今成浩司半生を語るインタビュー2021/11/16(2)
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面白いとわりと評判が良かった今成浩司氏インタビュー
前回はお生まれから高校生までをお話頂きました。
前回はこちら
読んでおくと今回より楽しめます
今回は青春立志編です。
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浩司 そんな感じで堕落してたね高校入って後の方は。
ー 高校出る時にこれからどうしようかというのは考えていたんですか?
高校出る時に大学は受けたのよ。
ー それは新事実ですね。
浩司 昔勉強できたからいけるんじゃねえか?
とか言って。
高校の偏差値は低かったけど。
ー 偏差値35からの大学受験みたいな感じですか?
浩司 もうちょいあったよ。
50はないくらい。
高校で1年と2年の最初は時は勉強しなくても
トップ10に入れたのよ。
でもほんとさぼりすぎて2年の最後はさぼりすぎて
補修になって最後はダブるかやめたやつと一緒に
10人くらいで勉強してギリギリ大丈夫だったのよ。
まあそのくらいできなくなってたんだけど
無駄に自分を信じててそのままいけるだろと思って
何個か大学受けたんだけどダメでフリーターやってたよ。
思い出すとフリーターの時が一番金持ってたね。
体力があったのもあるけど高校の時の友達も服屋とか
レンタルビデオ屋とかで働いてたからみんなまあまあ金あったね。
ー あなたはなんの仕事してたの?
浩司 消火器屋さんの倉庫
ー え?
浩司 ヤマトプロテック
ー 社名?
浩司 そうそうヤマトプロテック。
あの時が一番怪力だったから。
ー 業務は何ですか?消火器の卸?
浩司 そこが最高の職場だったのよ。
朝にまず消火器の倉庫行くのよ。
そんでみんなしてテレビみるのよ?
ー みんなってだれですか?
浩司 俺ら2~3人バイトとあと所長のおじさんがいてその人が社員で。
みんなしてゆったりしてテレビ見るのよ。
「どーなってるの」とかをゆったりと。
ー かつらの人が司会のやつね。
浩司 そうそう。
「どーなってるの~♪」とか歌っちゃってね。
そんでひとしきりみたら伝票が送られてくるから
それを貼り付けるんだけどそんなの10分くらいで
終わっちゃうからまた「どーなってるの」みるのよ。
そんでお昼になるから飯食って腹いっぱいだなとか言って
じゃあやるかとか言って伝票貼った消火器をトラックに乗せるの。
ー それはいつぐらい?
浩司 夕方くらい。(笑)
ロケットみたいな核弾頭みたいなでっかいやつをすごい力出して
夕方運んで終わりって感じ。
それで力ついちゃってそのころ俺腕一本で弟腕二本で
腕相撲しても余裕だったもん。
ー どんくらい貰えたの?
浩司 20万くらいよ。
友達も金あったからみんなで車買ったりして
友達の家にそれ置いてよく遊び行ってたね。
そんな感じでやってたけど一年たって
まあ大学無理でも専門学校行こうかなって
絵描くの好きだったから渋谷のデザインの学校入ったのよ。
基本みんな1個下だったけど同級生も25とかの人もいて。
ー 勉強はどうでした?
楽しかったけどそれまで自分絵うまいと思ってたけど
美大入れなくて来たような本気の人いっぱいいたから
みんなすごいなとか思ってたね。
渋谷だから遊んでる人もいっぱいいたね。
絵を描くのは幼稚園くらいから好きで
県の絵画展で金賞もらったししてたね。
弟もおれも何回も貰ってたよ。 ホントだよ。
ー 疑ってないですよ。(笑)
どういう勉強してたんですか?
