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伴奏が好き! な人に出会うと幸せです

私は「伴奏」という役割が好きだ。伴奏者という仕事をする人を尊敬している。自分も中学の頃から、ギター片手に歌の伴奏をしてきたからかもしれないが、とにかくこの陽の当たることの少ない役割の人々を心から応援している。

たぶん皆さんふだんそれほど意識しないかもしれません。

学校だと、校歌の伴奏、朝の歌の伴奏、等など、最も親しみやすい伴奏は、やっぱりピアノ伴奏になるし、おっとっつぁんのダミ声演歌にはギター伴奏が似合いますね(もちろんガットギターです。懐かしいねこの名前の響き)。TVの歌合戦なんかでアコーディオン伴奏というのもあった。なんてお名前でしたっけ、どんな曲でも伴奏してくれるアコーディオン奏者で有名な人、テレビによく出ていました、大昔の話ですが…。

伴奏なんて、ララーララララーラ

脇役に徹するのが使命。主役が歌いやすく、演奏しやすくしてあげるのが仕事。しかし、この役割をよくわかっていない伴奏者も結構多い。

例えば合唱のピアノ伴奏者の場合、彼らの心の声が聞こえてくる。

「けっ!なんで俺が下手くそな合唱の引き立て役をやらにゃならんのよ~。それにこの曲のピアノパートって全然面白くないし、ソロもないし、指揮者の言うことをきかなければならないし。早く終えて、メシ食いにいきたいぞ~」
とか、

「私は本来ここにいるべき人間じゃないの。ふだんは、ショパンとかラフマニノフとかを、ソロで弾くアーチストよ。なに?このフレーズは、こんなずんちゃっちゃなんて中学生に弾かせればいいでしょ。さっき、少しテンポに揺れを入れたら、指揮者が「フツーのテンポでお願いします」っだって。こっちもピアニストのプライドがあるのよ、もう~ゆずれないわよ!」

とかで、本来伴奏という役割には不向きな人々が、たまたま何かの都合で伴奏者をやっている光景は日本中、いや、世界中で溢れているはずだ。ああ、不幸なことだ

大学合唱団時代にお願いした、あるピアニストのこと

その昔、私の所属する大学合唱団団員で四年間伴奏ピアニストだった人が卒業した翌年私は学生指揮者になったのだが、苦労したのがピアニスト探しだった。一年目、卒業したピアニストの友人で音大卒の女性に来てもらったのだが、三ヶ月でお引き取り願った。私は未熟だったから舐められたとしても仕方がないけれど、常任指揮者も手を焼くほど伴奏に不向きなキャラだった。

そりゃ合唱曲といってもそれなりのピアノの活躍の場はあるから、演奏に主張があるのは構わない。が、前奏からして素晴らしく個性的(笑)で、「これ何の曲?」と思わせるくらい場違いな演奏をする。あとに入ってくる合唱にそぐわないし、演奏中も歌の方は無視し、独自のテンポで引き続ける。もちろん指揮者なんか眼中にない。有名音大出でテクニックは申し分ないのだが。

事実、卒業した学生ピアニストの技術とは比べようもない。けれど、歌う側は何か違和感を感じる。演奏はうまいのだろうが、歌っていて心地良くないのである。これでは合唱にならないと、しばらくして音大出の方には辞めてもらった。でも実は本当に困ったのだ。ピアノ付きの合唱曲も無伴奏で練習し続けたから、ははは~。

伴奏者に必要な気質

誤解して頂きたくないのだが、私は伴奏者に技術は必要ない、と主張しているのではない。技術は必要だし、実際世の中にはそんじょそこらのソロ演奏家が裸足で逃げるテクニックを持つ伴奏者だって大勢いる。いや、伴奏=accompany pianistと呼ぶのさえもためらう尊敬すべき演奏家、立派なアーチストである。

彼らと、先に例をあげた不向きな伴奏者との決定的な違いは何か?「協調性」と呼ぶとお説教臭いし胡散臭いのでもう少しかみ砕いて言えば「共同作業」を好むか好まないか、ではないだろうか。

「共同作業」、音楽の世界ではアンサンブルだ。ピアノ付き合唱曲はれっきとしたアンサンブルだろうし、管弦楽曲も、マーラーの一千人の交響曲だって、究極のアンサンブルだろう。一方、一人のヴァイオリニストとピアニストによる演奏もアンサンブル。二本のリコーダーもアンサンブル。

生まれたばかりの赤ちゃんの目を見ながら歌う母親の子守唄だって、ある種のアンサンブル。赤ちゃんはやっと見えるようになった視界に映っている母親の目を見ながら、きっと心の中で共に歌っているかもしれない、これもアンサンブル。

話が脱線しました、いつものように。伴奏者の話でした。

「伴奏が好き!」な演奏者が好き

だから、私が伴奏者が好きなのは、彼たちや彼女たちが、共に歌おう、あるいは演奏しようとするその気持に共鳴するからだ。一緒に歌えた時、一緒に演奏できたときの喜びを知る人だけが伴奏者を担う資格がある。それこそが音楽の喜びではないか?もっといえば、聴衆とも共に歌いたい、演奏したい、もちろん心の中でだが、そういう感覚のある演奏家でなければ、誰が人の心をとらえることができるだろう。

伴奏が好き!という人に出会うと幸せな気持ちになる。


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