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で?

10月もまた2023年の他の月と同様に秒で過ぎ去っていってしまった。なんということか。今年も残すところ2ヶ月だ。だからなに、それがどうした、と尋ねられても困ってしまう。単に事実を述べたまでのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。

しかし考えてみると文章を書くことは「だからなに」との戦いなのかもしれない。なにかを書いたそばから、「だからなに」「それがどうした」というツッコミの声が頭の中に響く。応答としてそれらしい一文を付け加える。そうすると、またしても同様のツッコミが入るから、さらに応答する。この連鎖によって文章が書かれていくわけだが、「いちいちうるさいな。いいよ、もう書かないから」と吐き捨てて、心のシャッターをがしゃんと下ろしてしまいたくなる気持ちは拭えない。

小学生の低学年だった頃、誰かがなにかを言うたびに「で?」「だからなに?」と尋ね、相手を苛立たせるという意地悪な行為が流行した。思い出すだに腹が立つ。あの憎らしい表情。おそらく兄や姉がいる生徒が教室に持ち込んだに違いない。家庭内で兄や姉から意地悪されて悔しかったのだろう。それを真似して他の生徒に意地悪したわけだ。いかにも小学生らしい振る舞いである。ひろゆきがプレゼンスを示す遥か前から、小学生はひろゆきみたいなことを言う奴らだった。

過去に戻って人生をやり直したいと考えない日はない。こんなはずではなかった。これは嘘の人生で、本当の人生を歩んでいないような気がする。どこでボタンを掛け違えたのか。けれども、もし仮に人生をやり直せたとしても、またあのうざったい小学生たちの相手をしなければいけないのかと考えると煩わしく思えてくる。そんな面倒は御免被りたい。それよりむしろ今この瞬間を楽しもうではないかという前向きな気持ちすら湧いてくる。

文章を書くことは、内なるうざったいキッズとの戦いにほからない。しかし相手が調子こいたキッズなのだとしたら、律儀に文章で応答するよりも、げんこつで黙らせたほうが早いのでは、というアイデアも浮かぶ。

このところ、内なるキッズから「だからなに」という問いを常時投げかけられているせいで自縄自縛の状態が続いている。次の一手を考えるのが面倒だから、最初の一手を差さずにおこうという戦略を無意識に取ってしまっている。こちらが黙っていれば、向こうも「だからなに」と尋ねてはこないはずだ。

けれどもそんな態度では文章が書けない。仕事に支障をきたす。ものを考えるのも億劫になる。さしあたり内なるキッズに対しては「次言ったらげんこつ」と宣言しておこう。

絶対に肉料理にしたい日

金曜日。連日の原稿書き書きで限界に達したので牛肉を食べようと考えた。これはジンクスのようなもので、肉さえ食べておけばなんとかなるような気がするのだ。贅沢な気分を味わいたかったから、牛ブロックの赤ワイン煮込みを作ることにした。帰り道、新大久保のハナマサに行き、目当ての肉を入手。その後、スーパーに寄って赤ワインと玉ねぎを調達して帰る。

それらしいレシピを参考に作る。牛ブロックを大きめに切り、フライパンで焼き目をつける。玉ねぎのみじん切りを炒めてきつね色にする。肉と玉ねぎを鍋に放り込み、赤ワインを注いで強火にかけ沸騰させる。コンソメ、塩、砂糖、ビネガーで味付けして、弱火で小一時間煮て完成。おいしい。酸味が利いている。牛肉の塊がお腹にずしんとくる。脂を摂りすぎたのか翌日は腹を下した。

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