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【日本アニメすごい幻想】からの脱却が必要: 「製作委員会悪者説」提唱者である私が製作委員会を否定しない理由

海外においてコングロマリットによるマーケティング戦略としてのソフトパワー展開から国家レベルのソフトパワー戦略まで、取り分けエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)を仕掛けていた立場から見ると、日本でアニメビジネスの基本と本質が理解されていないのは実に奇妙です。
(以前の記事『【映画産業は不動産ビジネス】日本から世界的ヒット映画が生まれない理由』からの変奏)

みずほ銀行の産業調査部が公開した『みずほ産業調査』Vol.69「コンテンツ産業の展望 2022~日本企業の勝ち筋~」(2022年3月24日掲載)が最近話題となったことを知りました。

きっかけは『ITmedia NEWS』の記事[アニメの製作委員会方式に、みずほが警鐘  動画配信時代に「交渉力低下のリスク」 コンテンツ産業の分析レポート公開](4月21日付)を見たことなのですが、記事通りの内容ならばコンテンツビジネスの基本と本質を理解していない見当外れも甚だしい分析です。

そこで直接「コンテンツ産業の展望 2022~日本企業の勝ち筋~」(以下「みずほ産業調査」と表記)に目を通してみたところ、エクスキューズこそ多くなされていましたが、やはり見当外れの分析という印象はあまり変わりませんでした。率直な感想はtweetした通りです。

あんちょこ等を参考にDisney社をお手本と決め打ちした結論ありきの考察が行われてしまったようで、出版産業、映画産業、アニメーション産業、音楽産業、ゲーム産業と5つの産業を概観した各論と総論が矛盾しており、論理破綻した分析となってしまっています。

「コンテンツ力を高め、コンテンツカタログを強化」「今まで以上に大量のヒットコンテンツを創出する日本ならではのコンテンツ企業が誕生」「それが実現できれば、大量に蓄積された優良なコンテンツ・カタログを生かして、日本企業が世界で戦えるグローバルコンテンツ・プラットフォーマーとなることも夢ではない」と結論を述べていますが、そこに至るまでの議論でコンテンツカタログを有する企業も時の巨大メディア(現在であればメガプラットフォーマー)に買収されてきた事実経緯を確認してきたはずなのですが、矛盾しています。コンテンツカタログを有することが必ずしもグローバルコンテンツプラットフォーマーへの道に繋がる訳ではないのです。

そもそも「コンテンツ力を高め、コンテンツカタログを強化」するにはどうしたらいいのかは根本的に突き詰めないといけない内容です。原作の確保はそのためのひとつの方法ですが、そのために出版社は原作者である漫画家を囲い込み、代理人契約などによって結果的にクリエイターである漫画家の権利が軽んじられてきたことは以前の記事『【見本市】としての「海賊版サイト」活用のススメ』で触れました。

本来であればコンテンツビジネスを体系的に説明することで「みずほ産業調査」における個々の間違いを浮き彫りにし、誤った分析を修正すべきなのでしょうが、ものぐさなものでなかなか腰が上がりません。

そこでまず、前出の『ITmedia NEWS』記事の内容からあまり外れない範囲でとりとめなく徒然と記すことにしました。今後、もし「気乗り」するようなことがあれば整理したいと思います。その点ご容赦いただければ有難いです。

コンテンツビジネスの基本と本質

基本と本質を明らかにしようと気が向いたときには契約上書くことができず、制約がなくなったときには気乗りしなくなるという典型的なものぐさ症状です。契約上の制約というのは、前出の拙著記事で触れたように、中国のビッグテックでエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)のコンサルタントを務めていたりしていたことで外部においてノウハウ等を明かす言動に制限があったためです。

エンターテインメントコンテンツのメガプラットフォームを作りたいのでそのトップに就任して立ち上げてほしいというオファーの「三顧の礼」でしたが、断り続けていたらコンサルティング契約だけでもということに落ち着きました。彼らは優秀なので、自分達の駒になってくれないのであれば、最低限他社が活用する可能性を潰しておこうということです。(そして現在、幸か不幸かこれぞチャイナリスクといった体制による締め付けで拡大がペンディングとなったままの状態が続いています。)

