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“むしゃ美の誕生” その日は突然やってきた。 むしゃ夫の視点から

こんにちは、
むしゃ子の夫、むしゃ夫です。

前回に引き続き
今回も私、むしゃ夫が書きます。

よろしくお願いします。

前回は、むしゃ美の脳の病気である
「脳室周囲白質軟化症」と
「脳室内出血」について簡単に説明しました。

今回は
「むしゃ美が生まれた日のことについて」を

私、むしゃ夫の視点から
お話したいと思います。

では、どうぞ。


その日は突然やってきた

むしゃ美が生まれる日
それは突然やってきました。

出産予定日まではまだ1ヶ月以上あり
この日は夕方から夜勤業務の予定でした。

そんな日の朝、

と、里帰りしている妻からのLINE。

驚きでした。

すぐさま職場の上司に相談。

「夜勤の代わりはこちらで探すから
心配せず、いいから行ってきなさい。」
頭の下がる思いでした。

急いで準備し、
妻の運ばれたという総合病院まで
車を走らせました。

(破水から出産までの細かい流れはこちらの記事で書いています↓↓↓)

当時はまだコロナ禍。

県外の私は病棟に入ることもできず、
別室で産婦人科の先生から
状況と方針の説明を受けました。

週末に渡す予定だった御守りを
妻の両親に託し
入院の書類をひたすら記入。


他に出来ることは無く
とても、もどかしい気持ちでした。


ひとまず、自然に陣痛が来るのを待つ
ということとなり、

焦るあまり着替えも持たずに家を出てきた私は
下着を買いつつ、
当日空いているホテルを探すのでした。

ホテルに着いたものの
何も手につかずあたふたあたふた。

上司に
「明日も休みをいただくことになりそう」
と連絡を入れ

仮眠を取りました。

コロナ禍で病院に入れず、立ち会いや説明はリモートで受けることに

虫の知らせか
夜中1時半ごろ

ふっと目が覚めたタイミングにLINE。

コロナ禍で立ち会いこそ出来ませんが、
代わりにLINEを繋げてリモート立ち合い?の
許可をいただきました。

そしてまさに生まれたその直後、
まさかのむしゃ子側がパケット不足で
通信が低速度に。。。

「おいおい、なんてタイミング!!!」
と心の中でつっこむ中、

低速度通信でカクカクの画面から
慌ただしい雰囲気と

むしゃ美の挿管される様子が
伝わってきました。

「とりあえず無事にNICUに運ばれた」と聞き

「健康でありますように」と
祈る気持ちで床につきました。

夜が明けて、9時ごろ。
妻からむしゃ美の写真が送られてきました。

挿管され
たくさんのコードが繋がっていましたが

1ミリもかわいそうと思うこともなく
かわいいと愛おしいが溢れていました。

そして10時ごろ、小児科の先生から
説明を受けることになりました。

県外ということもあり
今回は院内に入ることすら叶わず。

車の中で説明を受けました。

その中で
大学病院に搬送されることになったと聞き
入院手続きのため再び車を走らせました。

大学病院へ転院。手続きのために行くものの県外在住のため、今後は出入り禁止と言われる

急な転院のためか
大学病院の総合窓口の方まで
情報が伝わっておらず、

手続きが終わる頃には
14時を回っていました。

手続きが済んだところで
NICUの看護師さんから声をかけられ、

「本当は病院ルール的に
県外の方はダメなんですが
病院で働かれていることや
ワクチンを打っていること、
そして状況を鑑み、許可がでました」

とのことで、
特例で主治医の先生から
説明を受けることができました。

この時の説明は
卵円孔早期閉鎖で肺高血圧症になっていることについてと
治療方針とリスクについてでした。

説明の後に
薬剤の同意書、鎮静の同意書
症例報告に関する同意書などを
ひたすら記入しました。

そして帰り際に
看護師さんから驚愕の一言。

「先ほども今回は特例という話をしましたが、
今後は県外であるお父さんは
完全に面会不可です。

また、お母さん(むしゃ子)が退院してから
お父さんと会うと、

お母さんもお子さん(むしゃ美)の面会が
制限されます。」

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

同じ医療職だからこそ
痛いほど理解できるものの
親としての立場からは非常に辛い宣告でした。

(しばらくして対応が緩和され県外でも面会ができるようにはなるのですが、面会予定日の直前に、たまたま職場で対応した患者さんが隠れコロナだったりという不運が重なり、初めてむしゃ美に会えたのは生後27日目のことでした。)

母への電話で緊張の糸が切れて大泣き

全ての手続き、説明が終わり
アパートに帰ってきた時には
もう日が沈んでいました。

今思うと怖い話ですが、
気力だけで動いており、

途中から運転の記憶がありません。
事故起こさなくて良かった、、、

妻が運ばれてから帰宅するまで、
自分がしっかりしなきゃと
気を保っていたのですが

私の実家へ状況報告にかけた電話で
母親の声を聞いた途端、緊張の糸が切れたのか
涙があふれて止まらなくなり
しばらく声をあげて泣きました。

母はただただ傾聴に徹してくれました。
感謝です。

この時、これからの分も含めて
しっかり泣いたことで、

むしゃ美を育てていくことの
覚悟が決まったように思います。

今回はここまで

最後まで読んでくださって
ありがとうございます!

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