正直に「わからない」と言う誠実さ

コロナ禍でこれまで以上に「デマ」という言葉を主流メディアからたくさん目に、耳にしたなぁと感じています。政府、マスコミ、アカデミズム(御用学者)というのは、本当に「デマ」という言葉が好きなようで、自分たちに都合の悪い情報はすべて「デマ」と言っているように見えます。ワクチンに関する都合の悪い情報など、ことごとくデマ扱いされていますし、それを真に受け鵜呑みにして信じてしまう人が多いことにも驚いています。主流派メディアの「デマ」は真実と思え!というくらいが、実際は正しいんじゃないかなと思っています。

こんな世の中ということもあり、私は「わからない」と言える人は誠実だなと感じるようになりました。当たり前なのですが、世の中わからないことだらけで、断言できることなんてほとんどないんじゃないかと思ったりします。例えば、昨年の健康情報は知識マウントの道具なの?という記事にも書いた通り、何々が健康に良いかどうか、というのはよくわからないもので、なかなか断言できないものだなぁと思います。それと同じように、「〇〇をしても安全だ」とか「健康に影響はない」みたいなことも主流メディアはよく言いますが、絶対に断言はできないもので、「影響はわからない」というのが本当のところかと思います。何か少しでも疑念を示すと「デマだ」「風評被害だ」と逆に騒がれてしまい、それが世論の分断の元にもなったりします。

「治療のため」なら何でも許される?という記事にも生殖医療に対する疑問を書きました。人為的な生殖技術が安全かどうか、影響がないかどうかは「わからない」と思っていて、私が医者であれば安易に勧めることはできません。薬全般もそうですし、ワクチンもそうですが、医療ってやたら「安全」「悪影響がない」と言い切りますが、そんなわけはないと思いますし、絶対に安全と言い切れるものなんて食べ物だろうが電磁波だろうが太陽光だろうが、この世に存在しないのではないでしょうか。

今こう書いていて、「絶対に〇〇」などと断定的に言う論調って、詐欺師の口調だなぁと思いました。強気で断定的に言われると、つい不安な人や盲目的な人は信じて心酔してしまいます。そしてそのあと必ず裏切られます。断定的な口調の人は人気は出ると思いますが、不誠実な人なので、まともな人からは相手にされないと思います。正直にわからないことは「わからない」と言える人の方が誠実ですし、信頼度が増すように思います。

仮に何か言ったとして、それが間違っているとわかれば、後から「間違ってました」と謝罪と訂正を入れれば良いと思うんですよね。不誠実な人はそれすらしませんし、なぜか自分たちが被害者かのように振舞ったりもするので手に負えません。過去に私たちは「完璧さ」よりも「誠実さ」を求めているという記事も書きましたが、誰しも間違いはあるとして、その後誠実に対応することは心ひとつでできるはずなんですよね。都合の悪いことは「デマだ」と決めつけたり、過剰に断定口調で話す人は、不誠実な人である可能性が高く、その情報は信頼に値しません。誠実な人は、デマならその根拠を示しますし、わからないことは「わからない」と言いますし、間違っていたら訂正します。情報の洪水の中から真偽を見極めるのが本当に難しい世の中ですが、発信主がどれくらい誠実な人なのかというのも一つの指標になると思います。

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