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ざっくりした筋腫の歴史 その4・終

さらに時は流れて36歳。
低用量ピルの服用に加え、リュープリン注射なども併用するも、
再び筋腫が(しかも大量に)再発し、手術の方法を検討することに。

私の場合、子宮がほぼ筋腫で構成されているレベルに筋腫が多く、
今回手術をしてもまた再発するだろうとのこと、
だったらもう子宮ごと取っちゃってくださいという私に、
先生が結婚の予定を聞いてきた。
ちょうど当時お付き合いしていた人とそんな話が出たところで、と言うと
取るのはまぁ待てと言われ、筋腫の専門医を紹介される。

ということで、紹介状を手に(前回とは別の)総合病院へ。
そこの先生はMRIの結果を見ながら
「すでに子どもがいる人だったら、子宮摘出を勧めるレベル。
手術しても子どもができるかわからない」と率直に教えてくれた。
それでも手術をするなら、その道のスペシャリストを紹介すると。

ということで、またまた紹介状を手に大学病院へ。
そこで「手術をしたら半年後に不妊治療をスタートさせるので、
結婚前に手術をしましょう」と予定通りの筋腫の手術と、
何も考えていなかった不妊治療の開始を告げられた。

3回目の手術は開腹手術。
簡単に言うとお腹を切ってさらに子宮も切って筋腫を取り出し、
子宮を縫い直し、お腹を縫い直す手術だ。
前回の2㎝の傷跡であれほど痛い思いをしたので、
今回の痛みはどれほどかと覚悟していたけれど、
痛みコントロールが素晴らしいせいか、痛い思いはまったくせず、
翌朝から自分でお手洗いに行くことができ、感激した。

術後診察の際に、手術の報告を受けたのだが、
先生のPCで己の子宮が切り刻まれるのを見るのはなかなかシュールだった。
なぜだか立ちながら見たのだが、そこは繊細な人もいるんだから、
せめて座らせておけと思ったことを記憶している。

その時の収穫は取りも取ったり60個。
ここまでの大物はなかなかないらしい。
「同じ手術をして妊娠した人が1人いるからがんばってね!」と言われ、
「1人かぁ」と思いつつ退院した。

これでひとまず筋腫の話は終わり。
次回から不妊治療の話を始めます。

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