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第15週「先生のうた」#暁に祈る

朝ドラ「エール」いよいよ太平洋戦争へと突入しましたね。なかなかシビアなシーンが続きます。ドラマの古山裕一も時代に巻き込まれていきます。

以前、「露営の歌」をご紹介しましたが、今日は「暁に祈る」をご紹介します。

作詞した野村俊夫は古関裕而と同じ福島出身の幼なじみです。
上京したきっかけも古関裕而の勧めでした。
1931年(昭和6年)には「福島行進曲」(歌:天野喜久代)で古関裕而とコンビを組んでヒットさせ、その後フリーの作詞家として活動していましたが、藤山一郎さんの日本コロムビア復帰第1作目として1939年(昭和14年)に発売された「上海夜曲」がヒットし、古関裕而と同じ日本コロムビア専属作詞家となりました。(戦前はレコード会社と作詞家・作曲家が専属契約を行なっていたのが一般的でした。)

さて、「暁に祈る」は福島三羽ガラスのもう一人、伊藤久男が歌っています。彼もまた福島県出身で、上京してからは古関裕而と家も近いこともあって友人同士だったそうです。

1933年(昭和8年)に古関裕而の紹介で日本コロムビアのレーベル“リーガル”からデビューしましたが、しばらくは芸名で活動していましたが、1935年(昭和10年)に「別れ来て」で芸名を伊藤久男に統一、歌手として初めてヒットとなったのは、1938年(昭和13年)、日中戦争を題材とした楽曲「湖上の尺八」でした。


「暁に祈る」が発表されたのは1940年(昭和15年)、既に日本コロムビアを代表する専属作曲家になっていた古関裕而にとって、古関本人、野村俊夫、伊藤久男この3人を中心とした作品を発表できることは満を持してという面もあったかもしれませんね。

この時期は各レコード会社で軍国歌謡が企画され、日本コロムビアでは古関裕而がその中心となります。
戦時中、馬は軍の兵器という扱いもあり、その任務も大変重要なものでした。軍馬として実戦で役に立つということは大変なことで、昭和14年軍馬資源保護法が制定され、軍の動員上必要とされる馬を飼養管理と不断の鍛錬を加え、軍馬資源の充実を図ることになりました。そうした背景から、「暁に祈る」は、「愛馬思想普及」を目的とした陸軍馬政局からの依頼で作られます。

楽曲は野村俊夫が軍部から八度も書き直しを命じられ、やっと仕上げた歌詞に、昭和13年、日中戦争で従軍体験した古関裕而が、その経験から前線の兵士の心と一体となり、自分の眼で見た光景が目の前に浮かび、一気に書き上げられました。

レコード発売後に公開された松竹大船映画『征戦愛馬譜 暁に祈る』の主題歌として人々の心に刻まれたが、次第に、輸送船で出征する兵士の哀歌としても歌い継がれていきました。

伊藤久男の伸びやかでドラマチックな歌唱もこの楽曲のもつ望郷、悲壮感、諦念などの感情をさらに助長させ、見送る人、そして実際に戦地に赴いた兵士の胸にも突き刺さる楽曲だったからこそ、多くの人の記憶にも残り、歌われていったのでしょう。


(文:ミュージックソムリエ:柏井要一)

参考資料
評伝「古関裕而」(彩流社)
機関紙 郷土をさぐる会(第5号)

NHK連続テレビ小説「エール」                  (NHK総合月〜金 朝8:00〜8:15、12:45〜13:00)
土曜日は1週間を振り返ります。その他NHK BSプレミアム、NHK BS4Kでもオンエア中です。    
*放送予定 3月30日〜9月26日
またNHKオンデマンドでも見逃し放送をご覧になることができます。


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