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第320回/1981年の尾高忠明指揮のブルックナー第8交響曲[鈴木 裕]

大学の4年間は法政大学のオーケストラ部でヴァイオリンを弾いていた。弾いていたと自慢するほどうまくなかったが、毎日3時間は練習していた気がする。また、3年生は運営学年で、自分は渉外マネージャーになった。他の大学と交流して、たとえばエキストラをお願いしたり、定期演奏会のホールやその後の打ち上げ会場を押さえたりといった役割だ。そして青少年音楽祭の常務(学生の運営スタッフをそう呼んでいた)を先輩の渉外マネージャーから引き継ぐという役割もあった。

ウィキペディアにも一応その項目があるが、青少年音楽日本連合、ジュネス・ミュジカル・ドゥ・ジャポン(自分たちはジュネスと呼んでいた)のことを平たく言うと、NHKがお金を出して、関東を中心にして学生や卒業してから数年のアマチュアが集まって、マンドリン部門、合唱部門、オーケストラ部門が演奏会をやるものだった。オーディションや練習は渋谷のNHKの中のスタジオで。本番は夏がNHKホール。秋はそれ以外の近郊のコンサートホール、というのが当時の流れだった。その時にはとうぜん意識していなかったが、1961年から始まり2001年に活動が終了したジュネスの、ちょうど真ん中あたりの時期に関わっていた、ということになる。

先輩から引き継いだジュネスでの最初の仕事が第40回創立20周年記念コンサートで、指揮は朝比奈隆さんだった。曲は前プロがワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の前奏曲。メインがベートーベンの第9交響曲。今から考えると、日本がバブル景気に向かう時期でもあり、おそらくジュネスが充実した時期でもあり、ほんとに祝祭的なコンサートだったと思う。この記念コンサートの時は自分は常務としてすべての練習に立ち会ったが、残念ながら演奏はしていない。ただ、その時の練習、当日のゲネプロ、そして客席で見た本番のことは良く覚えていて、ほとんど自分もステージに乗っているくらいの体験になっている。NHKホールでの本番はテレビで生放送もされていて、どなたかが録画されたものがユーチューブでもアップもされている。

1981年のJMJジュネス青少年音楽祭。ユーチューブにアップされたその生放送の1場面。

練習の時の思い出をひとつだけ書いておくと、オケを振りながら朝比奈先生が「もっと~」と言いながら、顔を紅潮させつつ手を差し伸べるとオーケストラからものすごい勢いで音が出てきて、本物の指揮者ってこういうものだというのが深く刻みつけられた。

ちなみに当日のゲネプロは、本番の曲目そのままに一切止めることなく上記2曲を演奏。今でも当時のジュネスのメンバーと飲んだりする時があるが、本番よりもゲネプロのがいい演奏だった、というのが自分たちの思い出だ。

そして1981年、秋のジュネスのオーケストラ部門のコンサートは、尾高忠明さん指揮でのブルックナーの第8交響曲。会場はたしか習志野文化ホールだった。自分はオーディションを受けてとりあえず合格。第2ヴァイオリンを弾いている。ちなみにオーディションの時の審査員は徳永二男さんだった。

尾高忠明さん。(この写真は違うが)1981年当時は38歳だったはず。

この時の本番の演奏は仲間うちでは非常に良かったという記憶で、演奏をした何人かの仲間から「あれ以来どんな演奏を聴いても、他のオケでやっても、あの時だけ何か違う曲をやったような気がする」という感想を持っているほどの特別なブルックナーだった。特に第3楽章が凄かった。

これには伏線がある。

オーケストラ全体で練習していて、NHKの中の503とか501とかの大きなスタジオだったか、あるいは習志野文化ホールでのゲネプロの時のことだったか。3楽章の頭から始まったがしばらくいったところで尾高さんがオケを止めた。そしてブルックナーの生家に行った時のことを話されたのだった。

遠くを見ながらか、あるいは目をつぶっていたのか。ゆっくりと話されたその内容は、オーストリアの田舎の田園風景のことで、おだやかな丘をいくつも越えていった先に白い教会があり、というようなことだったと記憶している。そして話し終わって、「頭から」とひとことだけ言って再び3楽章が鳴り出したオケの音がまたガラッと変わっていて、ここでも本物の指揮者ってこういうものだと刻みつけられた。あのブルックナーの生家の話で、オーケストラは魔法にかかった。その延長上に本番の演奏があった。

