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夏がきた、さいきんのこと

 前回書いたものを読んで日数以上に時間の経過を感じる。この間だいぶ意識に変化があったということなのだが、梅雨が明けて中学校は夏休みに突入した。子どもの部活の合宿が無事終わり、八月になって数日経つ。
 いつの間にか紫陽花や薔薇ではなくサルスベリの花が咲き蝉の鳴き声が響き深々とした木々の緑が強い日の光に照らされるようになった。胴体にじっとりと汗をかく。もっと滝のように汗をかいてさっぱりしたいとよく思う。

 さいきん「いいな」と思ったコーチングのメソッドもハワイ発祥のケア方法も同じように聞こえる。己自身がかけた呪いを解けば自ずと道は開ける、と。

 ずっと読みたかった小説の文庫本を見つけてすぐさま購入した。読書が二巡目に入り少ししてから他の人の感想が気になり調べてみると4月に続編が刊行されていたと知って複雑な気持ちになる。
 物語は全体的に夜の色がした。五感に訴えもした。香りと記憶。執着と愛着。

 自分も含めてなんて人は我儘なのかと思う。そういうものだとも言えるし状況によっては、はしたなくもある。
 はしたなさを感じてしまう時はきっと余裕がないため人への気遣いができていない。自分のことしか考えられない。
 ではやらねばならぬことを傍において全く関係ないことをしてしまう心理、あれは一体何なのだろうか。
必ずやらなくてはいけないという思考の欠如、あるいは逃避。理性とは別に無意識下に刻まれた思考や規範に則り言動や行動がある。外からの影響を疑うよりも、まずは自分自身を見つめたい。

 転職活動は継続中。

 人生2回目の胃カメラ。

 友人の結婚式の招待状が届いた。いまのところ予定はないけれど、もしまた結婚することになった場合、神前で式を挙げたい。最初の結婚ではそもそも何もしなかった。お金がかかることを避ける気持ち以外に恥ずかしさがあったのだ、自分たちが主役になることに対して。もったいないことをしたな、と思っている。

 夏休みの間子どもは家で昼食を食べるので、だいぶ楽になったはずだが、寝不足なのはこれいかに。そんな折想像する。
昔造りの一軒家。たくさんある部屋の一室を仕事場にした。コンピュータさえあれば仕事はできる。台所と仕事部屋は5分とかからない距離にある。終業するとすぐさま台所へ向かう。昼休憩の際に塩麹に漬けておいた肉を取り出して、野菜と一緒に鍋で煮込み始める。冷たいものばかりだと体が冷えるので温かいものが食べたくなるのだ。台所には大きなダイニングテーブルがある。そこで子どもは夏休みの課題をいくつも広げ、問題を解いたり書きものをしている。網戸にした窓から気持ちのよい風がさっと舞い込む。庭には大家さんが植えた木々が所狭しと枝を伸ばし葉が青々と茂る。たくさん生えた草花はハーブであった。清涼感のある香りは疲れた心と体を自然と鎮めてくれる…、とここまで想像して一軒家で静かに暮らしたいという願望を再認識した。
家を磨いて丁寧に洗濯をする。季節の食材を買って丁寧に調理する。調理したものをよく噛んでいただく。植物に水を注ぐ。私も水をのんで日光を浴びる。よく歩き、時に走る。入れて出す、交感神経と副交感神経、オンとオフ、陰と陽、個と集団。一生懸命生活することが私のしたいこと。


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