日本人材市場の「ムラ化」

このような人材市場における潮流は、過去は技術者、最近では研究者で話題となりましたが、アニメーターの移籍などアニメ業界でも問題となっていることです。日本における人材市場の「ムラ化」は深刻な問題で本稿と無関係ではありませんが、それ自体の議論は他に譲ることとします。

ここで関係するのはコンテンツビジネスの基本を理解したうえで産業の構築や構造改革、人材の効率的配置が行われているか否かです。日本の議論は基礎が間違っているのに「日本のアニメはすごい」のだから世界一の建物が建てられるはずだというある種の根性論に近いものがあります。

製作委員会悪者説

基本と本質が理解されていないので「製作委員会悪者説」もアニメ産業全体をダメにする問題かのように人口に膾炙していますが、実際はそうではありません。なにぶん、「製作委員会悪者説」なるものを世間に普及させてしまったのは私の責任でもあるのですから、この際に誤解を解いておきたいと思います。

私が「製作委員会悪者説」の最初の提唱者という訳ではありませんが、嘗て日本に2社だけ存在した著作権などの知的財産(Intellectual Property)を専門に扱う金融庁監督下の信託会社著作権信託部門トップとしてマーケティングに利用するために「製作委員会悪者説」を流布させました。

「製作委員会悪者説」の本来的な意味はアニメーション産業や映画産業の全体にとってビジネス上の「悪者」という訳ではなく、原作の著作権者にとって不利な構造に陥りやすいシステムということにあります。しかし、業界全体の諸悪の根源と誤解された方がインパクトが大きいので金融業界を含めた様々な業界や団体の思惑によって利用され、ミスリードを誘ってきた側面も否めません。

転職により金融業界を去って数年後かに日本から著作権専門の信託会社が消滅し、誤解を解かれないまま亡霊としての「製作委員会悪者説」が残り続けています。尤も、私が金融業界を離れたあとに差異を説明できる人間が日本の金融業界(ならびにコンテンツビジネス業界)にいたかと言われれば疑問ではあります。当時、エンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)と金融スキームの両輪を理解できる人材が日本にはほとんど存在しないことが問題となっていましたが、現在は改善しているのでしょうか?

日本のコンテンツビジネス業界

これも日本人材市場の「ムラ化」と無関係とは言えず、最近「低学歴国」という言葉が話題となりましたが、御多分に洩れず日本のエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)業界も「男の嫉妬社会」です。大雑把に言えば、自分より優秀な人間(人材)を排除する伝統が連綿と受け継がれています。判で押したように能力のないサラリーマンプロデューサーが量産される様は清々しいほど滑稽と言えます。水の低きに就くが如しを悪い意味で体現しているのです。

信託会社時代に映画会社など日本の多くのコンテンツビジネス会社社長と面談しましたが、実態はビジネスではなく趣味で経営している社長がほとんどでした。自分の好きな作品を作れればいい、自分の好きな作品を海外から買い付けて日本に紹介できればいいというもので、ビジネスは二の次です。従って、日本の大多数のコンテンツ会社は端からエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)の基本と本質とは無縁の趣味の世界で展開されています。

もちろん、極一部ではありますが、エンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)の基本と本質を理解している方もいます。そのほとんどが、個人事務所的な小規模の法人を設立して個の力で活躍されているのが実態です。何しろ日本のエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)業界は基本と本質が分かっていない人たちで構成されているのですから、「製作委員会悪者説」「映画はハイリスク・ハイリターン」などといった妄言は基本と本質を理解している側からすれば渡りに船の集団浅慮です。

理解できない人たちの集団浅慮によるエコーチェンバーで上書き強化された妄言を逆手に、基本と本質を把握した一部のキーパーソンによってビジネスは操縦されるのです。大ヒット人気マンガの映像化権を数十万円で取得し、自社の窓口権を確保して製作委員会を組成し、映像作品で堅実に収益を上げているあの会社などはさすがの手腕です。

一方で法人組織として体系的にエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)の基本と本質を継承している会社も極僅かですが存在します。それが東宝(取り分け、調整部)です。「みずほ産業調査」でも日本の映画配給は東宝の一人勝ち的な状況であると書かれていますが、その理由はここにあります。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」はコンテンツビジネスにおいても理となっています。