1982年のJMJジュネス青少年音楽祭。2枚組のレコードになっている。

翌1982年の夏、NHKホールでのコンサートは小林研一郎さんの指揮でマーラー「嘆きの歌」とリヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはこう語った」。タイトルが「語りき」ではなく平易な「こう語った」になっているのは、実はこの演奏会についてはそのライブ盤のレコードを持っていて、その表記に従ったため。この時も2ndヴァイオリンを弾いていたが、コバケンさんのやさしさをよく覚えている。

見開きジャケットの内側に記載されていた曲目や演奏者。

あれから40年。

2022年2月17日にサントリーホールにN響の定期を聴きに行った。第1953回 定期公演 Bプログラム、その二日目だ。

・ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」- 4つの海の間奏曲 作品33a
・バーバー/ヴァイオリン協奏曲 作品14
・エルガー/変奏曲「謎」作品36
指揮:尾高忠明
ヴァイオリン:金川真弓

実は当初はパーヴォ・ヤルヴィ(指揮)、ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)の組み合わせだったが、コロナ禍で入国できないための代打の人選。しかし、自分にとってはむしろこの二人による演奏を聴きたかった。

短めに感想を記しておくと、ブリテンでは冒頭の1stヴァイオリンの高い音域を使ったフレーズが印象的だが、きわめて精度の高いアンサンブルで、ドラマティックな内容ながら、暗示的な4つの間奏曲に丁寧に色を塗っていく。

バーバーのヴァイオリン協奏曲では特に1、2楽章のメロディが心に残った。金川真弓さんはさすがにいくつもの格式の高いコンクールで良い成績を挙げているだけあってテクニック的には完璧だ。特に右手による音の造形力がしっかりしているし、微妙にポルタメントを入れたりするメロディの歌い方にちょっとロマンチックな感じがあって魅力的だった。あるいは、そもそもステージに立った時の華やかな雰囲気も良かった。これらの要素って、持って生まれたものなのだろう。今後も機会があれば聴いていきたい人だ。

エルガーはなにしろ” オーケストラのための変奏曲”で、各パートに高い技術が求められるし、アンサンブルの精度や変奏毎の描き分けも要求される。N響の実力の高さもあるし、尾高さんも良く振っていた。失礼な言い方に感じられると恐縮だが、棒のテクニックもある人なのだ。しかし特別に心に残ったのは弦楽合奏の弱音部だった。その色彩感は油絵ではなくクレパスで描いた絵画のようなエルガー特有の穏やかさで、夢見るように美しかった。こういう領域は棒のテクニックじゃない。カラダの中からオーラのように出てくる何かを持っている人なんだと思う、あのブルックナーの時のように。

サントリーホール入り口にある本日のコンサートのお知らせ。 いい演奏会だった

指揮の雰囲気や、振り終わってステージの袖に引っ込む時に、うつむきがちに、何か自分のやった演奏を噛みしめるように歩いていく感じの尾高さんは昔のままのような気がした。

個人的には1981年のブルックナーの時の、ジュネスオケのコンマスが金川くんで、その娘さんが金川真弓さんというのも何かの因縁のように感じられた。いろいろなことが運命の糸みたいなものに絡め取られている。と書くと何かネガティブなことのようなので、導かれている、と書くべきか。間違いなく40年が経過しているが、客観的な時系列が溶解して去来している。こんなにも長い時間が経って、元の場所に戻って来たような感覚だった。

(2022年2月28日更新)    第319回に戻る


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鈴木裕(すずきゆたか)

1960年東京生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。オーディオ評論家、ライター、ラジオディレクター。ラジオのディレクターとして2000組以上のミュージシャンゲストを迎え、レコーディングディレクターの経験も持つ。2010年7月リットーミュージックより『iPodではじめる快感オーディオ術 CDを超えた再生クォリティを楽しもう』上梓。(連載誌)月刊『レコード芸術』、月刊『ステレオ』音楽之友社、季刊『オーディオ・アクセサリー』、季刊『ネット・オーディオ』音元出版、他。文教大学情報学部広報学科「番組制作Ⅱ」非常勤講師(2011年度前期)。『オートサウンドウェブ』グランプリ選考委員。音元出版銘機賞選考委員、音楽之友社『ステレオ』ベストバイコンポ選考委員、ヨーロピアンサウンド・カーオーディオコンテスト審査員。(2014年5月現在)。


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