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ブラッド・バード監督の映画「インクレディブルファミリー」レビュー「ワタシはココにいる…ワタシを『見えない存在』として無視するな…ワタシは…虚無(ヴォイド)なんかじゃない!」

シンドロームの脅威が去ってから3ヶ月後,
スポーツ大会小学生の部に於いて徒競走で2位となった
ダッシュをボブが肩車しながら家族揃って
帰路に就くと地底からドリル戦車が出現し
アンダーマイナーと名乗る
地底人が人類に対し宣戦を布告する…。
本作品(=インクレディブルファミリー)(以降「2」と表記する。)は
「1=「Mr.インクレディブル」」の
「続き」から始まるので前作を観ておく必要がある。

初っ端から激しいバトル場面が堪能できるが
「1」で制定されたスーパーヒーロー保護プログラムが
「2」では政治家たちの圧力で撤廃されていて
法によって保護されないインクレディブル一家は
地底人と戦い街を壊した責任を取らされ
2週間の期限付きでモーテル暮らしを開始する。

2週間後には晴れて「宿無し」となる。

しかし悪い話ばかりではない。
大手通信会社デブテックの社長ウィンストン・デイヴァ―が
インクレディブル一家と地底人との闘いを目撃していて
スーパーヒーローの活躍を禁じる現行の法律を撤廃させ
スーパーヒーローの復権に力を貸したいというのである。

ウィンストンの父親もまたスーパーヒーローたちの信奉者であったが
ある夜屋敷に強盗が入りスーパーヒーローに繋がる筈の直通電話が
現行の法律が適用された直後だったため電話が繋がらず
彼の父は強盗の凶弾に倒れたのだ。

ウィンストンの妹でありデブテック社の技術者でもあるイヴリンは
父親が電話が繋がらない時点で安全な場所に避難していれば
命だけは落とさずに済んだと歯噛みする。

ウィンストンの構想はこうだ。
スーパーヒーローのひとりでありボブ(三浦友和)のワイフである
ヘレン(イラスティガール)(黒木瞳)のスーパースーツに
イヴリンが開発した超小型のカメラを取り付け
イラスティガールの活躍する様を見せることにより視聴者は
イラスティガールと同じ視点で生中継画像を堪能でき,
ひいてはスーパーヒーローの支持層獲得に繋がるというものだ。

ボブ(Mr.インクレディブル)は何故自分ではなく
ヘレン(イラスティガール)が選ばれたのかと尋ねると
「貴方が「活躍」すると確かに平和が訪れるが
ついでにビルや道路が派手に壊れるため
コストが安くつくイラスティガールに軍配が上がった」
と言われるとどうにも弱い。

デブテック社は営利を追求する企業であって慈善団体ではないのだ。
こうしてヘレンが活躍しボブが子供の面倒を一手に引き受ける
生活が始まったのである…。

本作品の最大の特徴は男の役割分担と女の役割分担を交換し
ボブが家事をこなしヘレンがスーパーヒーローとして活躍する点にあって
ボブのスーパーパワーは「剛力」であるのに対し
ヘレンのスーパーパワーは「柔軟」であり
同じ問題を解決するにもアプローチが全く異なり
ヘレンはボブと結婚する前は
ピンでスーパーヒーローをやっていた事を思いさせるのだ。

バイクに颯爽と跨って疾走し
「結婚してよイラスティガール!」
ってファンからの声援にサッと手を挙げて応えるカッコ良さ!

父親側は「子育ては大変」
「取り分け『生命力の塊』である赤ちゃんの世話は大変」
「思春期の娘には何かと気を遣う」といった描写のされ方をしているが
スーパーヒーローとして活躍する母親側は
順調なスタートダッシュを決めたものの,
次第に「スクリーンスレイヴァ―」と名乗る謎の敵から
悪意に満ち満ちた攻撃を受けることとなる。

「スクリーンスレイヴァ―」は囁く。
「大衆はスーパーヒーローの活躍を
テレビで見ているだけで自分たちは何もしない」
「何か困ったことがあっても自分たちで解決しようとはせず
『どこかの誰か』が助けてくれるのをただボンヤリと待っているだけ」
「自ら進んで『その他大勢』という地位に甘んじ続けてているだけ」
「スーパーヒーローに際限なく依存し自分で自分の可能性を潰していることを知っていながら決して自分たちからは行動を起こさない」
「それが大衆の本質…」

「スクリーンスレイヴァ―」の攻撃の矛先はスーパーヒーローにも及ぶ。
「スクリーンスレイヴァ―」は囁く。

「お前たちスーパーヒーローが存在するから
一般大衆がますます『ダメ人間の集団』と化してゆく」
「ワタシは「スクリーンスレイヴァ―」…」
「お前たちの存在を許す法律など決して可決成立させない」
「ワタシを止められるものなら止めてみろ!」