製作委員会

さて、エンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)の基本と本質を理解できない人たちの集団浅慮によるエコーチェンバーで上書き強化された妄言の代表格となった「製作委員会悪者説」ですが、実は製作委員会方式自体が悪い訳ではないことは誰でも簡単にイメージできることだと思われます。

なぜなら、スタジオジブリ作品を思い浮かべてもらえばいいだけだからです。スタジオジブリの長編アニメーション映画作品は全て製作委員会方式で製作されていますが、クオリティーコントロールも二次利用権などの権利許諾を含めた機動的ビジネス展開もブランディングにおいても特段問題は見られません。

もちろん、『ハウルの動く城』や『ゲド戦記』などに関しては異論や議論の余地がありますが、『ゲド戦記』の原作者が映画の出来に不満を表明したことは製作委員会方式自体が悪い訳ではないことの証左と言えます。

原作者が作品の出来に関して不満を表明できるというのは健全な関係です。ですが、日本の多くの映画やアニメなどの映像作品はマンガを原作としており、原作者である漫画家は作品を出版する際に出版社と代理人契約など事前に何らかのしがらみのある契約を締結しています。

日本で映像作品を製作する場合、ほとんどにおいてその出版社が映像作品における出版権をそのまま保持するために製作委員会に参加します。大多数の漫画家は出版社に首根っ子を押さえられ頭を上げることができないので、出版社が参加している製作委員会の意向に従わざるを得ない状況の延長線上に置かれ続けることになります。そのため映像化権許諾料(原作使用料)に不満があったとしても異を唱えることができないどころか、映像化の可否判断さえ自分で行うことができない漫画家が大多数となります。もちろん、これは漫画家だけでなくライトノベル作家などにとっても同様です。

本来の「製作委員会悪者説」はこの弊害を指したものです。すなわち、漫画家や小説家など原作の著作権者であるクリエイターの権利を守るための言説です。オリジナル作品でない限り、原作はアニメ産業や映画産業の根っ子となる部分ですが、この問題は製作委員会方式自体が悪い訳ではありません。どちらかと言えば出版産業の問題なのです。

オリジナルでなくともスタジオジブリ作品の製作委員会のように原作の著作権者と健全な関係を築き、一大ブランドを形成している事例が存在することは製作委員会方式自体がビジネス上の問題ではないことを証明しています。

ただし、実写映画の製作委員会に芸能プロダクションが参加し、キャスティング権の窓口を持って自事務所の俳優等を主演などに起用するミスキャストを行うと簡単に作品の世界観が崩壊するのも事実です。製作委員会は自ら戒め、この手のクオリティーコントロールには細心の注意を払って座組を形成すべきなのは言を俟ちません。

原作者(著作権者)の権利を守ることと同様に製作委員会の運用に注意が必要なのは間違いありませんが、運用に注意が必要なのはグローバルプラットフォーマーとの関係においても同様です。

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「みずほ産業調査」の図表2-3-27で表されている製作委員会の座組には「元請アニメーション制作会社」が入っていますので、スタジオジブリ作品のような健全な製作委員会で特段問題のない形です。

図表に「強力な交渉力に基づき、低予算の制作費で発注される」「二次利用に関する権利は製作委員会の出資者がそれぞれ保有しており、アニメ制作会社が保有できる権利は少ない」とありますが、間違いです。

この図表のように製作委員会の座組に「元請アニメーション制作会社」が入っている場合、制作費決定自体に「元請アニメーション制作会社」が関与しており、製作委員会との制作契約も「元請アニメーション制作会社」と製作委員会とで締結されます。また、「元請アニメーション制作会社」は製作委員会のメンバーなので二次使用に関する権利も相応に保有することになります。

図表のように「元請アニメーション制作会社」が製作委員会の座組に入っているケースは稀で、アニメ制作会社(元請アニメーション制作会社)は製作委員会に参加していないことがほとんどです。

