その人の「背中」から学ぶこと
5月27日のオフ会に参加してくださったAさんとの話の中での気づきを2記事に渡って書いてきた、その続きになります(オフ会開催&自分の中の何かが破壊された日、数値化できない「意識」の変化こそ最重要の2記事)。昨日の記事の最後に『そして何より人に影響を与えるのは、その人自身の「生き方」なのではないかと思っています。』と書きましたが、そのことについて補足してみようと思います。
よく言う言い回しに「父の背中から学んだ」「師匠の背中から学んだ」といった言葉があると思います。私は父に対して実際にそういった感覚を得たことがあります。私の父は真面目でやさしい人で、ヒステリーな母をうまくかわせるほど温厚な人です。小学生の頃、小学校でフリーマーケットが開催されたことがあり、確か売上の何パーセントかを出店料みたいなかたちで納めるしくみになっていたんですね。売上金額は自己申告で、大した額でもないので確認なども特にしていませんでした。他のお店は実際の売上より少ない額を申告している人もいたように見えましたが(脱税的な)、父は本当の売上額を申告していました。またある日は(結構最近)、地元の駅ビルのエレベータに乗ったときに飲み残しが入っている缶が置いてあり、普通は嫌だなと思うけどスルーするところ、その缶を持って「トイレに捨ててくる」と言って捨てに行ったこともありました。
私はこういった父の姿を見て、「絶対に誠実に生きよう」と思いました。その後は、電車で自分が捨てたのではない空き缶が足元に転がってきたら、私も拾ってホームのごみ箱に捨てるようになりました。ズルするな、ごみを拾え、と口で言われたことはありませんが、他人(私)の意識と行動は確実に変わったと思います。意識の変化というのは押しつけがましく口うるさく言われても起こらず、誰かの生き方や行動を見て、自発的に影響を受けるものだと思います。こういうことを「背中から学ぶ」「背中に学ぶ」というのだろうなと感じた出来事でした。
昨日の記事で書いたこともこのことと関係しています。世の中が良くなってほしい、問題が起きていることを知ってほしい、と思って活動したり、誰かに訴えかけたりすることもありますが(私だったら食べ物の添加物・農薬問題や薬、ワクチン問題とか)、それを言っても響かない人には響かないし、あんまり説得させようとしたりするとウザがられるのは当たり前です。わかってもらおうと思うとそこに「期待」というエゴが生じ、私も相手に怒りや不満を感じたりするので精神的にもよくありません。私はある時に気づいて「別に訴えかけたりしなくても、自分がそう思って生きていればいいだけかも」と思うようになりました。たとえば「私は食べ物に気を遣っているし、薬は使わず自然療法で対処している」ということをただ表明して実践するだけで、ピンと来た人は「教えて」と興味を持つだろう、ということです。生き方レベルでも「私は心の平安や心を清らかに美しく保つことを目標に生きる」と表明して実践するだけで、ピンと来た人は「そうだよね、それが良いよね」と思ってくれるだろう、と思っています。
私たちは生きているだけで必ず誰かしらの影響を受けたり、相互に与えたりしていますが、「こういう意識の変化を起こそう」と思って起こせるものではないと思うんですね。世間的に脚光を浴びていなくても、その生き方や行動を見た身近な人が影響を受けていることは確実にあると思います。昨日例の父がある本を買ったと言っていて「この本(がんの代替療法的な内容)にフラワーエッセンスの話が出てたから買ってみた」と言っていました。私がフラワーエッセンスの勉強をしていなければ興味を持たなかったかもしれません。私が日々肝に銘じる言葉「北風と太陽」。「背中から学ぶ」発想は「太陽」的だと思います。何か強い思いがあるのであれば、ただその思いの通りに生きていけば、必ず誰かに影響を与えることになるはずです。その思いに忠実に生きられる人には「心の強さ」を感じます。
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