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大人に『頑張ったで賞』なんてない話。

お久しぶりです!隼です。

皆さん元気にしてますか??
久しぶりにnoteを書いてみようと思います。

寄り道ばかりの人生

このnoteを始めて早3年ですかね。
最初の1年は密に更新できてましたが
その後はぽつりぽつりとそんな感じ。

今回もタップして読んでいただき本当にありがとうございます。

振り返ってみると
会社を設立してライバー事務所を経営し、
1期2期3期と流れるように時は過ぎました。

もちろんこの3年間で得たもの、
初めての経験だらけで
さらに世の中の輪郭に触れることの出来る時間を過ごせました。

そんな中で日常の景色が変わったかというと
そうではありません。
 
年を追うごとに出てくる問題や
同年代、または社会とのギャップを感じることもしばしば。

会社を持つことは、自分のルールを持つことにもなります。

だからこそ歴を重ねる事に
社会との”ズレ”を感じざるを得ない時間も増えます。

不安と肩を並べて歩きながら
進みたい方向はこっちでいいのかな?とか
そもそも何のためにやってるんだっけ?と
迷ってしまうこともあります。

これが自分が選んだ道だな。って背筋を伸ばす日々です。

最近は上手くいかないことも多くて
落ち込みに落ち込んでます。久方ぶりに。

大人になると『頑張ったで賞』はない

僕もいつの間にか30代になって、
当たり前に周りは結婚して家庭を持って
子供のために頑張る新米パパ達を横目に
なんだか同じ景色の螺旋を回る自分は
遅れてるのかな、とか、劣ってるのかな、とか
考えるくらい余裕がなくなることもあります。

先日家族からLINEが送られてきました。
甥っ子の運動会の動画でした。

小学校の甥っ子が頑張って曲に合わせて踊ってました。

なんだかその姿にグッときて涙が出ました。

どう言語化していいか分からないけど
『一生懸命』だったんですよね。

覚えたふりを全力で踊る姿に心をガシッと掴まれた感じでした。
もちろん甥っ子補正はあるとして
自分にいま足りてないものなんだなって。

厳しく見積ったとして、
「頑張ってない」わけではない。

出来ることを出来る限りやってるつもりです。

でも結果がないなら、
リアクションも出来ないんですよね。

大人になると基本的に
「がんばったで賞」なんかありません。
残念ながら結果で判断するしかない。
というよりプロセスをゆっくり見れるほど余裕はない、が正確な解釈かもしれません。

だからこそ無償で
「がんばったで賞」をくれる友達や恋人だったり
「まぁまた頑張ろうやチケット」をくれる同志(仲間)を見つけることが
心のバランスを保つためにも凄く大切だと思います

きっと同じように悩み、迷いながら生きる人が
世の中にはたくさんいるんじゃないかな。

僕はまだまだ道半ばで、
つい最近もつまづいて転んで
出来ればそのまま突っ伏して何も考えたくないですが、
雨は降るし日は照るし【静】も【動】も楽ではないみたい。

見たい景色、なりたい自分。
夢見てしまったが最後、足は止めたくない。

だから、また考えようと思います。

いまはまだまだまだまだこのnoteは日記ですが
いつか賞状になるその日まで
諦めずに書き続けたいと思います😊


いつも読んでいただき本当にありがとうございます!
孤独と握手した少年のような大人の皆さんに届きますように🤝✨

皆さまの想い(サポート)を紡いで 自分の会社経営に役立てたいと思います! 少しだけお力添えいただけたら嬉しいです。