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ひきこもり歴13年から今にいたるまで⑬

このコップを壁に投げつけて割ることができたなら、世界は変わるだろうか。
現状が少しでも揺らぐだろうか。
空っぽの透明なグラスを握りしめる。

握りしめたのはいいけれど、その次がない。
その部屋にはいつだって次がない。
私しかいない部屋の中で時間は行き場を無くしていた。

そっと手の力をゆるめ、グラスを元あった場所に置く。
世界は変わらない。
自分はもっと変わらない。
私は自分がグラスを割らないことを知ってしまっていた。

いっそ壊れることができたなら、狂うことが出来たなら楽になれるかもしれないのに。
けれど、自分がそのような選択をすることはない。

その部屋の中で動くものは何もなかった。
動く余地なんて1ミリもないみたいに、グラスと私はただじっとしているしかなかった。

当時の自分にとって時間とは川のように流れるものでも、鎖のように連なるものでもなく、物置の奥で忘れられたまま埃をかぶっている箱のようなものだった。

前回のつづき

実家でひきこもっていた頃、自分の年齢があがることと比例して家にいることにストレスを強く感じるようになっていた。
そこには、将来への不安やこのままではいけないという絶え間ない焦燥があった。
外に出ることができない自分への失望と、自分の居場所がない社会に対しての絶望も一秒ごとに深まっていくようで途方にくれた。

そして、自分がいる家が両親の家であって私の家ではないという感覚も当時の自分にとっては大きなストレスだった。
言いかえるなら、私が選んだものがそこには何もないということだった。
家具や服、食事、生活スタイル、どれも両親が選んだものであり、主体性や主導権は両親に属するもののように感じられた。
自分が影響を与える隙なんてどこにもなくて、その隙のなさに息がつまりそうだった。
けれど、「ひきこもっている自分には何かを選択する機会はないし、権利なんてものもないのだ。」誰かに直接言われたわけではないけれど、自分でそのように考えていた。

家が窮屈に感じるというのは、ひきこもりに限ったはなしではないかもしれない。
たくさんの人が多かれ少なかれ持っている感覚なのかもしれない。

ただ、家、その家の中でも一室しか居場所がないというのは本当にきつかった。
そしてその一室さえ、自分のものではなく、安心できる居場所だとは感じられなかった。

自分のものではないという意識は、不安につながっていた。
それは、いつ取り上げられてもおかしくないし、仮に取り上げられても文句など言える筋合いではないのだ。
自分の存在の基盤が自分以外の誰かのコントロール下にあるという状況は、安心というものを遥か彼方に遠ざけていった。

振り返ると、当時の自分は相反する気持ちにまみれていた。

両親に対してストレスを感じつつも、両親になにかあったら、どうしようと不安にもなった。
もし仮に、両親の命に関わるようなことが起きても、私にはなにも為すすべがない。

両親がいなくなったら無条件で私も死んでしまうだろう。
自分が置かれている立場のもろさに愕然とする。

そんな状況を変えるためには動くしかない。
でも、そうわかっていても、外に出ることができない。

「でも」。

いつだってその逆説の接続詞が、夕陽を背に走ったときの自分の影のように先回りして、私の前に立ちふさがり、行く手を遮った。

当時感じていた無力感を思い出すと今でも胸やけしそうになる。

そんな無力感や、身動きの取れなさに、もし仮に、万が一この家から出て暮らせるようになったとしたら、もう二度と実家には帰らないと復讐心にも似た気持ちで自分に誓いを立てていた。
何に対する復讐であるのかは、わからなかったけれど、そうしなければならないのだと感じていた。
そこには親に対するネガティブな感情もあった。
自分の苦しさが実家という場所や両親にどうしても結びついてしまっていたから、苦しみと一緒にそれらを切り離してしまいたかったのだ。

誤解がないようにあらためて言っておくけれど、両親がひきこもっている自分を責めるようなことは1度もなかった。
ケンカすらしたことがなかった。
ひどいことを言われたという記憶もない。
私のことを心配していたし、不登校やひきこもりへの理解を深めるためにいろんな情報を集めてもいた。

両親が何かを私に押し付けるということもなかった。
きっと私がなにかを頼んだなら、きちんと話を聞いてくれる両親であったと思う。

本やCDはネットで自由に買わせてもらっていた。
それに関して何かを言われたこともない。
親のアカウントで私が何を買ったかを把握していたからということもあるかもしれないけれど。
とくに本を読むことは勧めてくれたから、遠慮なく購入することができた。

すこし話がそれるけれど、ひきこもっていたとき、自分が娯楽を享受するということに大きな罪悪感や抵抗があった。
10代のころは2つ上の兄からおすすめの小説を教えてもらったり、youtubeやニコニコ動画といった文化を紹介してもらい、一緒に楽しんでいたけれど、自分1人ではそこまでその文化にのめりこむことはなかった。
自分1人だけでそれらを見ていると、自分がいけないことをしているような感覚に襲われた。
だから楽しむにしても100%楽しんではいけない、楽しむことを目的にしてはいけないと思っている自分がいた。
必ず高尚なことを感じ、考えなければと自分にプレッシャーをかけていたし、そうすることで誰に対してかはわからないけれど、言い訳をしているようなつもりになってもいた。
自分の置かれている状況や、あるいは人生というものをちゃんとシリアスに受け止めていますよというポーズをとる必要があった。

部屋のなかにいても、他者あるいは社会の目がずっと私を捉えていた。
その視界のなかで、私は模範囚にでもなるかのような努力をしていた。
いくらそのような努力をしても刑期が短くなったりするはずもないのに。

苦しみから解放されたいと願う自分と、自分には幸せになる権利なんてないのだと考える自罰的な自分に板挟みにされて、身動きが取れないという状況があった。

そのような状況がある場としての家を、私は呪っていた。
呪う以外に手立てがなかった。

当時の自分には現実に影響を与える実際的な手段がなにもなかった。

私の手は世界に触れることができなかった。
私は将来設計に悩む地縛霊みたいに矛盾した存在だった。

ひきこもり歴13年から今にいたるまで⑬

終わり

両親や実家についての話は2回で終わるはずでしたが、分量が増えたのでさらに次回に続きます!


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