社会心理学講義

主体とは何か

いくつかの実験において、下記のことが明らかになっている。

意志や主体の存在を測るために、被験者の脳波を観測しつつ、ボタンを押そうと思う→ボタンを押すという行為を行ってもらった。すぐさま思い浮かぶ流れとしては、ボタンを押そうと思う→脳から信号が出る→指がボタンを押す、というものだ。

しかし結果は、脳から信号が出る→ボタンを押そうと思う→指がボタンを押す、という時間系列だった。
つまり、ボタンを押そうという意志が生じる前に、脳によって行動の信号は出ているのだ。

このことから、意志とはなんだろうか、我々は何で動いているのだろうかという問いが生まれる。
もし脳の指令によって我々は意志を持っていると錯覚させられているだけなら、例えば犯罪はどう裁けばいいのか?
当人の意志によって犯罪を起こしたわけではなく、脳が出した指令に従っただけならば、その人は裁かれるべきだろうか?

本書では意志とは、脳が作り出した現象に過ぎないと結論づけている。
脳がプロジェクターとするならば、我々はプロジェクターによって映し出された映像なのだ。
脳の指示によって、喜び、泣き、怒る。
そこのどこに「私」がいるのかというと、どこにもいない。プロジェクターも、映し出された映像も、「私」ではない。
私とは、脳が作り出す虚構なのである。

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