それ故に、「みずほ産業調査」の内容ではありませんが、ソーシャルメディアに「製作委員会が中抜きしている」という言説が多く見られることになります。

しかしながら、製作委員会は各社の資金の持ち寄り(出資)で成り立っており、中抜きなどしていません。製作委員会に参加する目的は各社が生業とする事業の窓口権を得るためであり、窓口権に基付いて各社が独自にビジネスを行うのでそもそも製作委員会が中抜きできる原資など存在しません。

図表のグローバル配信プラットフォーマー側の流れにある「製作委員会を介さない直接交渉となり、従来より高い制作費で発注される」および本文「製作委員会方式は、リスク分散効果によって資金調達を容易にし」もミスリードです。資金力や資金調達力がないからクラウドファンディング的に各社持ち寄りで製作委員会を組成して制作費を工面しているのであって、そもそも資金があれば製作委員会などわざわざ組成しません。「リスク分散効果」は二次的なものであり、「高い制作費」が出せるか否かは資金力の問題です。

アニメーション制作会社

それでは、アニメーション制作会社とはなんでしょうか? 「製作」と「制作」の違いは著作権法で明示されていることは「みずほ産業調査」でも触れられていますが、簡単に言えば著作権等の権利を保有する方が衣編を持つ「製作」で、「製作」の指示を受けて作るだけで権利を待たない方が「制作」となります。乱暴な言い方をするなら、自ら考えて指示できる方が「製作」で、指示待ちの方が「制作」です。

アニメーション制作会社が映像制作会社の一種であるということは疑う余地のない事実です。映像作品においてアニメか実写かは映像表現方法の違いに過ぎません。私は以前から「映像コンテンツCM理論」を提唱してきましたが、説明しやすいのでここでも「映像コンテンツCM理論」を使用します。

映像コンテンツCM理論

「映像コンテンツCM理論」は正真正銘に私が提唱した理論であり、私は映像作品をエンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)における「CM」として位置付けています。この理論を巡っては、映像作品はあくまでコンテンツだとする立場をとる人々(取り分け、Disney社の方々)と議論が絶えませんでしたので用法・用量にはご注意ください。

ですが、エンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)において映像作品に「CM」としての側面があることは否めません。量子力学における「シュレーディンガーの猫」と同様に映像作品はコンテンツであると同時にCMなのです。

これに関して今回の「みずほ産業調査」で「その他にも、アニメ自体でのマネタイズを目的とせず、アニメを世界観表現のプロモーションツールとして活用することで、自社制作ゲームでのマネタイズを狙う戦略や、コミックでの販売増を志向するような戦略も考えられる」と触れている点だけは評価できます。しかし、映像作品はそもそも情報イメージを伝達するための文字通りのCMなのです。

アニメーションビジネス

『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』が分かりやすい事例です。アニメーション産業のマネタイズで最も大きな比重を占めるのはマーチャンダイジングです(この点が軽視されているのも「みずほ産業調査」の瑕疵です)。

TVアニメシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』はどちらも初テレビ放送時は視聴率が悪くて打ち切りとなった作品です。しかし、現在ではどちらも伝説の国民的アニメとなっています。視聴率が悪くて打ち切りになった作品がなぜ伝説の国民的アニメになったかといえば、秘めたる作品の魅力は当然として、両作品ともプラモデルの「CM」としての側面があったからです。

製作側としては視聴率が悪かったけどプラモデル売れたから他地域での放送や再放送を依頼することになります。そうこうする間に『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』のように多くの人々に魅力を理解される底力ある作品もあれば、残念ながら「CM」として一過性で終わる作品も出てくることになります。さらに、『ポケットモンスター』『妖怪ウォッチ』のようなゲーム原作作品であればマーチャンダイジングによる幅広い関連グッズが爆発的な売上を記録することになります。

図表2-3-27にあるようにアニメ制作会社が製作委員会に出資して窓口権など何らかの権利を持っていない限り、製作委員会に出資した各社共通の「CM」(映像表現方法にアニメーションと指定を受けた映像作品)作りを依頼されて制作費を受け取り、納品するだけがアニメ制作会社の役割なのです。

つまり、アニメ制作会社は映像制作会社として依頼された「CM」を作って納品するだけが仕事であり、アニメ産業におけるアニメビジネスからは蚊帳の外の存在となります。まさしく大多数のアニメ制作会社は「CM」を制作して納品しているだけなので、アニメーターにアニメビジネスの収益が還元されることはありません。

