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武内さんを思い続ける、彼女のこと 【9/5中日戦◯】

チームに、選手一人一人に、歴史があり、物語があるように、ファン一人一人にも、物語がある。

神宮内野席で隣に座った美人の彼女は、武内さんのユニフォームを着ていた。背番号の下に小さく、武内さんのサインが入っていた。一人で座る彼女は、控えめに言って、好感しかなかった。あまりにかわいらしくて、私はそのことをツイートした。

するとなんと、ご本人から、TwitterのDMが届いた。もしかして、私かもしれません・・・と。生きていれば、そりゃまあいろんなことが起こる。ヤクルトが3-9で迎えた9回裏に追いついて、延長で上田がサヨナラ3ランを打つとか、翌日にまた4点差をひっくりかえして勝つとか、私が上田のサヨナラTを買うとか、まあにわかには信じがたいことも起こるわけだけれど、神宮で隣に座ったかわいいおねーさんからDMが届くということも起こりうるらしい。ほんとうに。

「武内さんのことツイートで触れていただき、本当にありがとうございました。」と、そのメールは始まった。控えめにタオルを掲げて、そっと喜んでいた、あの彼女らしい一言だな、と私は思った。

どんな物語がこの人にあるのだろう、と私はそっと隣を見ていた。一人で、祈るように応援するその姿は、見ているこちらも、一緒に応援したくなる、そういう何かがあった。

いただいたメールには、想像した以上に素敵な思いがたくさん書かれていた。ご本人にご了承いただいたので、少しその内容を紹介させてください。私はメールを読んで泣いてしまった。

2000年、智弁和歌山が優勝した時に、彼女は武内さんのファンになった。それでも、「大好きな武内選手が大好きなヤクルトに入団すると決まった時は本当に嬉しかったですが、大きかった期待に反して1軍と2軍をずっと行ったり来たりしているのを見るのは辛くもありました。」と。

今年、武内さんは2軍の試合にもなかなか出場しなかった。夏を過ぎ、今年はもう一軍はないかもしれない、という気持ちが、彼女の頭をよぎる。というよりも、(きっとこれを文字にすること自体、少し勇気のいることだったと思うのだけれど)もう今年で引退なのかもしれない、と。

そこで彼女は決意する。「いつもは外野観戦だけれど、武内さんの現役最後になるかもしれない打席を、守備を、少しでも近くで見たくて、9月は内野の席をたくさんとり、一軍昇格の可能性に賭けました。」

その思いが届いたのか、武内さんは、本当に9月に昇格を果たす。ところがあの通り、昇格直後、広島戦での大きすぎるエラーがあった。あの時ファンは、もちろん私も、「そりゃないよ武内さん・・」と思ったわけだけれど、武内さんの昇格を、喜びながら、でも同時に不安に思いながら見届けた彼女の思いを想像すると、なんというかむしろ、ごめんよ武内さん・・という気持ちにもなってくる。

だけど。ご存知の通り、武内さんは、そのエラーのショックがまだ癒えない4日の中日戦で、なんと4年ぶりのホームランを放つ。私はあの時、この「4年」という数字には、ほんとにいろんなものが含まれているのだろうなあと、思っていた。そう、ほんとうに、そこにはたくさんの想いが込められていたのだ。4年どころじゃない、18年間、見つめ続けた人だっていたのだ。

そして翌日、5日の中日戦。彼女は、「一軍昇格に賭けて」取っていた内野のチケットで、武内さんの打席を見つめていた。

彼女はこう綴る。「お願いだからもう一本ヒットを見せてという思いで、タオルを握りしめていました。 もう見られないかも、一打席でも活躍を見たい、8番をつけている重さを見せてほしい、いろんな思いで」

武内さんは、あのヒットを放った。あの見たこともない、ラッキーという一言では済ますことのできない、なんか、すごいやつを。それは、早稲田の先輩の、エイオキのスリーランにつながった。何も知らないわたしは彼女と、にこにこハイタッチをした。

武内さんをずっと思い続けた、彼女の物語について考える。誰かをそっと思い、応援し続けたその人生を思う。

毎日毎日、試合に出られることが保証された選手じゃない。それどころか、一軍にいられることが決まった選手じゃない。そんな一人の選手を思い続ける切なさのようなものは、もちろんあるだろう。

だけどあの打席で、一人そっとタオルを掲げて祈っていた彼女の姿は、本当に素敵だった。というか、正直に言えば、なんだか美しかった。心を打つものだった。それは、積み重ねてきた、大切な想いがあるからだ。そうして、何かを好きになること、想うこと、というのは、誰かの人生を、姿を、美しく彩るのだろうな、と私は思う。そんな何かがある人生って、素晴らしいじゃないか、と。

ヤクルトを好きになって、負けた時はほんとうに辛くて、広島戦の3連敗のことは記憶から抹消したくなっているわけだけれど、それでもこうして、好きなものがあって、それとともに歩んでいける人生は、やっぱり素晴らしいのだよな、と、改めて思う。あんな風に、美しく誰かを応援できるわけじゃないけれど(すぐ「なんでなおみちはそのボールが取れない!!」「おいこらたいし!!!」「うえだーーー!!(悪い方)」と叫んでしまうし、私ときたら。)好きなものがあるということは、しあわせなことなんだ、と、改めて思う。それは、切なかったり、寂しかったりという想いもあるからこそ、感じることのできるものなのだろう。

ヤクルトというチームが好きだ。選手一人ひとりが好きだ。そして、ヤクルトというチームを応援し続ける、見つめ続ける、ファンの人たちが好きだ、と思う。

そこにはいろんな想いがある。一人一人に、小さな物語がある。神宮球場という場所には、きっと、そんな想いと物語も詰まっているのだ。

しかしこんなんさ、もうどうぞ武内先輩には(というか同級生だけど)頑張ってくださいとしか思えないんですけどもうまじで頑張ってください。応援しまくるから。内野に座る彼女に、まだまだたくさん、打席を見せてあげてください。どうか、どうか。

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