「1」は2004年の作品で「2」は2018年の作品。
14年の間のCGアニメ技術の進歩にはただ驚かされるばかりだ。
「2」で1番感情移入できるのは「1」と同じく
インクレディブルファミリーの長女ヴァイオレット(綾瀬はるか)だ。

「1」で一緒に映画を観に行く約束をしたトニー・ライディンジャーの
記憶を「1」のカーリ・マッキーンと同様にリック・ディッカーに消され
オマケにその消去範囲が
「ヴァイオレットに関する全記憶」と知ったらそりゃ怒るよ。

(ヴァイオレットに関する記憶を消された)トニー・ライディンジャーに
初めての映画館でのデートをすっぽかされたことにてショックを受け
透明状態のままアイスをヤケ食いしたり
ボブが気を利かせた心算でトニー・ライディンジャーの両親が営む
ファミレスにヴァイオレットを連れて行き
ウェイターを務めるトニー・ライディンジャーとの
「2度目の運命の出会い」
を勝手に演出され驚きのあまり口に含んでいた冷水を鼻から噴出するという反応がいちいち可笑しくて堪らないのである。
ヴァイオレット本人にしてみれば笑っている場合ではないだろうがね。

「2」で2番目に感情移入できるのはヴォイド(虚無)で
彼女はスーパーパワーを持っていることを隠して生きていて
その影響からか感情表現が不得手で必要以上に卑屈な態度を取り
長身に恵まれた彼女が常に猫背になって
「生まれて来て済みません」
…と振舞う様は「1」の初登場時のヴァイオレットと
大変似ていて非常に好感が持てる。

ヴォイドのスーパーパワーの「凄さ」は
ここで百万遍口頭で説明するよりも是非御自身の目で確かめて欲しい。

ヴォイドが自分のスーパーパワーで懸命に敬愛するイラスティガールを
支援しようとする姿がこの上なく美しくてね,
この件(くだり)を観ると自ずと涙目となってしまう。

何より素晴らしいのはヴォイドは彼女なりに
「誰かの役に立ちたい」「そのためにスーパーパワーを使いたい」
と思っていて
「ワタシはココに存在してる…」
「ワタシを見えない振りして無視するな…」
「ワタシは…虚無(ヴォイド)なんかじゃない…」
「ワタシは…『その他大勢』なんて名前じゃない!」
と彼女の鬱屈と自尊心を吐露する場面があり…
「スクリーンスレイヴァ―」の御大層な
「大衆論」「スーパーヒーロー論」に対抗しているのである。

「スクリーンスレイヴァ―」という名前は
勿論「スクリーンセイヴァー」と「スレイヴ(奴隷)」の造語であって
大衆を「テレビ画面を見ることしか能の無い奴隷」と嘲笑っている訳で
かつては「奴隷」のひとりだったヴォイドが
正気を取り戻し自らの意志で愛するものを救うために
スーパーパワーを使おうと決断した瞬間に
新たなスーパーヒーロー「ヴォイド」が誕生する場面に目頭が熱くなる。

存在感が虚無(ヴォイド)だった彼女が…
虚無(ヴォイド)の力を使役する…
スーパーパワーの主(あるじ)となって…
奴隷(スレイヴ)でなくなり…
スーパーヒーローとなる…
この…完璧なロジックに泣けるのである…。

また「2」では「1」では描かれなかった
「スーパーパワー持ち」同士のバトルもあり
ヴァイオレットと洗脳ヴォイドとの戦いは
「見どころ」のひとつとなっている。

ヴォイドとヴァイオレットとの交流場面がさり気なく描かれており
ふたりが「いい友達」になれればいいと心から思う。
ふたりに「「タイマン張った相手は親友(ダチ)」の法則」が
適用されればいいとも心から思う。

ヴァイオレット「アンタなかなかやるじゃん」
「気に入った」「タメ口で話そうよ…ヴォイド…」
ヴォイド「えええっイラスティガールの娘さんにそんなっ」
ヴァイオレット「ワタシは『イラスティガールの娘』なんて名前じゃない」
「『ヴァイオレット』って呼ばないと一生返事しないからな…」

さり気ない描写としては
ボブが使っているマグカップに「1」で
彼が解雇された「インシュリー・ケア社」の銘が入っていて
クビになっても自分がいた会社のマグカップを
使い続ける彼の心理描写ともなっている。

特典映像の「ジャックとエドナおばたん」は
ボブから一晩だけジャック・ジャックを預かったエドナの物語で
ジャック・ジャックの様々なスーパーパワーに振り回されるエドナが
次第に「生命力」という最大のスーパーパワーに目を輝かせ
「素晴らしいわ」と嘆息したのち徹夜でジャック・ジャックの
スーパースーツを仕上げるに至る顛末が描かれている。

ヴァイオレットとヴォイドは友達関係を成立させることができるのか
一体何時になったらヴァイオレットは
トニー・ライディンジャーと一緒に映画を観に行けるのか
等々気懸りが多いが要するに「続き」が観たいんですよ僕は!

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