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タクシーからの風景 ~ダダこねオヤジ

~ ダダこねオヤジ

深夜2時すぎ、大久保で、酔っぱらいのオヤジを乗せた。それも、ひとかたならぬほどの泥酔ぶりであった。それだけでもいささかウンザリなのに、彼の第一声は、本来であれば、堂々と「乗車拒否」しても差し支えないものであった。
「ソープランドに連れてってよぉ」
 ……。
「いま、18000円持ってるから、タクシー代を引いて、予算12000円のソープに連れてってくれよぉ」
 ………………。
少しく解説をさせていただくと、僕たちタクシー・ドライバーの役割は、客の指定した場所へ連れて行くことである。かような、場所の特定もない指示は拒否してもよい、いや、拒否せねばならぬ。しかも、場所が場所である。倫理的に見ても、しっかり乗車拒否すべき依頼なのである。

初めのうちは僕もその正論を告げ、しかも「12000円の予算の店を探すこと」はタクシー・ドライバーの仕事ではないし、するわけにもいかない、と説明をした。もとより、そんな時間に営業しているソープランドなどないので、その旨も告げた。
しかし相手は、後部座席で足をジタバタさせ、「いいから連れってってよお!!!」と、子供のようにダダをこねた。
ここで再び解説を加えると、ドライバーになる前の講習では、「そういった客はそもそも乗せないように」という説明もあったのだが、実際には、ほとんどの客が、乗り込んできてから行き先を告げる。座席に座り込んでからの無理難題への拒否は、シラフの客ならともかく、このような泥酔客には通用しない。もっとも、こういう時にはウムを言わさず最寄りの派出所へ、ということにはなっている。

しかし、ここで僕は、最初の失敗をした。
「店を探すことは出来ないが、『吉原』なり『新宿』なり、場所を決めてくれれば、その場所までは送る」と、ちょっと甘いセリフを吐いてしまったのである。この手の酔っぱらいに少しでも甘い顔を見せるとつけあがるのは、よくわかっていたのに、やはり「少しでも稼ぎたい」という、スケベ心が、決然とした乗車拒否をためらわせたのであった。

その時の僕の思惑を包み隠さず吐露させていただくと、「新宿ならばすぐそこだから、さっさとこのオヤジを降ろして、次の営業が出来る。吉原だとしても、先ほど聞いた予算では、移動に6000円使える。『大久保』→『吉原』なら、6000円あれば、行けそうだ」という、実に卑しいものであった。

ところが、オヤジの告げた行き先は、「池袋」という、実に意外かつ中途半端なものであった。

女性陣の総反発を食らいそうな内容なのを承知で三度目の解説を加えると、池袋にいわゆる「ソープ街」はない。何ゆえこのオヤジが「池袋」を指定したのかはいまだ不明であるが、ともあれ僕は、このとんでもないオヤジを乗せて、池袋へと走り出した。

当初、オヤジはご機嫌であった。自らの指定した「池袋」へ向かい出したからである。しかし酔っぱらいの常、あっという間に再び「駄々っ子」へと変貌した。
「ねえ! 12000円の店はあるの?」
酔っぱらいのくせに、くだらぬことだけは覚えている。その上、しつこい。またしても、足をジタバタさせ始めた。

ここで僕は、再び失敗をしでかした。
ちょっと、面白くなってきたのである。
「こんな、下らなくてとんでもないことには、最後までつき合ってみてもいいかかも」などと言う、馬鹿げた考えが浮かんだのである。こういうのを人は「僕のさがだから……」などとと言い訳にするんだナ、などというセリフは、今になってようやく言えることである。

その結果、思い浮かんだのが、学生時代からの先輩で池袋在住、「そっち方面」にめっぽう詳しい、S氏の存在であった。しかも氏は、寝るのが遅い。昼間はほとんど連絡がつかないのだが、夜中になると、すんなりと連絡がつく。
さっそく試しに、電話してみた。
案の定、あっさりと電話に出た。
僕はオヤジの希望条件を伝え、適する店を調べてほしい、と、氏に依頼した。
氏の返答は、「5分後に電話してくれ」というものであった。

5分後、S氏に連絡を取ったところ、細かい住所から連絡先まで、実に適確なご指示をいただけた。ただし「でも、この時間はどこもやってないんじゃないの?」とのお言葉であった。それは重々承知している。しかしオヤジの希望を叶えつつ、僕の愉快犯的犯行を満たすには、充分な情報であった。

さっそく、1軒目の店に行く。
当然、店の灯は消えている。
僕にとっては当然の成り行きだったのだが、僕が失念していた最大の失敗は、「相手がただの酔っぱらいである」という点であった。
「閉まってるじゃない!」と、またしても、駄々をこね出したのである。
「最初に言ったように、この時間はどこもやってませんよ」と言っても、すでに聞く耳は持たない。

「じゃあ、つぎ」と、さらに1、2軒の店を回るハメとなる。
これにてS氏の情報はつきた。当然、どの店の灯も消えている。
「さっきの人に聞いてよお!」と、オヤジはダダをこねはじめた。
我ながら勝手だが、ここにきてついに面倒くさくなり、「さっきの人は僕の知人で、紹介所ではない。これ以上のことを要求するなら、ここで降りてもらう」と、そもそも最初に言うべきセリフをここに来てようやく発する。

そしてこれも酔っぱらいの常なのだが、相手が強気になると、急に弱気になる。そもそもが理不尽なことを言っている自分に、多少なりとも自覚があるのである。「……じゃあ、これから道案内するから、そこに連れてってよ」と、一気に弱気な態度となった。

……これ以上、この後の詳細を述べてもしようがない。
その後30分以上、池袋周辺をさまよったあげく、ますます不機嫌になった僕に恐れをなした酔っぱらいのオヤジは、「……ここでいいです」と、実に低姿勢になって、どことも知れぬ街角で車を降りた。料金は7000円を超えていた。

泥酔したオヤジを徒に引き回した末に暴利をむさぼった僕は、悪徳ドライバーかもしれない。



※プライバシーを考慮し、人物・地名には脚色を加えてあります。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。