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初見能力の高め方 その1

 ピアノは音を出すのは簡単だが、その構築が難しい。特に、複雑な楽譜を初見で弾くとなると、これは特殊能力になってくる。楽譜は様々な要素で構成されており、拍子、テンポ、リズム、音程、各種アーティキュレーション記号、強弱記号…などなど、相当な情報が詰め込まれている。ピアノ譜は最低でも二段譜、時には三段譜以上であるので、これらを一瞬で読み取り、両手で全ての要素をアウトプットするのは、一体脳のどういった回路が使われているか気になるところである。

 楽譜を読む練習をすると、誰でも読譜は出来るようになるし、それなりに時間をかければ複雑な楽譜を再現出来るようになる。しかし初見となると、少し別の能力を要求されるように思う。テクニックや表現能力とは別に、脳の情報処理のスピードが関わってくるからだ。

 そもそも初見能力は、魅力的に音楽を演奏する能力とか、コンクールで入賞する能力とか、音楽そのものの上手さみたいなものとは関係がない。むしろ、一曲を磨き上げて完成させる根気や集中力と、何でも一目見て弾けてしまう便利な初見能力は、トレードオフの関係にあると言っても良いくらいだ。

 初見能力がどういう場合に役立つかというと、例えば、アンサンブルでその場で渡された伴奏を弾くような時、誰かに頼まれて即座に弾きたい時、演奏時間や全体像を把握するためにとりあえず弾きたい時、行方不明になった伴奏者のピンチヒッターをする時、そして何より、練習なしで弾けてしまう楽しみのためである。ただし、これはある日いきなり身につくような能力ではない。

 大量の楽曲を弾くことによって、高度な初見能力が自然と身につく場合もあるが、これは人によると思う。大量の本を読むことで、自然と速読をマスターしてしまう人もいれば、そうでない人もいるのと似たようなものだ。だから一概に、演奏能力の優れた人が優れた初見能力を持つとも限らないし、長くピアノを弾いている人が皆、初見で弾けるとも限らない。絞り込んだ少数の曲を、生涯のレパートリーにするピアニストだっているのだ。

 そういう訳で、もし初見能力を高めたいと思うのなら、普通に音楽表現やテクニックを習得するだけでなく、少し別のアプローチが必要ということになる。しかし、調べた限り、初見能力の獲得に焦点を当てている教本は一冊もない。これは、クラシック音楽は、地道に丁寧に、弛まぬ努力と根気によって学ぶもの、という出版社の偏見なのか、そもそもそういった手法が無開発のためなのかは分からない。しかしこれは是非書いておきたい。

 初見能力に要求されるのは、おおよそ次の3点に集約出来る。

1、的確な情報処理をするために、楽譜を読み取る合理的な目の使い方。

2、楽譜情報を即座に再現するためのテクニック。

3、楽曲の展開がある程度予想できる理論の知識。

 1、は、まず、楽譜の重要な部分とその周辺部を効率良く読み取ること。文章の読み方に例えると、普通大人は無意識に、文の意味上重要な要素に重点を置いて読んでいる。句読点に最大の注意を払ったり、助詞でひとつずつ立ち止まって考えたりはしない。代わりにキーとなる動詞や名詞など、情報が詰まった部分に、無意識に注意を向けている。だから素早く文章を読んで理解が可能なのだ。楽譜も同様。その読み取り技術を磨く必要がある。

 さらに音楽は一定のテンポで流れて行くため、テンポを変えず読み取り続ける能力、そして楽譜に対する上下左右の目の使い方、読み取った情報を1秒ほど保存する能力などが含まれる。ピアノ譜は情報量が多いため、曲にもよるが、0.数秒後に再現する情報を見ながら、0.数秒前に読み取ったものを弾くという、同時並行作業をする。これが常に一定間隔で崩れないように維持できるかどうかが、初見の重要なポイントである。

 2、は、単に指が速く動くということだけでなく、楽曲に出てくる様々な型を手が習得していること、あらゆる調でそれが可能であるということ。楽譜は、12音技法の現代曲でもない限り、ランダムに音が配置されている訳ではなく、規則性がある。そもそもある程度の規則性がないと、音楽として認知するのは難しくなる。頻繁に出てくるスケール、半音階、いくつかのパターンのアルペジオ、和音、伴奏パターン、リズムパターンなど、手が習得していると非常に楽に初見で弾ける。

 3、は、会話に例えると分かりやすい。「今日は暑いですね〜」と話しかけた場合、「参っちゃいますね」とか「いつまで続くんでしょうね〜」とか「いい加減涼しくなって欲しいですね」とか「体調大丈夫ですか?」といった回答を無意識に予想して会話するから、大した労力も使わず、気軽に会話を楽しめる。これが何の脈略もない返答、例えば「台湾はどこの領土でしょう?」とか「体には指が20本あります」とか「これから円周率を暗唱しますね」とか返ってくる可能性まで考慮しなければならないとしたら、会話の継続にあまりにも労力がかかり、疲弊してしまう。ある程度先が読める作業は負担が少ない。

 音楽の場合も、一定の規則の元作曲されていることがほとんどなので、このパターンが出てきたら、こう続くことが多い、と理論的、経験的に知っていると、大幅に労力が削減できる。最低限の理論の知識は初見でも大いに役立つ。


 これら初見の具体的な練習法は、その2に続く。


 

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