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私の働き方改革~前編~

本コラムは、2017年9月に村上が運営するコミュニティの会報誌vol.2にて公開した連載コラムを特別公開するものとなります。

コロナ不況で働き方が揺らぐいまだからこそ、読んでいただきたいコラムとなっております。

ワークライフバランス全否定

私の嫌いな言葉トップ10に
「ワークライフバランス」
というものがあります。

ワークばかりではなくライフを充実させよう、
といった趣旨だと思います。
日本人は働きすぎ、もっと人生楽しもうぜ!
という感じです。

人生は人それぞれでかまわないのですが、
私自身が重度のワーカホリックなので、
それを楽しんでいるのに否定された気がします。
反発したくなってしまいます。

働き方ぐらい自分で決めさせて!
ていうか自分で決めろよ!と思います。

新しいサービスや商品の発明をする人たちは、
皆ライフそっちのけで仕事に没頭しています。

確かに日本型の無意味なサービス残業は
くだらないと思いますが、そうではない、
本気で何かを生み出そうとしている人をも否定し、
そういった芽を摘もうとしている人たちに辟易します。

日本人の好きな出る杭を打ちまくる感じです。

そもそもワークとライフは
切り離せないものであり、
ワークなくしてライフは成り立ちません。

その逆もそうです。
切り離して考えるから変な感じになるのです。
ワークによる収入がないと死にます。

経済の発展もなくなります。
そうすると資本主義も崩壊です。

特に昔の生活を想像してほしいのですが、
狩や農耕など、生きるための行動が=ワークです。

そのワークをないがしろにし、
自分らしく、夢を求めて、自由に生きよう、
などとキラキラした目で語られると
ゾッとしてしまいます。

そして、この「ライフ」重視の方達が求める発想は、
私が過去に陥った「成長しない考え方」
なのではないかと思っています。

自分らしさの弊害

私は学生時代、世間一般の人たちとは違うと
自他ともに自負していました。

小中高校もあまり行かず、
バンド活動やバックパッカーをしている若者でした。

世の中で怖いものなど
お母さんくらいしかいない
イケイケな感じです。

一般論や流行っているもの、
俗的なものを批判し、
そういう物に流されている人たちを
軽蔑していました。
そんなものはダサいと。

自分は周りとは違う
自分だけが世の中の本質が見えている
そんな自分でありたい

それが私の「自分らしさ」でした。

そんな自分に誇りを持ち、
周りの人間からもカッコいい
と言われ浮かれていました。
「俺、最高」です。

社会人になってからも、
「自分らしさは絶対に曲げないんだから」
と夜空のお星さまに誓い、
孤高の存在を目指していました。

満員電車で週刊文春を読んでいる
サラリーマンにはなりたくなかったのです。

いわゆる、

「ブラック企業反対!」
「社畜ダサッ!」
「ライフ最高ぉ~!」

という感じです。

就職してからしばらくは
そんな気持ちを抱き、
飲み会などの社内行事を嫌い、
全く重要ではないプライベートを優先させ、
会社に隷属しているおじさんを馬鹿にし…
屈辱的なビジネスマナーや
しきたりなどもくだらないと思っていました。

なにごとに対しても斜に構えたクールなイケメンです。

夏の暑い日にスーツなんて・・・
ネクタイって何?
なんでこの現代で意味の分からない紐をぶら下げてんの?
なんで知らない人に頭下げなくちゃいけないの?
てかあんたら人生楽しいの?

などなど。

そして、たいした利益も上げられていないにも関わらず、
自分の権利は主張する。

今思うと、最近の若者は・・・!
を地で行っていたと思います。

しかし、常にカッコよくいることを
ポリシーとして生きてきた私は、
仕事のできない、稼ぎの低い自分は
「ちょっとダサくないか?」
と考えるようになり、

稼いでいる人、仕事ができる人、
大人なのに日焼けしている人はかっこいいな、
楽しそうだな、と憧れを抱くようになりました。

そして、世の中なんてくだらない
と思いつつも徐々に仕事を覚え、
仲間や上司との絆も生まれ、
稼ぐことの楽しさを徐々に実感していきました。

労働環境は今でいう
ブラック企業の数倍強烈なものでしたが、
20代半ばで年収1,000万円を超え、
仕事の面白さというよりは、
やればやるだけ稼げるという面を楽しんでいました。

