初めての精神科。初めての病名。

中学2年生の秋頃に初めて精神科に行きました。

この頃、幻覚幻聴に悩まされ
不眠症にもなり、外にも出れなくなりました。

あまりに心配になった母が連れて行ってくれました。
父はDV気質だった為、私が不登校になってから
毎朝怒鳴られあまり向き合ってくれませんでした。

ここで出た病名は
*統合失調症
*社会恐怖症
*不眠症
でした。

私が見えていた黒い影や
何故か聞こえていた不思議な声は病気だったんだと。

だけど逆に病名がある事に何故か不思議と
安心感を覚えました。

そして全く学校に行かなくなりました。
外にも出れなくなりました。

ひいおばあちゃん、おばあちゃんは母と同様
すごく心配してくれていました。

学校に行きたいのに行けない状況の時
バス停で過呼吸になりそのまま近くのひいおばあちゃんの
お家に向かうと玄関を開けた途端に
涙を流しながら正座で待っててくれたひいおばあちゃん。
何も余計な事は聞かずに
「大丈夫、あなたは頑張ってる。私はずっと味方だよ。」
と言って優しく抱きしめてくれたあの時間。

私はこの先も絶対に忘れる事はないです。

「私は○○ちゃんの事を絶対に守る」
と言って編入のお金も後から聞いた話だと
ひいおばあちゃんが出してくれたそうです。
それをひいおばあちゃんが私に言わなかった理由は
「もしもあの子がまた馴染めなかった時に私がお金出してことを
知ってたら1人で殻に閉じこもっちゃうから言わないで」
とみんなに口止めをしていたみたいです。

ひいおばあちゃんは自分で言うのも変だけど
私の事を1番可愛がってくれていて
そしてどんな時も寄り添ってくれる1番の味方でした。

それから毎日ひいおばあちゃんの家に行きました。

いつも私の朝ごはんと自分の朝ごはんを用意してくれていて
学校の話は何もしてきませんでした。
15時になると必ず
「〇〇ちゃん私お腹空いたから一緒におやつ食べよう。
一緒にコンビニ行こうか」と
必ず1回は私を外に出してくれていました。

そんな日々の中でおばあちゃんも仕事を辞め
おばあちゃんは当時まだ免許を持っていたので
今度は家ではなく毎日ひいおばあちゃんも母も
私の事をドライブに連れて行ってくれました。

遊んでいるのではなく
引きこもらないように外に出してくれていた優しさ
3人は「ちょっと勉強しすぎて疲れたんだよね」と
たくさん甘やかしてくれていました。

周りからしてみたら「甘やかしすぎ」と思うかもしれません。

けど不登校の私からしたら
家で引きこもってひたすら悩むよりも
外に出る事によってその時間だけは
何も考えず暗闇から解放された状態で
この明るい世界で息ができる
唯一の苦しさのない時間だったんです。

そのまま週に数回は学校のカウンセリングルームに登校し
この生活をして中学2年生は終わります。

しかし私の大好きなひいおばあちゃんに異変が
起きてしまうのです、、、

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