コロナ自粛全体主義の「空気」に感染して…

日頃から読書が趣味の私ですが、今のコロナ自粛期間はいつにも増して読書時間が増えています。最近読んだ本で今のご時世にぴったりなものがあったので、取り上げて考察しようと思います。『「空気」の研究』(山本七平著)という大変有名な本で、読んだことがある方も多いのではと思います。長くもなく読みやすい本ですが、内容が濃く、精読が必要です。日本を支配する「空気」とそれに水を差す「水」の性質について主に考察されています。いわゆる「空気を読む」ことと集団倫理、連帯責任、事なかれ主義や全体主義に至るまで解説されている興味深い本です。この本を読んでの感想などをB5ノート4ページ分書いたのですが(笑)、その内容を少しずつ記事にも書けたらなと思っています。

この本が今の私に響いたのは、現在私たちが直面している「コロナ自粛騒動」にまるっきり当てはまる考察だなと思ったからです。コロナが騒がれ始めた2月頃は私も「本当に未知なるウイルスが蔓延して感染するかも」と思っていましたが、次第にキナ臭さを感じるようになり、コロナパンデミックは演出なのではないかと感じるようになりました。巻き起こる出来事は時系列で起こるのではなく、支配者によるシナリオに基づいて起こると考える癖がついてしまっているので、「コロナパニック」→「自粛・経済危機」ではなく、「自粛・経済危機」を起こすために「コロナパニック」を起こした、と見てしまうんですね。何か真の目的があるんだろう…。陰謀論っぽいと思う人もいるかもしれませんが、世の中自然発生的に社会現象が起こることはないですし、メディアもコントロールされていますから、なんだって演出し、ある種の「空気」を醸成できるんです。

私たちは私たちが思っている以上に「空気」に支配されているもので、「空気」の前では論理も科学も役に立たなかったりします。本の著者、山本七平氏の考察で興味深いものに、「絶対化」と「相対化」に関するものがあるのでご紹介しますね。山本氏は「人間は絶対化された対象に支配されてしまうので、絶対化されてしまうと対象を解決できなくなる」と言っています。例として「公害問題」と「経済の発展」を挙げて考えてみましょう。この二つは対立概念として相対化してとらえるべきものですが、例えば「公害問題」を絶対化してしまうと「公害はとにかく悪だから、有害物質を出す全工場を止めろ!」ということになります。(逆に「経済の発展」を絶対視すると、「環境や人体への悪影響は無視してとにかく生産!」ということになります。)「公害=悪」が絶対化され、そういう「空気」に支配されると身動きがとれなくなり、結局絶対化された「公害問題」も解決できないということになります。

この部分を読んで、「あれ、これ今の日本と同じでは?」と感じました。本来、「ウイルスの感染を防ぐ」ことと「経済を回す(止めない)」ことは対立概念としてとらえるべきことだと思います。「ウイルスの感染を防ぐ」ことが絶対化されるとどうなるか。「外出するな。仕事は家で。店は自粛。」というまさに今の状況がもたらされるのではないでしょうか。これは公害の例でいうと「全工場を止めろ!」ということと同じです。公害の例で「全工場を止めるなんて、大げさな」と思いませんでしたか?しかし今は「外出するな。仕事は家で。店は自粛」という過激派とも思えるような思想が主にマスコミにより「空気」醸成されていて、人々は当たり前のようにそれを受け入れているように見えます。こうして「ウイルスの感染を防ぐ」ことを絶対化した「空気」が支配的な世の中になり、身動きが取れなくなっているというのが今の状況ではないでしょうか。

多くの人々はとりあえず「空気」に従っていれば責任を逃れられると思い、世の中の「空気」に従って、マスクをし、手洗い・消毒に努めます。不要不急の外出をすると場合によっては叩かれたり、マスクをしていないと白い目で見られたり、常に手洗い・消毒をしなければという強迫観念にかられたりします。そんな世の中の様子を斜に構えて見る私に、山本氏のこの言葉が突き刺さります(一部要約)。

「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」が体制となった「虚構の支配機構」

B5ノートには「これは今の日本に生きる私が感じる感覚そのものだ。」と書きました(笑)。

皆さんおわかりのように、「空気」は全体主義とも関係が深いです。「絶対化」というのは全体主義そのものではないでしょうか。全体主義と言えば戦争。山本氏は戦艦大和や太平洋戦争は「空気」決定によるものだったと述べています。実は、私たちの本当の敵というのはウイルスではなく、「ウイルス感染を防ぐ」を絶対化した「コロナ自粛全体主義」とも呼べる現象であり、意図的に醸成されたいかなる「空気」にも盲目的に従い、「感染」してしまう視野狭窄、精神的幼さなのかもしれません。山本氏は「空気」拘束から脱するためには「水を差す自由」と勇気、そして「自由なる思考」が必要だと考えていました。最後にそのための方策として述べられた重要な一文を引用してみたいと思います。

そしてそれを行ないうる前提は、一体全体、自分の精神を拘束しているものが何なのか、それを徹底的に探究することであり、すべてはここに始まる。

(本の解釈違ってたらすみません。長くなったのでまた続きを書きたいと思います。)

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