世界が壊れる瞬間というのはあるのだと思う。

久しぶりにスタバでぽんやりしている。この2〜3年であまりにも通い過ぎたのですっかり顔馴染みになりつつある。そこのカウンター席は私の作業部屋のようだ。本を読んだり、打ち合わせをしたり、書き物をしたり、ラクガキをしたり。その時々で様々なことをして過ごしている。郊外にあるので平日の夜はそんなに混まないのもありがたい。店内の音楽のチョイスもなんだか穏やかで、長時間滞在する常連の人が多い。今日もそんなスタバで取り留めもなく書きつけるnote。


今年は久しぶりにひとりでお正月を過ごした。なにをしたわけではない。むしろ何もしなかった。ゆっくり寝て、部屋を片付けたりひっくり返して散らかしたり、占いをしたり。物足りないような、でも穏やかな日々。


一人暮らしして自分なりに好きなことをして、自分を律して生きる。そういう穏やかな日々が続くと何だか不安になるというか、ある時突然すべてが終わってしまうんじゃないか…そんな妄想に囚われてしまうことがある。わかっている。これは単なる癖だ。

子供の頃、部屋で勉強している(フリをして漫画を描いている)と、突然部屋のドアを開けて覗き込んで怒鳴り散らす父親。あるいは、テレビを見てくつろいでいると「勉強しろ」と呼び出し電話をかけてくる父親。そうやって楽しい時間は取り上げられてしまうもの…ある時突然終わってしまうもの。そういう時代の残り香だ。もう随分と薄れてきたけれど。

年末年始は実家には泊まらずに過ごした。少しだけ顔を出したけど、挨拶程度ですぐに帰ってきた。それだけで、ドキドキしながらも平和だった。そう、平和なのだ。誰からも悪口を言われたり聞いたりせず、「お前はなんてダメなやつだ」という毒のあるメッセージを受け取らなくて済む。子供をコントロールして支配下に置きたいという欲求を叶えるためだけの、かたちだけの「家族ごっこ」に付き合わなくて済む。わざわざ外食に連れ回されることもないし、温泉に行って「家族水入らずごっこ」に付き合わなくていいし、テレビの前での「家族の団欒ごっこ」に付き合わなくていい。誰かと遊びたい母親の「友達ごっこ」にも付き合わなくていいし、カウンセラー役をしなくてもいい。「ごっこ」とつけているのはそれが本当にごっこ遊びのような、形式だけの空虚なものだから。


世界が壊れる瞬間というのはあるのだと思う。

私にとってはそれはnoteでも何度か触れてきた母親との衝突の時だった。

その衝突の直後、私は部屋を探してアパートを借りることにした。そして、父親にアパートの保証人になってもらうため、本当に10年ぶりに父と母と私の3人で会った。父と母は熟年離婚したので本当に久しぶりのことだった。

話し合いの時、開口一番に彼女はこう言った。

「この人、保険にも入っていないのよ」

父親を味方につけて私を叩きのめしたい。そういう意志で放たれた言葉だった。保険に入らない理由はそれなりにあるんだけど、そもそも保険という商品が単純に好きではないとかそういう理由だ。ちなみに言わなくても分かると思うが、保険に入っていないことと今回の話し合いの主題はなんら関連はない。

そういう風に彼女が「おかしい」と思うことはすべて私を叩くネタだった。私が少しでも歩み寄ろうと「風俗で働いたことがある」と伝えたことも彼女にとってはゆすりのネタでしかなかった。彼女がイライラしている時によく「私がそれを父親にバラしたら、お前は殺されるぞ」と言っては私を脅してきた。だけど彼女の誤算は、私はもはや「殺される」と脅されたとて怯える子供ではなくなっていたことだ。逃げる術を持たない子供ではなかったことだ。父親だって歳をとり、もはや恐怖の対象ではなかった。私がどれほど男性への苦手意識を克服したくて風俗で生身の男性に触れ合ってきたと思っているのか。もし本当に殺しに来たとしても逃げられる手段はあるし、なんならきっとやり返す。私の身体は大きいから、きっと本気で勢いをつけてぶつかり、顔に身体を押し付けたら相手は窒息するだろう。(という妄想までした)


それまで、「もしかしたらこの人にも愛があるのではないか」と信じていた私の世界はそこで壊れてしまった。

愛はなかった。愛はなかったのだ。

彼女にとって、私はコントロール出来る範囲に収まっている時は「可哀想な娘」で、ともに父親という理不尽や不幸と戦う仲間で、自分の思う通りの「いい子」でなければならなかったのだ。だが、ここに実在する私はそうではない。それは偽りの姿だ。彼女の思い込みの中に存在する幻。それを壊してしまったから、彼女は激怒したのだ。そして変わりゆく私を見て必死に阻止しようとしたのだ。だが、阻止しようともがけばもがくほど、その壊れた世界は修復のしようがなくなっていった。


愛はなかった。

これを真実として受け入れることが、私を楽にしてくれた。そうか、愛がないのなら、もう遠慮も手加減もしなくていい。離れていい。


家族は家族ではない。

「家族」の世界が壊れて1年が経つ。相変わらず世界は壊れたままだ。母親は今でも世界が壊れたことすら認識できないでいる。メールの画面の中で彼女は相変わらず「いつでも帰ってきなさいよ」と微笑んでいる。自分のしたことは全てなかったことになっていて、彼女の世界では彼女は子供を束縛しない「いい母親」なのだろう。ここまでくるとむしろホラーだ。

「SIREN 2」というゲームのラストを思い出す。両親を早くに亡くした多聞先生というキャラが、死者になった両親と再開して暮らすシーンがある。もはや生きている頃の面影もない両親と、家族団欒の食卓を囲んでいる。あの不気味さを思い出す。


家族の話は自分にとってお焚き上げみたいなものだ。だからちょっとまとまりがないところもあるけれど、書き留めておくことにする。


今日の話に関連するかも知れないタロット。

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【THE TOWER】

世界が壊れる瞬間というのはあるのだと思う。

今まで信じていたものが違うと気付いてしまった時。

あるいは、今まで必死に自分が見ないフリを続けていた「真実」を認識してしまった時。

世界は突然壊れる。
でもそれは悪いことではないのだと思う。偽りが壊れているだけだから。
あなたの中の嘘が剥がれ落ちているだけだから。
あなたが長年上塗りし続けた嘘が、いつの間にか本当のような顔をして、そこに存在していただけだから。

世界が壊れたあとにも残る「あなたの真実」はどんなものだろう。
きっとそれはどんなに小さくても強く光るあなたの原石だ。

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「塔」というのはショックをあらわすんだけど、衝撃にはいい悪いはない。もちろんショックだからビックリしたり揺れることもあるんだけれど、その衝撃によってメッキが剥がれていくこともある。ショックをどのように受け入れ、受け流し、その強い力をエネルギーとして利用するのか。そこで真価が問われるのではないかと思う。




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