで、現状について話そうと思う。 まず、喘息はあれ以来一度も大きな発作を起こしていない。 時々は吸入器のお世話になっていたが、30歳を過ぎるころからそれもなくなり、月1回定期的に通っていた病院も、徐々に回数が減り、半年に1回ほどになっていった。 そして35歳くらいで、晴れて完治のお墨付きをもらった。 ただ、少しでも呼吸がおかしいと感じたらすぐに病院に来るようにとしつこいほどに念を押された。 完治とはいえ、呼吸器系が弱いのは一生ついて回るということだ

      • 喘息とアトピー⑧ 社会人1年目/アトピーと喘息で入院

        週3,4日のアルバイトでも、と思っていたはずが、 入った会社は毎週締め切りに追われ、終電になる日も多い、 なかなかにハードなところだった。 ただ、仕事はとても面白く、忙しいながらも充実した毎日を送っていた。 半年過ぎたある日、目が覚めた私は異変に気付く。 顔全体が熱っぽく腫れていて、目が薄くしか開かないのだ。 これでは会社に行くどころではない。 両親に車で病院に連れて行ってもらい、そのまま入院となった。 前回の入院で、集中して治療すればすぐに良くなると 気軽に構えていたのだ

        • 喘息とアトピー⑦ 大学時代/喘息で入院

          アトピーもかなりよくなり、意気揚々と大学に通い始めた4月、 久しぶりに喘息の発作を起こしてしまう。 アトピーと喘息は併発することが多いので、 無理やりアトピーを抑え込んだからかなぁなどと言っていたが、 そのあたりの因果関係はわからない。 ただ、初めて発作を起こした中3の時も、その前にアトピーで入院しており、何らかの関係を感じずにはいられない。 時々小さな発作は起こしていたものの、手持ちの吸入器で収まる程度で、 病院に行った方がいいかなというレベルは、中学3年以来だった。

        喘息とアトピー⑩終 保湿と美容

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        • アトピーと喘息 共存までの道
          10本
        • 片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合
          2本
        • 多発性子宮筋腫と不妊治療
          23本

        記事

          喘息とアトピー⑥ 大学時代/アトピーで入院

          そういうわけで、全身アトピーが悪化した私は、 大学3年が終わろうとしている3月、大学病院の皮膚科に行った。 ジャン・レノに似ている(日本人)先生は、 「大変だったね」「がんばったね」とものすごく気遣ってくれながら、 治しがいのある大物が来たとちょっとワクワクしているフシがあった。 通院でちまちま治しているレベルではないと、入院が決まった。 その際、ステロイドについても説明を受け、 「家が火事の時にバケツで水をかけ続けても燃え広がるばかり。 放水車で一気に消さないとダメ」とい

          喘息とアトピー⑥ 大学時代/アトピーで入院

          喘息とアトピー⑤ 大学時代/アトピー専門クリニックの話

          今日は大学時代に通った脱ステロイドのアトピー専門クリニックの話です。 詳細は有料とさせていただきますが、3ヵ月通って効果がなく、むしろ悪化したため、大学病院に行くことになった経緯を書いています。

          有料
          200

          喘息とアトピー⑤ 大学時代/アトピー専門クリニックの話

          喘息とアトピー④ 中学・高校時代/アトピー入院とはじめての喘息発作

          犬との共存もそれなりにうまくいっていた中学3年の時、 良くも悪くもならないアトピーについて、 一度入院してしっかり治そう!ということになった。 入院と言ってもすこぶる元気なので、ちょっとした連休くらいに気楽に過ごし、完治とは言わないまでも、3泊4日でずいぶん改善した。 しかし、それとの因果関係は不明だが、気管支炎がひどくなり、呼吸がヒューヒューゼロゼロとなることが増えてきた。 ある夜、苦しくて目が覚めると、どうもいつもと様子が違う。 いつもなら呼吸音がおかしい&胸が苦しいく

          喘息とアトピー④ 中学・高校時代/アトピー入院とはじめての喘息発作

          喘息とアトピー③ 中学・高校時代/我が家に犬がやってきた

          中学生になり、我が家では犬を家族に迎えることになった。 2人姉妹の妹だったので、弟ができたようでうれしかったが、 犬の方は私の方こそ自分の妹だと思っていた気がする。 遊ぶのも、散歩に行くのも楽しくて、毎日一緒に寝ていたが、 犬を洗うと手・腕が赤くなりかゆくなることに気づいた。 これは犬だよね…と薄々感じつつ病院でアレルギー検査をしたところ、 定番のスギ・ヒノキ系からダニ・ホコリ系、犬猫などの動物系など くまなくすべてアレルギー反応が出た。 しかも、正確な数値は覚えてないのだ

          喘息とアトピー③ 中学・高校時代/我が家に犬がやってきた

          喘息とアトピー② 小学校時代

          私の小学生時代は、アトピーという言葉が一般的になってきたころで、 友達の中にもちらほら湿疹のある子がいた。 私は我慢できずに掻いては悪化させるタイプだったので、 見るからにアトピーとわかる子どもだった。 ラッキーだったのはアトピーだからといじめられることが一度もなかったことだ。見た目がブツブツしていたり、赤くはれたり、傷口からの浸出液が固まっていたりしていたが、それを汚いと言われたことはない。 先生が指導した、という記憶もないのだけれど、 今思うと、いい友達に囲まれていたの