仮にここで、ある化粧品メーカーのBPクリームが大ヒットし、空前の売上高を記録したとしましょう。その化粧品メーカーは当然そのBPクリームのCMをTVや動画配信サイト等に出稿していました。もちろん、そのCMも多かれ少なかれ売り上げに貢献したと考えられます。しかし、だからと言って「化粧品メーカーは当該BPクリームで得た収益をCM制作を委託した映像制作会社の助監督などにも還元しろ」と言うには無理があります。

実質的に「CM」制作を請け負っているだけのアニメ制作会社のアニメーターも同様であり、アニメ産業におけるアニメビジネスの収益をアニメーターにも還元しろというのは暴論でしかありません。アニメにしろCMにしろ映像制作会社は契約によって決まった制作費を受け取り、その制作費を遣り繰りして収益を出す事業であり、どこまで収益を伸ばせるかは経営手腕にかかっています。もちろん、その中でufotable(ユーフォーテーブル有限会社)のように製作委員会に参加していても脱税という違法な手段で現金をプールしていたアニメ制作会社も存在します。

以前、韓国のアニメ制作会社である株式会社DR MOVIEの鄭貞均社長に「これだけの技術力があるのだから貴社主体のオリジナルアニメ作品などを作りませんか?」と提案させていただいたことがあります。残念ながらお断りされてしまいましたが、その理由の言葉が印象に残っています。

現在では平均年収でも日本は韓国に抜かれてしまいましたが、当時でもアニメーターなどの待遇は韓国の方が良かったと思います。それでも鄭貞均社長が語った理由は「(アニメ制作の)下請けをしていた方が安定して稼げる」というものでした。下請けとして決められた納期に、求められた以上のクオリティーで納品できる技術力への自信、そして決まった金額内で収益を上げることができる経営力への矜持の籠もった言葉でした。

エンターテインメントビジネス(コンテンツビジネス)は最終的にどこでお金を落としてもらうかというマネタイズの仕掛けを作り、そこに呼水としての映像作品(CM)を投下して収益を生み出すものです。どこでお金を落としてもらうかはオリジナル作品か、マンガ原作か、ゲーム原作か等々によって異なります。

いずれにしろ、「CM」制作を請け負うだけのアニメ制作会社はアニメ産業のアニメビジネスにプレーヤーとして参加していませんので、映像制作会社として制作費で収益を上げるのが本来の経営の在り方です。敢えて分かりやすいよう乱暴な言い方をするならば、詰まるところアニメ制作会社の問題はアニメ産業の問題ではなく、映像制作会社としてのあくまで経営の問題なのです。(そもそも「アニメーション産業」と括るべきではないのかもしれません。)

日本アニメすごい幻想

それではどうしたらアニメ産業の蚊帳の外であるアニメーターを含めたアニメ制作会社の経営問題は改善するのでしょうか? それにはまず、集団浅慮によるエコーチェンバーで上書き強化された「日本アニメすごい幻想」というねじ曲がった根性論を捨て、真摯に現実と向き合うことです。「日本アニメすごい幻想」は遣り甲斐搾取(やりがい搾取)の根源ともなっており、根性論から抜け出すためにも「日本アニメすごい幻想」からの脱却が必要です。(ただし、この場合の「日本アニメ」とは「日本のアニメーション」という意味であり、「日本アニメーション株式会社」の略称での使用ではありません。)

「日本のアニメすごい」という感覚が共同幻想であることはデータが確り揃っている映画の世界興行成績(興行収入)ランキングを見れば一目瞭然です。アニメーション映画(CG含む)に限定した世界興行成績(興行収入)ランキングで世界トップ10に入る日本のアニメ映画は存在しません。このことは以前の記事『【映画産業は不動産ビジネス】日本から世界的ヒット映画が生まれない理由』で触れました。