その当時同期からは
『ハマの狂犬』と呼ばれていました。

とはいえ年収1,000万円を超えるのには
それなりの苦労がありました。

自分は天才ではないことを自覚していましたし、
自分より頭が良く、才能がある人も大勢いました。

では、どうすれば彼らを超えられるか。
あるときふと閃いたのです。

「寝なければいーじゃん」

非常にバカな発想です。そして危険です。
しかし、これで私は同期に圧倒的な差をつけ始めました。

いつも愚痴を言っている同僚や
上司をしり目に、私は誰よりも早く会社へ行き、
上司の御用聞きをし、役員の夜の運転をし、
その考え方や仕事の方法を観察していました。
そして自分の仕事は土日を使いこなしていきました。

同僚からは、

役員に贔屓されているんだろ?
自分だけ年収が高くてずるいよ
お前は要領が良いな

などの妬みや陰口も聞こえてきましたが、
私は鈍感なせいか全く気になりません。
華麗にスルーです。

むしろあざけり挑発していました。
お前らも「寝なけりゃいーじゃん」と。

キャリアを磨けば磨くほど
責任のある仕事が任され、
より仕事が面白くなります。

仕事を適当にこなしいやいや会社に来ている人と、
キャリアを磨くために本気で休まずに働いている人との差は
火を見るより明らかです。

よく電車の中でゲームをやったり
漫画を読んだりしている人がいますが、
それとは逆に仕事の本を読んでいる人がいます。

そうした彼らが積み重ねていく
知識量の差は言うまでもありません。

週5日、毎日1時間ずつ勉強を積み重ねていった人と、
時間を浪費していった人の差は、
10年の時を経ると絶望的な差となって現れるものです。

リーマンショックってなぁに??

そんな時に世界を震撼させた
「リーマンショック」が起こります。
私がいた部署は立ち行かなくなり会社も傾きました。

当初はファンド事業や用地の転売で
荒稼ぎをしていたのですが、
リーマンショックによりお金の流通が止まり、
一瞬にして仕事がなくなったのです。

毎日銀座や六本木の高級クラブへ
繰り出していた私たちは、
一夜にしてスラム街の和民で
震えることとなりました。

ホテルのラウンジで
セレブ感を漂わせながらの打ち合わせも、
世界の片隅にあるルノアールで
愚痴大会になってしまったのです。

そして事業の一時撤退を機に、
会社はもう一つの柱である
区分マンションの買取再販に舵をきり、
私たちもそちらへの転籍を促されました。

区分マンションの事業部は
8割が若い女性社員であり、
「ハーレムじゃん」と少しソワソワしたのですが、
20代半ばの1,000万円プレイヤーである勇者は、
そんなちまちました小さな仕事できるか!
とちゃぶ台をひっくり返し

直属の上司と2人で計画性もあまりないまま、
極度に経済が停滞した時期に
意気揚々と独立してしまったのです。
それが、28歳の時です。

退職届を出したその時の
社長の憐れむような眼を
今でもはっきりと覚えています。

孤独はつらいよ

私たちは完全にリーマンショックの
インパクトを舐めていました。

サラリーマンがなんか
ショックを受けた程度でしょ?
と勘違いしていた私は
人生で最大級の絶望を味わいます。

当初の私は同年代に比べれば
知識も人脈も経験も多かったのですが、
逆に言うとそれだけでした。

組織の中ではそれなりに稼げる営業マンでも、
それは周りの助けによるものであり、
あくまでもサラリーマンとしては
それなりに優秀なだけだったのです。

そしてその新しい環境では、
私の誇りであった「自分らしさ」
なんてものにこだわっている余裕は
一切ありませんでした。

逆に「自分らしさ」は完全に弊害でした。

自分で稼がないと生活ができない…!