浩司 グラフィックデザインとか商業広告で
今はマックでやるようなイラスト手書きで書いたりデッサンしたり
コピー書いたり構図考えたりパターン作ったりとかしたりだね。
その時に渋谷だから秦野からはちょっと遠いから
一人暮らししたいなって思って不動産屋やってたおじさんに聞いて
二子新地に引っ越したのよ。
江戸間の四畳で風呂なしで台所だけで下が居酒屋のアパートに。
浩司 そんで昔だから家賃手渡しなのよ。
だから大家のおばあさんに封筒入れて持って行ってたんだけど
お兄さんなにやられてんですか? とか話して
「うちの孫が音楽やっててなんとかパーっていうの。」
って言われて
「もしかしてスチャダラパーですか?」
って言って見たらおばあさんの顔がアニそっくりでさ。
ー それはすごいね。
浩司 二子新地の商店街のどんつまりで下が居酒屋でうるさかったね。
で隣は銭湯だったんだけど途中でつぶれちゃってやべえなとかいって
その時は四万の家賃は仕送りしてもらってて
バイトを二子玉川のイタリアンで働いてたのよ。
インコントロってとこ。
ー インコントロ?
浩司 親父がそこのマネージャと同級生で紹介してもらって。
ー 消火器屋はどうなったの?
浩司 それはずっと前に喧嘩してもうやめてるのよ。
ー なんで?
浩司 所長のそのおやじが夏休みバイトに来た大学生が
給料取りに来なかったからてそれくすねちゃって。
そんで取りに来た大学生と所長が何だコノヤローとか言って
壮絶なバトルを目の前で繰り広げてここはやべえなと思ってさ。
ー (笑)
浩司 それで「腕折れたんでやめます。」ってウソついて電話したら
「今までの弁当払え。」って言われて。
ー なにそれ弁当代って
浩司 払えって言われてうるさいから払ってやめたのよ。
みんな友達も一緒に。
それで銭湯つぶれて
二子玉川に銭湯があったのよそのイタリアンの近くに。
その頃は学校行ってバイト行ってその銭湯寄って帰る日々でしたね。
ー 青春ですね。
浩司 それで一年間やったんだけど二年目がカリキュラムが変わって
夜授業だからバイトできなくなっちゃって
どうしようかなと思ってバイトやめて実家戻るのよ。
ー 一年で引っ越し?
浩司 そうそれで秦野からでっかいパネルもってB全持って
渋谷通ったのよ。
一回雪の日で急行止まっちゃって全部各駅で渋谷行ったら
三時間かかったもん。(笑)
もう学校終わっててでっかいパネルもってバカなのかと思って。
ー (笑)
渋谷に通う様になって遊びなんかは変わりましたか。
浩司 まあその頃はまた金なかったからあんま変わんないよね。
ちょうどその頃専門で一個下の
可愛い子と付き合うことになったのよ。
ー 大したもんですね。
浩司 その子は千葉住んでて確か習志野か北習に住んでたのよ。
ー 遠いね。
浩司 錦糸町の先だからそんなでもないよ。
ー じゃ秦野より全然近いですね。
浩司 そうそう。
そんでその子の両親が奈良に行ってて
お兄ちゃんと二人暮らしでよく泊まりに行ってました。
そんでお兄ちゃんはひきこもりで中学出てから
ずっと部屋でギター弾いてたらしくて。
あったら挨拶くらいすんだけど愛想悪くて。
一回その子が先に家で待っててって言うから
行ったら妹いなくてお兄ちゃんに
「妹さんは?」
って言ったら
「知らねえよ!」
とか言われたりしてました。(笑)
まあその子がクラブ好きでよく一緒に行ってたけど
向いてないなそういうのは。
眠くなっちゃってダメでしたね。
楽しいは楽しいけど朝になって眠いのに
家遠いな~
っていうのがきつくて。
ー それでその女性とは?
浩司 ドロドロですよ。
ー 聞き手の心を掴むフレーズですね。(笑)
浩司 専門出てちょっと付き合ってたけど
その後はもうドロドロでしたね。(笑)
それで専門出て指輪作る彫金の仕事を
実家の近所の人の仕事のつてで始めたのよ。
どうしようか色々考えたけどけど
物を作る仕事がやってみたくて。
(続く)
今成浩二
もうすぐ50歳のヒロブラジリアン柔術アカデミー黒帯
今成正和の実兄
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今成柔術で大会もやります。
ご興味あるかたよろしくお願いします。
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