アニメ映画限定世界興行成績ランキングTOP10
1位『The Lion King』(2019年版リメイク)$1,663,075,401
2位『Frozen II』(アナと雪の女王2)$1,453,683,476
3位『Frozen』(アナと雪の女王)$1,284,540,518
4位『Incredibles 2』(インクレディブル・ファミリー)$1,243,225,667
5位『Minions』(ミニオンズ)$1,159,444,662
6位『Toy Story 4』(トイ・ストーリー4)$1,073,841,394
7位『Toy Story 3』(トイ・ストーリー3)$1,067,316,101
8位『Despicable Me 3』(怪盗グルーのミニオン大脱走)$1,034,800,131
9位『Finding Dory』(ファインディング・ドリー)$1,029,266,989
10位『Zootopia』(ズートピア)$1,025,521,689
(Box Office Mojo by IMDbPro 調べ)

それどころか、日本興行成績歴代トップのアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の全世界興行収入であってもアニメ映画世界興行成績で第26位の中国アニメ映画『哪吒之魔童降世』にさえまだ届かないのが日本アニメ映画の現実であると同時に本当の実力でもあります。

TVアニメシリーズについては過去を含めたデータが十分に存在しないためあくまでコンテンツ力としての印象ですが、日本のアニメがすごかった時期があったとしても、それは『マッハGoGoGo』や『UFOロボ グレンダイザー』辺りまでの時代の話だと個人的には睨んでいます。この点こそシンクタンクが組織力を使って世界市場データを収集し、研究すべきテーマです。

また、アニメーション技術(技法や手法)においてもカナダなどの先進国と比べれば日本は後進国であることも前出の拙著記事で触れた通りです。

上述の通り、「日本のアニメすごい」という認識が共同幻想であることは数字データという客観的事実から明白なのです。

日本アニメすごい幻想からの脱却

という訳で、アニメ制作会社は「日本アニメすごい幻想」から脱却し、経営改革を行わなければなりません。アニメ制作会社だからと言ってそのために特別な方法は必要ありません。まず、BPRとデジタル化を実施することです。中国ビッグテック関連のアニメ制作会社(もちろん、中国の全てのアニメ制作会社ではありません)はそれだけでもかなり従業員の待遇・福利厚生を向上させることができました。

それができれば、次のステップで人材を育成することができます。この育成とは「アニメーション学校」「アニメーター塾」「アニメーター育成プログラム」などのことではありません。ここで言う育成とはずばり、株式会社コミックス・ウェーブ(現在の株式会社コミックス・ウェーブ・フィルム)が新海誠監督を長年にわたって支援してきたような形を言います。

OTTグローバルプラットフォーマー

NetflixやAmazon Prime VideoなどOTT(over-the-top media service)のメガプラットフォーマー(グローバルプラットフォーマー)に頼っても道は拓けません。Netflixに依存することで日本アニメのアイデンティティーが崩壊するという懸念は海外で以前から指摘されていますし、Netflixの会員数が20万人減少したことで顕在化したクオリティーコントロールの失敗に起因して制作費削減に転じました。

この春(2022年春)の四半期中にNetflixはさらに200万人の会員を失う見込みであり、co-CEOのReed Hastingsは広告導入を検討すると述べ、TV部門グローバル責任者のBela Bajariaはコンテンツ製作を縮小して制作費を抑制すると語っています。

そして何より、Netflixは先月(2022年4月)最もパフォーマンスが低く会社に悪影響を与えているのはアニメーション部門だとしてオリジナルアニメーション部門トップのPhil Ryndaをはじめアニメ部門とその関連の「Tudum」のスタッフを解雇しました。

もちろん、これでOTTグローバルプラットフォーマーの時代が終焉する訳ではありませんし、まだ当面エコシステムの頂点として君臨することでしょう。ですが、ラインナップを見ただけでもコンテンツ力の低いNetflix Japanの作品数と制作費含む予算は縮小されるのが自然の流れと言っても過言ではありません。

そして、もし今後コンテンツ力のある作品をカタログ化して台頭してくるアニメ制作会社があったとしたら、OTTグローバルプラットフォーマーの買収対象となります。独立系を維持するもよし、買収に応ずるもよし、時勢に即した経営判断の問題です。

アニメーションのコンテンツ力

ただ、純粋にアニメーションのコンテンツ力を考えるのであれば、短編アニメ作品を作れる力量を有するアニメ作家を多く育成し、支援し続けるところが高いコンテンツ力を獲得することになるのだと思っています。


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