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バレンタインの伏兵

バレンタイン。

贈りたい人にチョコレートを郵送するために郵便局に行った。

バレンタイン当日に送ったので、届くのは翌日になってしまうが、

「遅れてごめん」が言えたり、一緒に食べたり、もしくは今年はなし、と言えるのは却って近しい証拠かもしれない。

無事に送り、郵便局の人に小さなハート型のチョコレートをもらって、「いろんなサービスを考えているのだな」と子供の頃、初めて買ったようなチョコレートのミニチュア版に少し心を躍らせながら、ふと空を見ると、

薄暮の空にふわりとひとつだけ浮かぶ雲がマグリット的で、立ち止まった瞬間、ある男の子の名前を思い出した。

中学生の頃の話だ。

バレンタインの前になると、部活に向かう私の前に、どこからともなく

男子生徒が、「T君にチョコレートをあげてください」と言ってあらわれる。

義理チョコでもなく、友チョコでもなく、まさかの催促・お願いチョコときた。逆チョコでもない(そんな言葉があるのかはわからない)

しかも本人からではなく、T君の同級生、または後輩の男の子が、

廊下の角から、柱の陰から、教室のドアから、伏兵のごとく

「T君にチョコレートをあげてください」

「T先輩にチョコレートをあげてください」と

絶妙なタイミングでばらばらとあらわれる。

その上、どういうわけか、本人が一番向こうの柱の陰からなんだか照れくさそうに伏兵を見守っている。

  ええと。チョコレートを手に入れる前に、まずこちらの気持ちを確認するという一番大事なところをとばしてないか?

2年続けてその伏兵たちはあらわれ、別の意味で気の抜けない、緊張感のあるバレンタイン時期を過ごしたが、当の私は他校のホルンを演奏している男の子に憧れていたし、ひとごとのようだが、T君の恋は実ることはなく、私達は中学校を卒業した。

実はこの妙に滑稽な、まだ思春期の子供らしいバレンタインのエピソードは、この時期になると、なんとなく思い出しては、くすっと笑う、大人になった私のなかでの風物詩だった。

でも、去年までと違うことがひとつある。

T君がこの世からいなくなってしまったことだ。

母経由で聞いた話によると、

連絡が取れず、心配した妹さんが部屋に様子を見に行き、ドアを開けると

既に亡くなっていたそうだ。病死のようだ。TVがついたまま、その画面を観ているような座った姿勢のままで。

中学卒業以来、一度も会っていない私にその詳細を語る資格はない。

ただ、去年までは思春期の楽しいエピソードが、今年から痛みをともなうようになった。

「お母さん、T君が亡くなったのは去年だっけ?」

「そうよ。去年の5月」

もうすぐ1周忌かあ・・・

今でも私の中の彼は中学の詰襟を着てトランペットを吹いている。

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