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喘息とアトピー⑦ 大学時代/喘息で入院

アトピーもかなりよくなり、意気揚々と大学に通い始めた4月、
久しぶりに喘息の発作を起こしてしまう。

アトピーと喘息は併発することが多いので、
無理やりアトピーを抑え込んだからかなぁなどと言っていたが、
そのあたりの因果関係はわからない。
ただ、初めて発作を起こした中3の時も、その前にアトピーで入院しており、何らかの関係を感じずにはいられない。

時々小さな発作は起こしていたものの、手持ちの吸入器で収まる程度で、
病院に行った方がいいかなというレベルは、中学3年以来だった。
父運転の車で病院に向かいながらくだらない話を(息も絶え絶えなのに)して、「今死んだらこれが最後の言葉になってしまう!」などと軽口をたたいていた。

結果、「こういう時は救急車を呼んでください!あと10分遅かったら危なかったですよ!」と叱られる。
本当に最後の言葉になるところだったらしい。

そのまま入院となり、隣のおばあちゃんの代わりにナースコールを押してあげたら「この人が入れ歯をとった」と心当たりのない窃盗犯に仕立て上げられたりしながら、3日ほど入院する。

その後、ちょいちょい発作を起こし、2か月の間に3,4回入退院を繰り返し、看護師さんに「おかえりー」と言われるようになる。
うれしくない。

夏は小康状態となるも、秋に再び発作で入院。
退院後も階段を上ることができず、家の1階のみで生活する。
もちろん大学に通うこともできず、
家で時々卒論を書く以外はのんびり暮らしていた。

アトピーにも喘息にも埃は大敵なので、
朝、母が掃除を始めると、犬と庭の縁側に避難し、
掃除が終わると『奥様は魔女』の何度目かわからない再放送を犬と並んで見る毎日は、なかなかに幸せな記憶として残っているが、
母は、「もうこの子は普通の生活ができないかもしれない」と悲嘆に暮れていたらしい。
のんきな娘で申し訳ない。

そういう訳で大学にはあまり通えなかったのだが、
3年の時にゼミと卒論のテーマを決めていたこと、
教授が喘息にとても理解があり、卒論の資料集めなどに協力してくださったことなどから、無事に卒業することができた。

つくづく人に助けられてばかりの人生だ。

卒業できたのはいいが、就職活動ができなかったので、このままだとニートだ(そのころはそんな言葉はなかった気がする)。

ずっと家にいるよりは、週に3,4日でも出た方がいいのでは? ということで、就職またはアルバイトを探していたところ、ある会社で契約スタッフを募集していることを知る。
応募したところ、運よく雇ってもらえたのだが、週3,4日どころか、
フルタイム&残業祭りの仕事で、私の生活は一変する。


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