効果がある「だろう」という幻想に支配された世界

コロナ騒動について考察する記事、第3弾です。お先に過去記事:コロナ自粛全体主義の「空気」に感染して… と、異様な「空気」に「水を差す」自由と勇気という記事をお読みいただけると幸いです。タイムリーに最近読んだ、『「空気」の研究』(山本七平著)という本を取り上げながら、昨今のコロナ騒動の「空気」を考察していきたいと思いますが、今回は「効果がある」と言うことの難しさについて考えてみたいと思います。

過去記事で、コロナ騒動真っ只中の現在、「ウイルス感染を防ぐ」ことが至上命題として過激なまでに絶対化されているということを書きました。「ウイルス感染を防ぐ」ためにやるべきこととして、マスク・手洗い・消毒の徹底、ソーシャルディスタンス、「3密」を防ぐ、外出自粛(休業要請、テレワークの推奨、学校休校)といったことが推奨・強制されています。外出自粛して人との接触を避け、マスク・消毒をすれば感染拡大は防げるだろうという「仮定」のもと、そうするようにマスコミが煽り、そうするのが是であるという疑いようもない「空気」を作っています。ほとんどの人がこれらの作られた「空気」に感染しているため、前記事で私が書いたような「水を差す」ような言動は封じられてしまいます。

これは昔から思っていたことなんですが、「効果がある」ということを証明するのって、こういった医学的分野に限らず、ものすごく難しいことなのではないでしょうか。医学・健康系以外ですと、「広告・宣伝効果」というのも証明が難しいものだなと感じています。医療系は「きっと頭のいい人がきちんと実験とか治験とかして調べてるんだろうから薬やワクチンの効果は間違いない」という前提のもと、「効果がある」と言われればそうなんだと思う人が多そうです。広告・宣伝系はその業界に詳しくないのでわかりませんが、「この広告を導入した企業の売り上げが○○%上がりました」的なプレゼン資料で営業など行ってるのかなと予想しつつ、「その広告の効果だってことはどうやったらわかるんだろう?」と常日頃疑問に思ったりしています。

世の中の「空気」を観察するに、「効果がある」に関してはこと権威主義なところがあって、頭のいい偉そうな人が言うことは妄信する傾向があると思うんですよね。「空気」は「科学的根拠」とか「エビデンス」が好きなので、ちょっとでもそういうものがあればよく、逆にどんなにたくさんの人が効果を感じると言っても、科学的根拠がなかったりメカニズムが不明だったりすると「空気」には乗ってこないんですよね(笑)。私は製薬会社をはなから疑っていますので、製薬会社の息のかかった調査や「エビデンス」はどこまで真実なのだろうと、常に警戒して見ています。金に物を言わせれば都合のいい実験データはいくらでも作れますし、利権に群がる御用学者には不自由しないでしょうからね。

ワクチンについても賛否両論いろいろありますけど、そもそも、ワクチンの「効果がある」という証明ってすごく難しいと思うんですよね。同じ人の打った場合と打たなかった場合で比べることはできませんし、打ったグループと打たなかったグループや、打った年と打たなかった年など、広範囲にわたって比べなければ「効果がある」と断言することは難しいんじゃないかなと思います。インフルエンザワクチンについて言えば、打ってもかかる人や打たなくてもならない人がいる時点で「効果がある」とは言えないような気がするのですが、「打てば軽症で済む」という言説もあり、信じている人も多いようです。そもそも打っていなければならなかったかもしれませんし、打って感染した人が「打ったから軽症で済んだんだ」と思うか思わないかくらいなもんなんじゃないかなと思ったりもします。

要するに、「効果がある」というのは実証が難しく、恣意的にデータを選んだり偽装したり専門家を買収したりして、どうとでも言うことができる世界だろうということです。そもそも「感染者数」のデータも本当かどうかわかりません。「自粛によって感染者数が減った」という既成事実を作りたければ、そのようなデータを創作すればいいだけのことです。今やっている「対策」というのは、効果がある「だろう」という幻想のもとに人々を本質から目をそらさせ、煙に巻くもののようにしか見えません。仮に最初から自粛も過度なマスク・消毒もせずに普通に日常生活を送っていたとして、感染爆発が起きていたかどうかはわかりません。もっと言うと、「新型コロナウイルス」の存在が報道もされず、人々の意識に上がらなければ、今とは違った世の中だったことは間違いないですね。

「空気」に純粋な人には、マスコミや政府の発表が真実であると思わせることができるかもしれません。上記の著書で山本氏は「父と子の隠し合い」という集団倫理の性質を述べています。父は子のために、子は父のために隠す。一般的な良心・道徳に優先するのがこの集団倫理の性質なんですね。政府・医療関係者・製薬・マスコミ等の支配層は相互に結託して、「真実」を作り上げている可能性も大いにあります(というかそういうものです)。「効果はある」言説に限らず、「空気」醸成機関のマスコミの言うことはすべて疑ってかかるくらいでないと、この異様な「空気」に差すべき「水」は見つからないでしょうね。

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