          喘息とアトピー② 小学校時代

          喘息とアトピー① はじめに

          病気以外話すことないのか、と思いつつ、 今日からは喘息とアトピーの話をしようと思う。 物心ついたころからアトピーだった。 肘の裏、膝の裏、首が3大アトピー発生場所で、 治っているときでも黒ずんだ色素沈着で、 アトピー持ちだとすぐにわかる子どもだった。 45歳になる今でも、相変わらずアトピーは完治していない。 季節の変わり目や花粉の時期などは、途端に肌が赤く荒れる。 治っていない私が何を語っても参考にならない気がするが、 かつてはかなり重症だった私が、 半袖で出かけられるよ

          喘息とアトピー① はじめに

          片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合〈後編〉

          長年の頭痛との付き合いの中、試してきた方法を紹介します。 あくまでも私の場合、ということでご参考までに。 自分に合った対処法が見つかりますように。 対策1.鍼灸何ヵ所か通ったことがあるが、先生方はどうも子宮筋腫の方に興味が向くらしく、頭痛メインで見てくれる人はいなかった。頭痛に関して効いたと感じたのは1ヵ所。 効いた1ヵ所は即効性があるというより、通い続けているうちに「そういえば最近頭痛くないな」という感じだった。隔週で通っていた1年間はひどい片頭痛になることはなかったが、

          片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合〈後編〉

          片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合〈前編〉

          子宮筋腫と不妊治療の話がひと段落したので、 これまた長年の付き合いの頭痛についても話しておこうと思う。 <頭痛の歴史>自分ではあまり記憶がないが、小学校低学年のころからよく「頭が痛い」という子どもだったらしい。 ランドセルで早くも肩こりになっていたので、それも関係していたのかもしれない(姿勢も悪くてよく注意された)。 このころ飲んでいたのはバファリン。 いわゆる“片頭痛”というものになったのは、もう少し大人になってから。 大学生の時、子ども相手のアルバイトをしていたのだが

          片頭痛・緊張型頭痛の傾向と対策 私の場合〈前編〉

          おわりに 不妊治療当時の話 つらかったこと…のはずが途中は愚痴

          私は不妊に悩みつつも、 1日中そのことしか考えられないとか、 落ち込んで仕事が手につかないとか、 子どものいる友達と話すのがつらいとか、 移植結果を聞いて病院で泣き崩れたことはない。 でも、もちろんまったく平常心で暮らしていたわけではない。 特に、夫が子どもを熱望していたことを知ったころは、 夫に申し訳なくてたまらなかった。 夫の両親からは、一度も子どもを催促されたことがない。 一人息子の子どもをどんなにか楽しみにしていらしただろうと思うと、 その心遣いがありがたく、同時

          おわりに 不妊治療当時の話 つらかったこと…のはずが途中は愚痴

          不妊治療その後の話 子宮筋腫について

          不妊治療を終えたものの、子宮筋腫との付き合いは続く。 総合病院に再び出戻り、今後についてA先生に相談した。 相談しても、選択肢はほとんどない。 手術ができず、放置すればどんどん筋腫が大きくなるとなれば、 薬で抑えるしかない。 そこで登場するのは毎度おなじみリュープリン注射。 更年期障害のような副作用があるものの、 筋腫を小さくし、生理も止まるので、私はウェルカムだ。 ただ、骨がもろくなるという看過できない副作用があることもあり、 続けて打てるのは6回まで、次は半年空けなけ

          不妊治療その後の話 子宮筋腫について

          不妊治療その後の話 ヒトの子どもについて

          不妊治療をしていると、他人の妊娠が喜べなくなるという悩みを聞くことがある。 自己嫌悪で余計つらくなるという悲しい状況だ。 幸い、そこに至ることなく、不妊治療を終えることができた。 移植後の検査で着床していなかったことを告げられた日に、 夫の友達の“妊娠おめでとう食事会”があったときは、 ちょっと泣いてから出かけた記憶があるが、 いいなーうらやましいなーとは思うものの、 妊娠自体はいつでも誰でも本当にめでたいと思っていた。 妊娠できることは本当に奇跡なんだなと実感するように

          不妊治療その後の話 ヒトの子どもについて

          不妊治療その後の話 養子について

          不妊治療やさまざまな理由で子どもを持つことをあきらめた人に対して、 養子を勧めてくれる人が必ず出てくる。 善意から出る発言だとわかっていても、正直余計なお世話だと思っている。 不妊治療をしている(した)人で、 程度の差こそあれ、養子縁組を考えたことのない人はいないと思う。 私は「血縁がすべて」などと思ったことはないが、 養子縁組を現実的なこととして考えたことはなかった。 まず、「夫の子がほしい」からスタートした不妊治療だったこと。 また、自分から手を挙げて誰かの人生に責任

          不妊治療その後の話 養子について