それまでに集めた名刺に片っ端から連絡をし、
常に人に会いに行き、情報を求め
飲み会などの交流を積極的に仕掛け、
自分を売り込みました。

しかし、自分自身のスキルのなさと、
リーマンショック後の経済の停滞があり、
うまくいくはずもありませんでした。

この時期は趣味はもちろん、
自分の時間などというものは
一切ありませんでした。

自分が動かなければお金は入りませんし、
多少入金があったとしても、
次の入金のために仕掛け続けなければならないのです。

この時期から好きだった音楽からも遠ざかり、
友人との交流も激減しました。

会社には事務、経理、システム、
営業、様々な分野のプロフェッショナルがいますが、
独立したらそれらすべてを
自分でやらなければなりません。

役割分担などは当然なく、
営業以外の知識を勉強し、
得意な人がいたら積極的に話を聴くようにしました。

そうやって仕事の幅を広げていくと、
いろいろな業界や年齢の人と
接しなければならなくなり、
挨拶やビジネスマナーの大切さを
思い知るようになりました。

軽蔑していた大人の世界の仲間入りです。

最初の5年間と比べれば、
このときの仕事環境は悲惨でした。

年収も大幅に下がり、
何日も眠れない日が続きました。

究極の孤独です。
誰も助けてくれません。

朝目が覚めても何も解決していません。
自分で動かなければなにも起こらないのです。

プライベートなんてもちろんありません。
「自分らしさ」なんてものが
どこにあるのか分からなくもなりました。

パパンとママンに大事に育てられ、
繊細で傷つきやすい私の心は、
そんな環境に身も心も打ちのめされました。

そして先行きの不安に耐えられず、
わずか1年たらずで再就職を選びました。
安定収入万歳、社畜万歳です。

環境ではなく自分の気持ち次第

再就職先は債務整理を専門とする
小さな会社でした。
この会社も壮絶なブラック企業です。
まさに漆黒の闇、ブラックofブラックです。

最近騒がれているブラック企業なんて、
限りなく白に近いグレーです。

社長は人間の皮を被った
悪魔なのではないかと真剣に考えるほどです。

上司に「僕、40連勤なんですけど」と言えば、
「そうなんだ、俺は100連勤突破したところだけどね(笑)」
と言われるような環境です。

ちょっと気を抜くと
気絶しそうなほどの睡魔に耐え、
みんな白目をむきながら頑張っていました。

何よりも衝撃的だったのは、
夜中の12時から会議とか、
1月1日に社長宅で会議とか、
ちょっと意味の分からないことを
平気でするような集団だったのです。

後に私たちはその時の経験から、
自分たちのことを
「兵隊上がり」と呼ぶようになります。

ですが、リーマンショック後の
完全にお金の流れが停滞していた時期に、
これだけ忙しく、仕事のある環境はありがたく感じました。

その頃はもう「自分らしさ」などは忘れ、
今自分ができることを精一杯やり、社会に貢献し、
その報酬を得られることの素晴らしさを
肌で感じれるようになっていました。

仕事の内容は、返済不能となった債務者の味方となり、
弁護士・司法書士と組み、銀行と戦うため
社会的な正義はあったものの、

ほとんどの債務者は精神的に病んでいるため、
放っておけず常に緊張感MAXの環境でもありました。

もう死ぬしかないと言っている相手に、
「今日僕は休みなので、週明けに対応します(笑)」
とは言えません。

「ワークライフバランス」信奉者の方達は
残業をすることは悪、
就業時間内で終わらせれば良い
などと言いますが、それではすまないケースも多いのです。

もちろん合理的な業務内容の見直しや
改善は必要ですが、お金だけではないのです。

困っている人を助け、世の中に貢献し、
その充実を感じてこその仕事だと思います。

30代になった私は、仕事の面でも、
おなかの周りにもアブラがのり、
光の速さで部長にまで昇進しました。

上司が次々に去ったため、
ダルマ落とし的な感じで
ポストが落ちてきたのではないか?
という論争は今でも議論の余地が残ったままです。

自身の売り上げや社員の管理、
そして会社の経営にも携わるようになり、
非常に充実していました。
(と表面上は言っておりますが
実際には辞表を5回出してます。)

休む時間はなく
仕事だけに忙殺されていましたが、
知識や経験、スキルだけではなく、

物事の考え方や、接し方、
世間のニュースや動き、

仕事観、人生観、
会社とは何か、働くこととは何か、
本当は何がしたいのか、
など、

あらゆる面での考え方や
意識が大きく変わっていきました。

今思っても仕事の環境は劣悪でしたが、
リーマンショック後の5年間は、
現在の自分の基礎を作る上では
非常に有意義な時間でした。

厳しい環境は人間を成長させる
などと言います。

それをそのまま肯定する気はありませんが、
自分にとってはその通りでした。

後編へ続く・・・

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