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当たり前の基準をあげる

仕事で所属している部のミーティングにて、締めの言葉を話す役割を任された。
締めの言葉と言っても「はい、今月も頑張りましょう!」で終わらせられるものではなく、5分程度、仕事に対する思いを話す場。
1ヶ月前から「次は頼むね」と部長に言われたときから、頭の中に「締めの言葉何話そう問題」が居座るようになった。
仕事中も、帰ってからも、休みの日も、ふとしたときによぎる「何話そう」。

実は人前で話すことに緊張する方ではない。
研修なりプレゼンなり、話すことが決まっていて、学習や商品の説明など自分以外が主役であれば何も恐れることはない。
今回は違う。自分の仕事に対する思いを20人ほどのメンバーに向かって伝えなければならない。
前回は同じく課長の同僚が自身の新人時代から今に至るまでの話をして、私もぐっときたし、年次の浅いメンバーは特にやる気が出ただろう。

さて、どうする?

同じように自分の新人時代の話をしたところで前回の◯◯さんの真似やん、となることは間違いない。
その上、部長よりも上の統括部長が来阪し、ミーティングに参加することが決まってしまった。
プレッシャーが押しつのる中、悩みに悩んでいるとふと現れた言葉が「当たり前の基準をあげる」だった。
仕事においてメンバーに大切にしてほしいことを伝えるところまではなんとなく方向性を決めていたものの、言いたいことがあふれすぎてどうしようもなかったときに浮かんできた言葉。

自身の入社時に難しい、できないと感じていたことは経験を積むことで当たり前になった。
自然と当たり前が増えていくことはある。
それも成長なのだけれど、自ら基準をあげる努力をしたいし、してほしい。
「本当はした方がいいけど、時間がなくてできない」「◯◯さんは歴が長いからスキルもあるし、自分にはまだできない」
そんな風に後回しにしがちなことをやる。少し自分に負荷をかけてやってみる。

メンバーに言うからには自分が率先してやらねばなと、その日から「当たり前の基準をあげる」をスローガンにして行動をしてみた。
1日、1つの+αを意識。1つだけでいい。
その内容も小さなものから大きめのものまで、バラバラでもいい。
Teamsで部長の投稿にコメントをしてみる、ニュースを共有してみるといったことから、プロジェクトの立案まで、いろいろ。
今までもやらなかったわけじゃないけれど、やれるときにやっていたり、強いられたからやっていたり、そこに自分の決意はなかった。
意識するのと、しないのとでは違う。

今日はこれができた。少し前に進む気持ち。
それが毎日積み重なれば、そこには学びがあって、成長している。
ひいては、組織の発展につながる。

そんなことを伝えたいと思った。
「伝えると伝わるは違う」上司に言われた言葉を胸に、自分の言葉で伝わるように。


発表は死ぬほど緊張した。

「当たり前」に人前で思いを伝えられるようになりたい。

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