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野球が好きな雄平が、大好きだ。【11/1広島戦●】

「センター塩見に代わりまして、ライト、雄平」のコールが流れると、直前に花束を受け取っていた雄平は、花束をグローブに持ち替え、にこにことうれしそうに笑いながら、ライトの守備位置に向かって駆け出していった。

直後、球場には「長岡に代わりまして、ピッチャー、石川」のコールが響いた。ブルペンで投げていたカツオさんはお水を飲み、ライトの守備につく雄平と、遠くからグータッチを交わした。

試合の途中で引退セレモニーやっちゃうのか、優勝セレモニーがあるからかなあ、と、少しさみしく思ってしまっていた私は、ああ、そういうこと…!と、このはからいに、やっぱり泣いてしまった。

いつだって雄平は、にこにこにこにこ笑っていた。打席でも、ヒットを打った塁上でも、もちろん、勝った日のお立ち台の上でも。「雄平はほんとうに楽しそうに野球をするなあ」と、私は何度も何度もそう思った。

だけど、いや、だからこそ、かもしれない。雄平が悔しそうに球場をあとにする姿も、何度も何度も見かけた。

最後にサヨナラのチャンスで打てなくて、ベンチから立ち上がれず、みんなが引き上げてからようやく、球場をあとにした日の雄平の姿を、よく覚えている。

雄平は引退会見で、「雄平選手にとって野球とは?」という質問に対し、「難しいですね…」と、しばらく(でも笑顔で)悩んだあと、「でも楽しいもの、です」と、答えた。

ああ、いいなあ。と、心底思った。私は結局いつだって、ヤクルトの選手たちに、どうか楽しんで野球をしていてほしい、と、願っているのだと思う。私の究極の願いって、それのような気がする。楽しんで、野球をしていてほしい。勝っても負けても、それがどんな野球人生だったとしても、それでもどうか、楽しんで。

でも、「楽しい」というのは、「楽(ラク)」とは違う。まったく、違う。楽しいものの裏には、数え切れないくらいの、辛さや苦しさがきっとある。

いつも笑顔の雄平が何度も見せた、悔しそうな、つらそうな表情が、それを物語る。

だけどだからこそ、誰かの野球人生は彩られていくのだろう。その姿に、多くの人が魅了されるのだろう。雄平の笑顔があれほどみんなの心を掴んだのは、その裏に数え切れないほどの悔しさと、努力があったからだ。

みんなのアーチをくぐり抜けていく雄平のシーンを、何度も何度も見返す。最後に待つ高津さんの笑顔と、その胸に飛び込む雄平と。無邪気に笑う、みんなと。こんなに寂しい日に、それでも笑うみんなの姿に、私は笑いながら、やっぱり泣く。

「いいチームだな」と、長年のヤクルトファンの先輩からメールが来る。いつもは辛口なのに、今日はやたらと優しい。雄平の凡退にいつも「雄平!!!!」と言っては怒っていたのに、今日は雄平のユニフォームを着て神宮に来ていた。

唯一無二の選手だ、と、そう思う。こんな選手、ほかにはいない。いつもにこにことプレーをして、周りの人を巻き込んで、こちらの心をがっつりとつかんでいく。野球は楽しいものなのだと、しんどくてもそこには「楽しさ」があるのだと、もしかすると仕事っていうのはそういうものなんだよと、そう教えてくれる、唯一無二の選手。

いやだけど。と、私は思う。そんなことを言ったら、みんなみんな、唯一無二じゃないか、と。ヤクルトの誰もが唯一無二でそして、このチームは唯一無二のチームだ。

私がヤクルトを好きだからなのかもしれない。たぶんきっとそうだ、どこのチームのファンだって同じことを思うのだろう。だけどそうだとしてもやっぱり、私は今日のみんなを見ていて思う。ヤクルトは、世界一の素敵なチームだ、と。

ヤクルトを好きになるまで、私の野球のイメージはもっとなんだかハードで、体育会系で、規律が厳しくて、どろどろとしたものだった。

そのイメージを覆してくれたのがヤクルトというチームで、そして雄平という選手だったのかもしれない。

しんどいけれども、楽しいこと。つらいけれども、好きなこと。それをきっとほんとうは、誰もが持っている。それを「仕事」にできる人はもしかしたら一握りなのかもしれない。だけどどんな仕事にだってそういう側面はある、と思う。雄平はどんな仕事をしていたって野球をしている時と同じように、にこにこ笑っていたんじゃないかと思う。

それでも、雄平が野球選手としての道を歩んでくれたことを、そのプレーを見せてくれたことを、神宮で何度もその姿を見ることができたことを、逆転のホームランをワンバンのヒットを、何度も何度もかみしめたことを、心からうれしく思う。雄平の人生を彩るそれらのシーンは、私の心を揺さぶりながら、私の人生をも彩ってくれた。雄平の笑顔に救われた日が、どれほどあったのだろう、と、雄平がユニフォームを脱ぐその日に改めて思う。

どうして人は、さよならの日にこんなに多くのことに気づいてしまうのだろう。

ああ私はまだ、雄平を見ていたかったのだ、と、その時に気づく。この神宮で、まだまだ走る、あのボール球を打ってしまう雄平を、ここで眺めていたかったのだ、と。叶わない思いはいつだって、宙に浮いたままで、流れていく。どこかで形になることを、そっと祈りながら。

野球を愛した雄平はきっと、野球にだって愛されていた。笑顔の裏の努力は、雄平にすばらしい成績を与えた。そしてそれが、周りの人のことまで幸せにしたのだ。だから雄平は、この先の人生も愛していくのだろうと思う。そしてきっと、その人生に愛されるのだろう、と。

最後までもつれた優勝争いで気持ちをごまかして、さみしさに向き合ってこなかったけれど、だけどありがとうはちゃんと言わなきゃだ、と、雄平の最後の打席を見ながら私は思う。さよならは、いつか必ず来る。誰しもに、必ず来る。だから、そのときにはしっかり、ありがとうを伝えよう、と。

雄平ありがとう、野球の楽しさを、好きなことを仕事にするその喜びを、教えてくれてありがとう。この先の人生がまた、素晴らしいものでありますように。大好きだ!


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