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家族からの解毒が進んでいる。

休みの日の洗濯と掃除はもはやお決まりのルーティーンとして習慣化された。休みの日、よほど悪天候でない限りはシーツと部屋着を洗濯して干して、ついでに植物の世話をして。部屋中を掃き掃除して。ある程度綺麗になったら洗濯物がはためいているのを見ながらこうしてnoteを書いたり、YouTube見たり。

こういう時間が自分にとってなにより大事なリセット時間になりつつある。ある種の「禊ぎ」なのだと思う。

音楽も好きだけど割と無音が好きだ。これは本当に幸いなのだけど、自分の部屋の周辺はとても静かで、鳥の囀りが聞こえるくらい。きっと煩かったら疲れ果ててただろうからありがたいとしか言いようがない。

こういう時間がないと、誰かとの時間を持てない。逆説的だけど、一人で穏やかに過ごす時間を大事に思うからこそ、誰かとの触れ合いも大事にできるのではないだろうか。


学生の頃とか、自分ももっとボロボロでぐちゃぐちゃで、生活もバイト三昧で疲れたらぶっ倒れて、一限には遅刻するような結構な屑だったんだけど(笑)。あの頃はとにかく家族から離れたくてひとり暮らしをしたけど、それまで強烈に抑圧されていたのでその圧縮がなくなって、そしたら途端に自分の形をどんな風に保ったらいいのかわからなくなっていた時期だった。よくある話だけど、それまで敷かれたレールを必死に辿っていたものの上手にレールを歩けないし、自分で選ぼうにも、自分で何も選んでこなかったので、選び方すら分からなかったのだと思う。

選び方が分からないととりあえず誰かの言う正解を踏襲するしかなく。そうなると自分にとって知らないわからないものはひたすら食べてみるしかなく。食べてみたところでそれが美味いのかも判別がつかず、それでも常に「自分はこのままではいけない」「自分が許されるはずがない」という恐怖がずっと側にある…というような。悪食を繰り返しているとだんだんそれが常になってくるので、それがいいような気がしてきてそのままズルズルと、生活はだらしなくなり、寂しく不安なのに強がってばかりで、満たされないからたくさん洋服を買い込んだり、不毛な恋愛ごっこを続けたりしていた。多分、結構しんどい時期だったんだと思うんだけど、それでも自分はただだらしなくてダメな人間なだけで普通だと思ってた。だらしなくなるのはただ自分が至らないだけで、自分の努力不足だと本気で思ってた。

今思うと、自分以外のものに囲まれて暮らしていた。部屋も、家具も、殆どの持ち物は家族が自分に買い与えてくれたもので、それはそれで感謝しているけど自分の好みは何ひとつ反映されていなかった。一緒に買い物に行くと、いつも気を使って「(親の喜びそうな)自分の好みはコレ」という演出をずっとしていた。

一番おもしろかったのはベッドを買った時で、親は自分の好みで「これが便利そう」と言ってソファベッドを買うことにしたんだけど、自分からしたらソファにするのが大変でめんどくさいし、布団もズレるしで本当に使いにくかった。ベッド下収納も使いこなせないし。それでも申し訳なくてその後も寝ずらいまま使い続けてたんだけど、こういうことがよく起こってた。他にも、母が自分にくれるお下がりは自分にはフィットしないものばかりだったんだけど、それでも好きではないのに一生懸命それを有効活用しようとしていた。足に合わない歩きにくい靴とか。貰ったら嬉しそうにして何度も履いては足を傷つけてた。そうやって、自分は望んではいないのに誰かの中の「わたし像」に合わせてしまうことがよくあった。こうやって書くとクレイジーだし滑稽だけど、当時はそれが当たり前だった。

多分、私の親は幸せではなかったのだ。正確にいうと、何を幸せとするのかを自分で決めてこなかった人たちなのだ。彼らの世代はそれなりに生きていたらそれなりに手に入るものを持つことが幸せだと信じている。だから、私が何がしんどかったのかきっと今もわかっていない。それどころか「あんなによくして育ててやったのに」と思っていて、自分には何も非がないと思っている。いらない靴をくれたのも自分の捨てる罪悪感から逃げるためなのに「せっかくあげたのに」と言われるのだ。ゴミをもらってそれをありがたがることを求めるって、何だろう?やっぱりクレイジーだ。

実家に泊まりに行くこともなくなった。コロナ禍が味方して、ときどき会うこともなくなった。そうなると、自分の暮らしってもともととても平穏なのだと気がつく。自分の近くに、自分を敵視し問題視してきて、自分の攻撃性な感情の責任を誰かに取らせようとする人間がいないだけで、こんなにも平穏なのだと思う。

そうなると、地味だけどやってみたいことを試せるようになった。個人的な興味でこれからやってみたいこととか、学んでみたいこととか、チャレンジしたいことがあっても、意味がないと思うと嫌厭しがちだったけど、その成果を誰にも見せなくていいというのは私を少しづつ自由にしてくれた。誰かに否定されたり、馬鹿にされたりすることなく自分のことに時間を割けることって贅沢だ。もうその贅沢ばかり味わっていたい。いや、味わってる最中だ。毒になる親って言葉があるけど、その解毒が続いているのだろう。






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