俺が故郷鹿児島に対する愛憎の正体は、世間も一枚噛んでたって話

僕のふるさと、鹿児島県。

はっきり言って、好きなんだけど複雑な感情を持っています。

18年間鹿児島で過ごしていたけど、あまりいい思い出を見つけられないからです。

父親は厳しく、常にビクビクしていたし(今は丸くなったけど、それでもまだ圧倒的な父として存在するw)、学校は楽しいこともあったし、友達にも恵まれたけれど、どこかひたすら空気を読んだ時間でした。

これは中学1年の時にクラスの何人かから無視された経験もあるのだけど。

目立つことはやらないと決めて、ひたすら、周りに浮かないように必死だった。

今思えば、これは今の性格にも影響していてプラスにも転じている。

周りとの衝突を避けるために、配慮する、心配りをしているマインドになったのもこの経験かも。

一つエピソードを挙げるなら、中学3年生の頃、友達と同じ人を好きになった時、ひたすらその友達を応援しまくるという謎の空気を読んだこともあります(これはこれでかわいいもんです)。

でも、絵が得意だった自分という存在は消していました。

ひたすら野球をやっていて、絵を描く自分は家に帰ってから。

もしくはこっそりテストの裏紙。

今思えば、周りの空気に合わせるって、せっかくもらった命に対して、自分にとってなんの特にもならん行為なような気がしている。

で、そんな鹿児島に対して、ネガティブな思いがあるのに、今は鹿児島に対してものすごく何かしたいという無駄な熱量があるんですね。

なんでかなーって思った時に、秋田のウェブマガジン「なんも大学」で秋田出身のミュージシャン、高橋優のインタビューを見て妙に納得したんですよね。

愛憎なんだと。

今、こういう鹿児島愛があるのは、もしかしたら憎いみたいな思いもあったのかもしれないと。

でも、なんかネガティブになるなと思って読み進めてたら、高橋優がこんなことを言ったんですよね。

高橋 でもだからってそんなに秋田を憎んでいたとか嫌いだったというつもりはなくて。むしろ世間ってこういうもんだっていうのを秋田に教えてもらった感じですね。<中略>
高橋 結局、土地が変わったから何かが変わるというよりは、人の心のどっかには、自分がやろうとしてることに対してクスクス笑うようなところがある、って札幌に行ってもそれは一緒だったんですよね。だから秋田っていうより、世間っていうふうになっていったのかもしれないなあ

アァと思った、まだ飲み込めないところはあるけど、僕は鹿児島を嫌いだったわけじゃなくて、世間の空気に対してイライラしたり憎んでいたのかもしれないって。

自分をうまく表現させてもらえない空気に対してのフラストレーションだったのかも。

だから、鹿児島に対して、同じようにしがらみみたいなところでモヤモヤしている人の可能性を広げる役割をどこかしらで担いたいと思ったのかもしれない。

というわけで、2020年の目標は、絶対鹿児島で仕事をつくること。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?